第17話・怪しい男がやって来る
俺が勝手に一人で出歩かないことを約束すると、姉妹から安堵の吐息が漏れた。
「そうだな。彼氏も痛い目遭ったから、もう懲りたと思うぞ? ブハハハ」と、しばらく黙って見ていた男が粗野な笑い方をした。
「おじさん。ごめんなさい、彼がお邪魔したみたいで……。これからしばらく私たちが彼のサポートを任されたのです」
美咲は立ち上がると、男に向かって言った。その口ぶりから知り合いらしい。
「そうか、琴浦さんとこが? そりゃ、大変だな……」
男は本当に気の毒そうな顔で姉妹を見ていた。
雛季が『ジャンピングウルフ』を指差し、「痛い目に遭ったって、あの子に襲われたの? カケル君」と、訊いた。
「あ、ああ。食われるかと思った……ハハハ」
俺が冗談っぽく笑うと、美咲はやや冷たい口調で言う。
「笑い事じゃないよ、カケル君。さっきも似たような話をしたけれど、ここは君のいた世界とは違うの。君の持つイメージからすると人懐っこいとか、おとなしい動物だと思っても、『サライ』にいるその種の動物もそうとは限らない。想像とは違って凶暴だってこともあるんだから」
「『ゴブレット』内ではあまり見かけないけど、壁の外には凶暴な悪い魔獣がいっぱいたくさんいるもんね」と、雛季が回りくどい言い方で話に入ってきた。
「魔獣……? さっきおじさんも口にしたけど、何なんだ、それ? 悪魔の『魔』に『獣』と書いて、魔獣?」
「そうだよ」と美咲がうなずき、視界の端で男も大きくうなずいた。
「注意をする前に、君が飛び出して行っちゃったから教えてあげられなかったけど……。あのね、『サライ』には魔獣と呼ばれる獰猛な生物が存在しているの。普通の動物も多くいるけど、それらとは凶暴さでまったく違うから、魔獣とカテゴライズされているのよ。魔獣の中にもレベルがあって、そこの『ジャンピングウルフ』のようにしつければ人と共存できるような動物に近い種もいるけど、多くは人や他の動物を見れば襲い、食い殺すモンスターなの」
「マ、マジかよ……」
また胸がごとりと音を立てた。こっちの世界へ連れて来られてから、心臓が疲弊している気がする。
「大人の剣士が何人かで相手しないとどうにもならない魔獣もいるし、習性がいまいちわかっていない魔獣もいる。北の方には姿さえ未確認の魔獣もいると言われているわ。彼らと今の君が一人で出会ったら、本当に命の危険にさらされてしまうの」
「そ、そんなものがウヨウヨいるのか……恐ろしい。ああ、なるほど……さっき見たあの『ドーナツ』とかいう場所も、ある意味魔獣を寄せ付けないための役割があるんだな……?」
「うん、まぁね……。魔獣の話は落ち着いてからしたかったから、隠したけど……そういう役割もあるよ。でもね、『ゴブレット』の壁の内側にはそうはいないわ。その子のようにペット化されたものがいる程度だよ。街中で見かける動物は、君たちの世界の動物と多少見た目や習性が違っても、ほとんどが普通の動物だと思っていいよ。それに、これからはいつも私たちが君についているから安心してほしい」
美咲が優しく微笑むと、後ろで雛季も「カケル君は雛季が護る~!」と明るい声を上げた。
しかし俺の気はあまり晴れていない。重い口調で言った。
「でも、君たちだって何と言うか……そうやって剣は持っているみたいだけど、頼りないと言うか……。だったら、そこのおじさんの方が恰幅もいいし……」
急に視線を向けられた男は、目を丸くしてから、苦笑いを見せた。
「まぁ、農業で自然と体は鍛えられているけど……。その子たちに比べたら俺なんて、全然!」
そう言って顔の前で大きな手を振った。男のその動作に『ジャンピングウルフ』がいちいち反応を見せる。
「二人は剣士だからなぁ。魔溜石採取をするパーティーにも入っているからねぇ」
男が持ち上げて言うと、まんざらでもない顔をした雛季に対し、美咲は恥ずかしそうに顔を赤く染めた。
「は、はい。一応……」
男からそう聞いても、俺はまだどうしても二人のことを力の面で信じきれなかった。
