第30話・情報屋
魔法のことが書かれているらしい本……。
話の流れから英単語の辞書のようなものを想像したが、美咲がテーブルに乗せ、開いて見せたそれは、本と言うよりは冊子という感じの薄いものだった。
しかし、そこに書かれていたのはやはり英単語を列記したものだ。
「これは『エイト剣』を作りだした研究者に、初期の魔法剣士たちが協力して編んだものなの。魔法を発動することができる単語が書かれているわ。この綴り通りに魔溜石を組み合わせれば、うまい具合にその単語に適した魔法が出せるようになるわ。もちろん、こじつけに近いものもあるけどね……」
「雛季の『FOX』も『OX』も載ってるの!」
前のめりになって雛季がページを繰り、指差して見せた場所には、確かに『FOX』とあり、その横に『……火系・攻撃魔法・走狗のような形で、前方に伸びる』などと書かれている。
勝手に最初の方のページをめくっていると、魔溜石の種類、色や形、それに付けられたアルファベットがまとめて書かれたページに目が留まった。
『A』赤、『B』赤紫、『C』黄色、『D』山吹色、『E』緑、『F』深緑、『G』半透明・水色、『H』水色、『I』紫、『J』群青色、『K』半透明・青、『L』青、『M』銀色、『N』灰色、『O』茶色、『P』黄土色、『Q』朱色、『R』橙色、『S』半透明・黒、『T』黒、『U』エメラルド、『V』黄緑色、『W』薄い桃色、『X』桃色、『Y』銅色、『Z』金色……。
各々、一つでも魔法を放つことができるらしいが、これらをうまく組み合わせることによって何倍にも強く大きくなり、特徴のある魔法が生まれるようだ。
さらにそれを繰り返し発動し、『エイト剣』とその使い手の経験値を上げることによって、もっと強大な魔法になり得るということだ。
「だけど、待ってくれ……」
俺は途中で思ったことを口にした。
「どうせ研究者たちがこういう形で発表するんだったら、別に石の種類によってアルファベット名を付けなくても、この色の石とこの色の石でこういう魔法ができるとか記せばそれでよかった気もするんだけど……。その方が、さっき美咲が言ったみたいな『魔法発動の遠回り』ということもないだろ?」
「それでもいいんだけどね、赤い魔溜石が一つ、青が二つ、茶色が一つでこういう魔法ができるとか書かれていても、覚える方は大変だよ? 魔法発動の際には、その魔法の特徴を頭の中でイメージして気を集中する作業も必要だけど、それもイメージしにくい。使える魔法が少ない時はそれでいいんだけど、取り込む魔溜石の種類や数が増えて発動できる魔法も増えると、より大変になっていくわ。でも、こうして最初に色々研究、計算してアルファベット名を付けてもらったおかげで、単語を覚えるだけで発動の際のイメージもしやすいし、覚えやすいってわけ」
「そういうもんなのかな……」と呟き、何気なく雛季と視線を交わす。
すると彼女は何か勘違いをしたようで、頬をふくらませた。
「雛季だって覚えられるよ~! 色で覚えるよりも簡単だよ。自分の持っている石の組み合わせでできた英単語を覚えればいいんだもんね!」
「べ、別に君はどっちみち覚えられないんじゃないか、なんて……思ってないよ」
実を言うと思っていたのだが、彼女を不機嫌にさせたくないので、そっと胸にしまった。
その後、俺から本を奪うようにして自分の手元に持っていった鮫川が、目を通しながら発言した。
「だが、思ったより多くはないんだな? 後は結局、適当に石を組んで新しい魔法を生み出すしかないってことか?」
「う~ん……実はこの『魔溜石本』、旧版なんだよね」
美咲は少しはにかんで言った。
