第68話・私たちの部屋
頭にレンガがぶつかって気を失った俺は、見知らぬ部屋で目を覚ました。
心配そうに見てくる琴浦姉妹や鹿角越しに、辺りを見回す。
そこは、わずかに曲線を描いた三、四〇帖ほどの横長の部屋で、主に木と土壁で造られている。
前後にいくつかの窓があって、そこから差し込む夕日が、部屋を綺麗なオレンジ色に染めている。
いくつかの窓が開けられていて、時折、姦しい声が聞こえてくる。
部屋の壁際には、窓と窓の間を埋めるように何台かの二段ベッドや棚がある。
それらにくくられて張られたロープには、タオルや女性ものの服が何着か掛かっている。
その前のスペースにはいくつかの、畳まれた布団、枕、小さな机、木箱や大きな袋、バッグ、鏡、パーテーション、その他の雑貨が置かれていた。
俺が横になっている布団の周りにも小さな机と木箱のようなものがあった。
脱がされた俺の防具、『エイト剣』もある。
右側、もう一つの敷布団を挟んだ先に壁がある。
壁際には大きなテーブルが置かれ、その周りにえんじのコの字型のソファが置かれている。
その横には部屋の出入り口と思われる木製の扉が見えた。
反対の左側に目を向けると、一〇メートル以上先に壁がある。
途中で壁は途絶え、さらに奥へつながっているようで、壁というよりは広めの柱とも言える。
そして今この部屋には、琴浦姉妹、鹿角の他、玉城、松川さん、坂出……その他五人ほどの女性の顔が見える。
モデルのように長身でスレンダーな人、肌を褐色に焼いたギャルっぽい人、ぽっちゃり体型の爆乳の人、ロリータファッションの黒髪ロング前髪ぱっつんの人、ツインテールの幼児体型の人……みんな『スピリット・オブ・セントルイス』で見たことのある顔なので、鹿角たちのパーティーのメンバーなのだろう。
つまり……。
「ここは私たちの部屋だよ。『ビッグドーナツ』の」
美咲のその答えは、俺が導き出したものと同じだった。
「や、やっぱりか……。こんな大部屋に皆で暮らしているんだな……」
さらに、奥にあるメッシュのカーテンの先は別の部屋のようで、どうやらそこには別のグループがいるようなのだ。
プライバシーは限りなくゼロに近い。
「君が意識を失った後、星野さんから連絡があってね。鮫川君と一緒に、君をここまで運んでくれたんだよ」
鹿角の話を聞いて、星野さんやマスターにはもちろん、鮫川にも感謝しなきゃなと思ったのだが、改めて思い返せば、俺から意識を奪ったあのブロック片は鮫川の魔法が作りだしたとも言えるわけで……やはり鮫川に感謝するのはやめよう。
そんなことを考えながら姿勢を変えたところ、背中に痛みが走った。
「ぐっ! 痛てて……」
「まだ痛みが残っているようだね……」と、美咲がすぐに反応した。
「鮫川君が治癒魔法をちょっとだけ使って、回復してくれたみたいなんだけど……」
「そう言えば、あいつの持っている魔溜石だと治癒魔法も使えたんだったな……。しかし、ちょっとしか使ってくれなかったのかよ……。それで、鮫川たちは?」
その問いには雛季がしゃしゃり出て答えた。
「鈴音ちゃんたちはお店に戻って~、鮫ちゃんも一度ウチに帰ったの。後でまた、お母さんたちと共に一緒に来るよ~!」
「え、お袋さんたちと?」
丁度その時、背面の窓から女の人の声が聞こえた。
しかしそれはお袋さんの声というわけではなかった。
「管理人さんダネ! ナイスタイミングで来たみたいネ!」
二つの二段ベッドに挟まれた扉からベランダらしき場所に出て、下を見た玉城が言った。
玉城に続いてベランダに出た鹿角は下に向かって声を掛ける。
「どうも管理人さん! それと、オジサンたちも鮫川君もありがとう」
管理人さんだろうか、馴染のない女性の声が返ってくる。
「フフフ、この借りはしっかり返してもらうわよ、『グラジオラス』さん?」
「鹿角さんたち~。カケル君は大丈夫なのかい?」
琴浦のお袋さんと思しき声も響いた。
琴浦姉妹もベランダに出て、美咲が代表して答えた。
「うん! 今さっき目を覚ましたよ」
「雛がずっと看病して看てたんだよ~!」
「そうなの。ありがとう、雛ちゃん。みんなもありがとうね。それじゃあ……荷物は管理人さんに預けて、私たちは帰るわね」
「ありがとう、お母さん。お父さんと鮫川君も」
「バイバイ~。またすぐ会いに行くからね~」
「荷物……? と言うか、もう帰るのか?」