「その……魔溜石の採取と強さが関係あるのか?」
「そりゃ~、あんた……」と言いかけた男だが、美咲に話を譲った。
「魔溜石が多く採れるのは『ゴブレット』周辺の森の地面の下や洞窟の中なの。だけどそこには必ずと言っていいほど魔獣がいる。群れで、多数いることも稀ではない」
「魔溜石をエサにしているんだよ」
「魔獣は魔溜石を食ってそれをエネルギーにして生きることができるからな。魔溜石がある所に集まったり、ねぐらにしたりするのは必然だ」
雛季と男が順に言った。
そしてまた美咲が話を継いだ。
「特に洞窟は『魔巣窟』と呼ばれるほど多くの魔獣がいるわ。でも、魔獣は口に入れた魔溜石のエネルギーの一部しか使いきれず、結局自身の体内……胸の骨に、使いきれずにそのまま魔溜石が蓄積されることが多くあるの。だから逆に魔獣を倒せば、その体内の魔溜石を採ることもできる」
「……それを君たち姉妹がやっていると?」
「もちろん私たち以外にも、中央本部の人間や、彼らから生活費をもらうために働く剣士など、魔溜石を採りに行く人は沢山いるけどね。……それに私たちは、魔獣を倒してと言うよりは、地道に岩肌や地面から採掘する方なんだけど……」
「それだとなかなか見つからないんだよね、アハッ」
美咲は苦笑い、雛季はなぜか朗笑した。
「つまり、君たちはそんなに魔獣と戦っていないってことじゃないか?」
俺が眉を寄せてボソッと言うと、男が「それでも二人はその剣を持っているからねぇ。俺ら一般市民よりは頼りがいあるぞ」と、にこやかに言った。
美咲はうなずくと、こちらへ歩み寄って来て、両手で俺の左手を包み込んだ。
「とにかく、カケル君。私たちを信じて。お願い。今日みたいなことは絶対しちゃダメだよ? 元の世界に戻れることを信じて、とにかくそれまでこの街で生きていく術を身に付けないと」
「うん、信じて~!」と、雛季も快活に言った。
「……あ、ああ」と、とりあえずうなずく。
襲ってきたあの大きな犬のような獣がまだ可愛い方だとしたら、魔獣という生物はとんでもなく恐ろしいと思うし、そんなものがうろつく場所でしか魔溜石を採取できないとなると、未来を悲観してしまう……。
琴浦姉妹の自信にも不安が残るし、剣を持っているからと言って彼女たちを推す男の言葉も、どこか無責任に聞こえる。
しかし今は、彼女たちの協力を得て(それがどんなに微力であろうとも)、この世界で生きていくしか方法がない気がした。
この世界のルールも知らないし、今夜寝泊まりする場所もない。
その上魔獣という化け物がいると言うし、男の話を真に受けるなら、人間にだって危害を加えられるかもしれないのだ。
今、この街で一人になるのは危険すぎる。
そして、こんなどこの馬の骨ともわからない人間に手を差し伸べてくれる者が、彼女たち以外にすぐ見つかるとも思えなかった。
当面は彼女たちの世話になろう。
農家の男と別れ、通りに出ると、すでに先ほどの馬車はいなくなっていた。料金は美咲が前払いしていた。
すでに姉妹の家がある北東エリアに入っており、姉妹の家まで歩いて行くことになった。
農家や畑などを横目に、田舎道を進んで行く。
しばらくすると、少し景色が変わり、割と家が込み合った場所に入った。広場を囲み、小さなお店も幾つかある。琴浦家の近所では一番賑やかな場所だと言う。
その広場を縦断していると、先頭を行く美咲が突如振り返った。何かの気配を感じ取ったらしい。
それとほぼ同時、俺の耳にも背後からの足音が届いていた。
険しい顔になった美咲が後ろにいる俺たちに向かって叫んだ。
「怪しい男が来る! 雛ちゃん、気をつけて!」
「う、うん!」
横を歩いていた雛季が後ろを振り返り、腰に吊るしていたクリーム色の鞘から剣を抜いた。
刀身の色合いは、『キャッスル』で見た男たちのそれと同じだった。
同時に美咲も剣を抜き、茫然と立ちつくす俺の横を走って後方へ。
同じく彼女の剣も銀のような黒のような色合いをしていた。