「新しい版には、もっと魔法とそれを発動するための魔溜石の組み合わせ方が掲載されている……つまり単語が増えているんだけどね。この本を積極的に売っているのは、研究者たちと言うより、彼らに協力している魔法剣士たちだから。自分たちの努力の対価として、本の値段を高くしているの。だからこんなに薄くても結構するんだよ? 新しくなる度にその値段は大きくなるから、うちみたいな家計が苦しい家ではなかなか手が出ないのよ」
「それだってねぇ」と、お袋さんが割って入ってきた。
「娘たちにせがまれて、ずいぶん悩んだ挙句買ったって感じなのよ。本当に、どこでも商売上手な人がいるんだから……」
その前の席で、親父さんは瓶を傾けビールをコップに注いでいる。
新しい本も買えないと家族に責められているような気になってしまったのか、うつむき加減の赤ら顔をみんなから逸らした。
美咲も、親父さんを不憫に思ったと言うわけではないのだろうが、明らかな作り笑いで言った。
「それに! 最新版も過去の版に載せられている魔法ばかりで、大して代わり映えしないって噂も耳にするし、うちにはこれ一冊で充分よ。そもそもね、あまりにも強力になり得る魔法の発動方法については、中央本部の検閲で引っかかって、載せられないようになっているのよ」
「検閲か……。やっぱり本にも規制があるんだな?」
俺が深刻な面持ちで訊くと、美咲も顔を曇らせた。
「本や印刷物を販売する場合、必ず彼らの許可をもらう必要があるの。勝手に作られて出回っている物もあるけど、そういう中央本部の刻印がない物が見つかった場合、販売者が逮捕されるわ。許可される物は、当たり障りのない内容の物がほとんどね。もちろん中央本部の考え方に反する物や、彼らを侮辱したり糾弾したりする内容の物は規制の対象になる。後はこの本みたいに、間接的に彼らの脅威になり得る物には修正が入ることが多いわ」
「強力な魔法を簡単に知ることができると、それによって奴らに刃向かう者が現れるからか……」
俺はテーブルに乗せた手を組んで、重々しい声を出した。
「そう、自分たちより強くなってもらっては困るからね。……だからいいのよ、これ一冊あれば!」
やはりこれ以上両親に無理させたくないというのがあるのだろうか。美咲は作り笑いをしてみせた。
魔法についての話は一旦終わり、しばらく他愛もない話が続いた。
その間も俺の頭の中にはある考えが回っていて、一時の沈黙が下りた隙間を縫って、話を切り出すことにした。
「……しかし、本当にこうして世話ばかりになって、こっちは何もしないというのは気が引けるなぁ。そう思わないか? 鮫川も」
「だからぁ、別にそんな心配しなくていいんだよ?」
鮫川の返事よりも早く、美咲が答えた。
同時に似たようなことをお袋さんも雛季も口にした。
「そう。結局大したおもてなしもできるわけじゃないし……」
「雛季に遊び相手ができただけでうれしいよ~!」
「こう言っているから、いいんじゃないのか?」と言って鮫川は立ち上がり、後ろの一人掛けソファに深く腰掛けた。
「それにこっちへ来たばかりの俺たちがやれることもないだろ?」
「まぁ、確かにそうだが、でもなぁ……。あっ! あの~農園の方で俺たちが手伝うことってないですか?」
ダイニングへと視線を向ける。
「本当に遠慮はいらないわよ、カケル君?」
食器を片付けながら、お袋さんが苦笑いを見せた。
一方、苦虫を噛み潰したような顔をしていたのは鮫川だ。
「お前よぉ、俺が魔法剣の腕を日に日に上げていくことを恐れているんじゃないだろうな?」
「そ、そんなわけねぇだろ! 奉仕の気持ちからだよ!」
二人のやりとりを聞き流しているかのように、腕を組んで黙考していた美咲がやがて口を開いた。
「農園ねぇ……。確かに農園内なら、この辺一帯の農家の人たちが共同でお金を出し合って護衛に魔法剣士を雇っているから、比較的安全ではあるけど……。二人が家にいても暇だと言うのなら、何か手伝ってもらう? お父さん」
鮫川の舌打ちが聞こえたような気がした。