俺は慌てて立ち上がって呟く。
ベランダに出ようと歩き出したが、よろめいた。
傍にいた松川さんと坂出が両側から手を貸してくれた。
気のせいか、松川さんが豊満な胸をわざと押し当ててきているような気がする。
反対で、坂出がメガネのブリッジを押し上げ、わずかに眉間にシワを刻む。
俺は二人に支えられて、二段ベッド同士に渡されたロープに吊るしてある女性ものの衣服の下をくぐり、ベランダへと出た。
ベランダは木でできていて、決して頑丈とは言えなさそうだ。
キャパに達したのか、俺が踏み出ると床板が軋んだ音を立てた。
琴浦家と同じように、横の壁には鳥かごが引っ掛けてあって、レインボーバードらしき鳥が入れられていル。
「もう帰るのか?」と再度呟くと、美咲が微笑みながら頷いた。
「お母さんはともかく、お父さんと鮫川君が上まで来ると、さすがに目立っちゃうからね……男の人は。君は特別なんだよ? カケル君」
「ど、どういうことなんだ?」
俺は彼女たちを怪訝な顔で見回してから、柵に歩み寄って、下に声を投げた。
「お、おい、鮫川! 帰るのか? どうせなら俺も連れて帰ってくれよ?」
この部屋は二階のようだが、ワンフロアの高さが一般的な住居より高いらしく、下を見ると三階分ぐらいの距離があった。
下に立っていた、茶色い髪を後ろで団子にした女性が手を振ってくる。
黒いピッタリとした上下の服に、茶色い革の防具で軽武装している。
中央本部兵の赤と黒の防具とは少し違ったが、彼女が中央本部関係者であるという、ここの管理人さんなのだろう。
その管理人の後ろに、親父さんとお袋さん。
さらにその後ろに鮫川がいて、すでに立ち去ろうとしていた彼は、わずかに顔をこちらに向けて、怠そうな声で言った。
「冗談じゃねぇ、せっかくここまで運んで、荷物も持ってきてやったのに……。それに、やっと一人で自由に部屋を使えるようになったんだ。もうお前の戻る場所はねぇよ」
「え?」
釈然としない俺の様子を見てだろう、お袋さんが声を発した。
「あら、美咲ちゃん……まだ話していなかったの?」
「あ、うん。今さっき目を覚ましたところだから……。これからするよ」
頭が混乱してくる。どうやら俺が眠っていた間に、勝手に色々なことが進んでいるようだ……。
お袋さんたちも去って行き、俺たちは部屋の中に戻った。
「荷物、管理人さんに持ってきてもらうわけにはいかないから、下に取りに行かないとね」と、鹿角がご機嫌で言った。
「ごめん、カケル君」と、美咲が続く。
「君が横になっている間、みんなで決めたことがあるの。今回のことで、やっぱり君とずっと離れているのは心配になっちゃって……。管理人さんやメンバーのみんなと話して、君もこの部屋に移ってもらうことにしたわ」
「な、何? こ、ここに?」
「美咲のお父さんたちも了承済みだよ。下に運んできてもらった荷物は、向こうにあったカケル君の物ね」
鹿角が淡々と答え、最後にウインクした。
「ま、待ってくれよ。そんな勝手な……」
「居候の身だから従うしかないよ?」と、鹿角は意地悪く笑った。
「それに女の子に囲まれて生活するなんて、男の子にとっては最高じゃない?」
「夢のハーレム生活ジャン!」
松川さんのいちいち色っぽい声音に続いて、玉城が朗らかに言った。
「ハ、ハーレム……」
素晴らしい響きだ。
脳内に、なぜか薄着で迫ってくる彼女たちの姿が浮かび上がってくる。
だが……。
「や、やっぱり、マズいだろ、それは……」
美咲もやや怒った顔で頷いた。
「そういうやましいことは起こさせないから心配なく。私がしっかり鹿角さんたちをマークしているから」
「私も、彼女たちが暴走しそうになったら止めますので……」と、坂出も紅潮した顔で言った。
「それ以外のことでも問題ないわ。前にも言ったけど、内側の広場にはたくさんの屋台が出ているし、この部屋にある物も基本シェアしているから足りないものはないよ」
美咲が真っ直ぐ俺を見ながら語ると、横から雛季が顔を出して続けた。
「みんないるから楽しいし、カケル君がいればもっと楽しくなるね! それにみんなが護ってくれるよ!」
「そう、それが一番大事なこと。本当はカケル君と別の場所に住むと、何か起きた時に対応できないんじゃないかという心配がずっとあったの。そして今日、現実にそれが起きてしまった……。やっぱり、本当に君が魔法剣士として強くなるまでは、こうして一緒に暮らした方が安全だと思うの」