ダイニングの椅子に座っている親父さんは、とろけたような目をこちらに向けて呟く。
「う~む……。まぁ、この時期の仕事は決して多くはないが、手伝ってもらえるのならそれに越したことはないが……」
「もう、お父さんったら。そんな酔っ払った頭で、いい加減な返事して……。明日になったら忘れているんじゃないでしょうね?」と、お袋さん。
「これぐらいで酔っ払ったりしないさ。俺はしっかり考えて言っているぞ。若いもんはなぁ、体を動かしたくなるもんなのさ。君たちが手伝ってくれると言うのなら、仕事を与えよう」
「任せてください。おばさんも」と俺はお袋さんにも視線を投げた。
仕方ないわね、と言うような表情が返ってくる。
「鮫川。もちろん、お前もだぞ? 自分の『エイト剣』もなくて、雛季の剣を借りて練習ばっかりしていても仕方ないんだからさぁ」
「しょうがねぇな……」と声を尖らせて答えた鮫川は、次にダイニングでほろ酔いの親父さんを見据えた。
「……ところで、オッサン。例の剣の話はどうだった?」
「ああ、う~む……」
親父さんはくぐもった返事をし、再びビールを呷る。
小さな溜息をついて代わりに美咲が答えた。
「さっき話を訊いたところ、やっぱりそう簡単には手に入りそうもないって……」
「何だ……そうなのか?」
鮫川は口を歪め、苛立ったようにうなじを掻いた。
親父さんは、ゲップを吐いてから言った。
「ウェップッ……。諦めるのは早ぇぞ、若僧。情報屋の天川って奴なら、入手場所を知っているかもしれん」
「情報屋?」
俺と鮫川はほぼ同時に訊き返した。
「情報屋なんてまったく、お父さんったら……。色んな危ない所にも顔を出している人たちでしょ? どうやって会うのよ? 美咲たちを行かせる気なの?」
「なぁに、心配せんでもいいさ。情報料さえ忘れなければ客に手出しなんかしないさ。それに向こうは魔法剣士ではない。美咲たちがついていけば大丈夫さ」
「もう~……気軽に言っちゃって」
ダイニングの方で親父さんとお袋さんの意見が対立しているが、いつものことなのだろう。姉妹はさほど気にした様子もない。
美咲もどちらかと言えば親父さんの話に乗り気ではないようで、浮かない顔で説明をする。
「この『ゴブレット』内には新聞やチラシがあるけどね、それらの発行者にも中央本部の息が掛かっているから、得られる内容に限りがあるの。一方で街に何人か存在する情報屋という人たちは、中央本部に不都合なことも含めて様々な情報を握っていて、知りたいことをピンポイントで教えてくれるの。中でも天川って人を中心にしたグループは様々な所に顔が利くみたいで、それこそ『キャッスル』内のことまで多少は知っていると言われている、『ゴブレット』一の情報屋よ」
蓄音器から聞こえる亡きご主人の声に真剣に耳を傾ける犬のマスコットの如く美咲の話を聞いていた雛季が、突如割って入った。
「神に訊くか、天川に訊けぇ! の人だね!」
「え、何?」と、俺は少しびっくりして訊き返すと、美咲が代わりに答えた。
「『神に訊くか、天川に訊け』……。まぁ、それだけ天川って人が何でも知っているということなのよ」
「天川……よし、そいつのとこに行くぞ。お前らが行かなくても俺一人で行く」
鼻息荒く言う鮫川。
美咲はそれを手で制する素振りをした。
「ダメだよ、鮫川君。さっきお母さんも言っていたけど、私たちの護衛も無しに一人で会うには危険な相手だよ。場所もここから遠いし……」
「そう言うことだ。勝手な行動はやめろ、鮫川」
「チッ!」と鮫川は強く舌打ちして、俺に鋭い眼光を向けた。
しかし、「ついて行ってやったらどうだ、美咲?」と、親父さんが赤ら顔を向ける。
美咲は吐息を漏らし、心ならずもというように短く頷いた。
「う~ん、もう~……わかった。それじゃあ、今度私たちの手が空いた時に訪ねてみよう」