「し、しかしだなぁ……」
「お願い、カケル君。今回は鮫川君でも何とかなる相手だったけど、もしもっと強い人に絡まれていたら? 自分の身のことを考えて、カケル君。お願い、ここに一緒にいよう?」
「私たちからもお願いするよ、カケル君。みんなで君を護るからさっ! ここで暮らそうよ?」と、鹿角も言った。
その後、雛季や玉城たちが同意の声を上げ、他のメンバーたちも加わって、なぜか「カケル君!」コールが起きた。
逃げられない状況に追い込まれたようだ。
そもそも、目の前にいる美咲に泣きそうな表情で嘆願されたら、断ることなどできないが……。
確かに俺の身の危険は、子孫にあたる彼女たちにも関わってくるかもしれないのだ。
しばし黙考し、引っ越すことを認めた(すでに荷物が運ばれて来ているし……)。
ひとまず、先ほどまで寝かされていた敷布団の横に座る。
そこは雛季の布団で、傍にある木箱や袋は彼女専用の物だそうだ。
右隣の布団が美咲の物で、傍にはやはり箱や袋があった。
二人の布団の前に姉妹兼用の小さなテーブルが一つあり、この辺りが彼女たちの新しいテリトリーということらしい。
「ところで……。鮫川は勝ったんだな?」と、俺は訊いた。
「ああ、うん。それで相手の人は結局お店での飲食代を払った上、自分の魔溜石を一つ鮫川君にくれたらしい」と、美咲が応じる。
「ま、魔溜石を? 一つでも結構価値あるんだろ? 飲食代すらケチっていた人が……。鮫川の奴、くれたとか言って、奪ったに近いんじゃないか?」
「私もそんな気がしているんだけど、本人はあくまで自発的にくれたと言っているよ。で、そのもらった一つと今までの魔溜石の組み合わせで、また新たな魔法が使えるようになったらしいよ」
「じゃあ、あいつの剣は強化されるのか……。また威張るだろうな……」
背後の二段ベッドの下の方に座った鹿角がくつくつ笑う。どうやらそこが彼女の場所らしい。
「鮫川君がどんどん強くなるから焦っているんだね、カケル君? 私たちにはわからない男のプライドってやつだ」
「いや、そういうんじゃないが……俺だって早く強くなりたい。今日改めて実感したんだが、自分の身も護れないようじゃこの先やっていけないと思うんだ。そりゃ、今日みたいなイザコザなら回避のしようもあるけど、強盗や魔獣に出くわした場合はそうはいかないだろうし……。それに、仮にこの部屋にお世話になるとして、部屋代も出さなきゃいけないだろ? そうなると、やはりいずれ魔溜石の採取をして稼がなくちゃならないだろう」
「仮にじゃないよ~? もうここに住むって決定して決まったの!」
雛季が寝転びながら俺の膝を叩いた。
「そうだよ! それに部屋代のことは当分気にしなくていいって!」と、鹿角。
「うん。一人増えても、部屋代が多く取られるわけじゃないから大丈夫だよ」
右隣で体育座りしていた美咲が頭を傾け、こちらに優しい眼差しを向けてきた。
「それはありがたいけど、いつまでもそれじゃあ気が引けると言うか……」
「たまに掃除をしてくれればいいですよ」
少し離れた場所から坂出が口を挟むと、玉城や松川も加わってきた。
「私はマッサージお願いネ! 特にビューティフルな形を保ちたいから、ヒップとバストを念入りに!」
「私はそうねぇ……。旦那の代わりになってもらおうかしら、フフン」
「ヒップ、バストのマッサージ……旦那の代わり……」と生唾を呑みこんだが、真顔を作って続けた。
「いや、やっぱり、俺も家賃は払うよ。それに、護ってもらっている間、君たち姉妹の仕事にも影響するだろ? その分の稼ぎも減ってしまう」
「そんな心配しなくてもいいのに……」
「いや、それだけじゃなく……何と言うか」と、しどろもどろで続ける。
「伊賀を見つけてやらなければならないし、親父たち研究者がどうなったのかも知らなきゃならないし、何より、いつかは元の世界に戻らなくちゃならないから……」
少し間を開けてから言った。
「だから、もっと強くならなくちゃならないんだ。つまり……さっきから言おうと思っていたんだが、ここで寝泊まりするのはわかったけど……」
そこで言い淀むと、先のセリフを察した美咲が代わりに言った。
「『グラジオラス』に入るかは決まっていない……?」
「あ、ああ、そうだ。『グラジオラス』が悪いと言っているわけじゃないんだが、鮫川が行った『SDG』のように、もっと強力なグループを一度見に行ってみたいと思っているんだ」
雛季が眉を下げてブーブー言った。
鹿角も頭を掻きながら溜息交じりに言う。
「まだ諦めていなかったのかぁ……。あんな所のどこがいいんだか……」
「ホント。弱くても貧しくても楽しいパーティーの方がハッピーじゃん? ボーイズのスピリットってわからないなぁ~」
「まぁ、そういう冒険心みたいなものを持っているのが男の魅力ではあるけどね」
玉城と松川が言い継いだが、軽く流して俺は美咲と鹿角の方へ視線を行き来させた。
「俺が『SDG』入りしたらダメか?」
「う~ん、まあね。違うパーティー所属でも一緒にいていいんだけど……」と、鹿角が腕を組んで言った。
「君はまだ『SDG』の試験に合格したわけじゃないから。それに、あそこは厳しいらしいからね。入ってからも脱落する人が結構いるって聞くし……。それでもカケル君が行くって言うなら、止めないよ。一度見に行くだけ行ってみればいいよ」
鹿角はそう言い終わると口を引き結んだ。
美咲はしばらく何か思いを巡らせてから、やがて口を開いた。
「わかった……。行ってみるといいよ。だけど、君が『SDG』の集会場所に行く時は、私もついて行くよ?」
「送り迎えのようなことか? まぁ、それなら……」
その後、部屋の奥から突然声がして、俺はそちらに目を向けた。
「ええ? あれれ?」
この部屋と隣の部屋の境であるレースのカーテンの向こう側に女性が立っていた。
彼女はカーテンに顔をくっつけてこちらを見つめ、今も尚騒々しい声を上げている。
それに続き、どうやらカーテンの向こう側に隣の部屋の者たちが集まってきたらしく、黄色い声が一層強まった。
「ちょっと、ちょっと、あなたたち……。いくら部屋が繋がっているからって、覗くんじゃないよ」
彼女たちにそう文句を垂れたのは、そちらの壁側に座っていたギャル女性だった。
「そうだよ。親しき仲にも礼儀ありよ?」と鹿角もやや調子外れの声を上げながら、俺の前に出て、そのまま後ろへ体を倒し、もたれかかってきた。
「お、おい……何してる? 俺の膝に座るな……お尻が当たって……」
鹿角の突然のアプローチに動揺していると、少し遅れて美咲、玉城、松川も俺に体を被せてきた。
そこでやっとわかった。
住人が女性ばかりのこのアパートに男が紛れ込んでいることを、彼女たちは咄嗟に隠そうとしているのだ。
最後に、事情が分かっているのか定かではないが、雛季も「わいわい」言いながらみんなの真似をして体を重ねてきた。
隣の部屋の女性はカーテンの隙間からこちらへ入ってきて、クスクス笑った。
「もう見えちゃっていますよ? そこに男の人がいますよね? どなたか知らないですけど、上げちゃって大丈夫なんですか?」
一人がこちらに来ると、次々に隣から女性が顔を見せ、笑ったりヒソヒソ話したりし始めた。
「何だ……やっぱり見られていたのね」と鹿角は照れ笑いをして、俺から体を離した。
美咲たちも俺の上から起き上がる。
「い、いいのか? 俺がいるのバレちゃって……?」
「しょうがないよ」と、鹿角は頭を掻きながら言った。
「まぁ、隣の子たちにはバレても問題ないよ」
「彼女たちは魔法剣士ではなく、この辺りのお店や工房などで働いている、親元を離れた女の子たちの集まりだよ。私たちと同じように部屋をシェアして家賃を安くしているの」
美咲がそう説明してくれると、雛季も未だ俺に覆いかぶさりながら嬉しそうに言った。
「お隣さんたちとも仲いいんだよ~。いつも売れ残ったパンとかくれるの」
雛季が手を振ると、彼女たちも手を振り返した。
「でも、『黒衣の花嫁』の人たちに見つかったらマズいだろうね……。管理人さんにも、彼女たちには見つからないように釘を刺されているんだよ。でも隣の子たちは大丈夫……多分」
そう言って鹿角は苦笑する。
玉城が向こうに手を振ってから、声を張った。
「ヘイ、君たち~! カレのことは『花嫁さん』たちにはシークレットだからネ!」
彼女たちは頷きながらもまだ、怪しむように俺を見ていたり、ひそひそ話を続けたりしていた。
それから、俺への興味が潮のように引いていったのか、またカーテンの向こう側に戻って行った。
「……何か、バラされそうな気がするんだが……?」と、俺は不安になった。




