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第1131話・大いなる幻影

『幻影の世界』の本当の『1日目』、その日起きた『変化』の残り3つは俺と池田さん共通の『変化』かもしれないらしい。


 池田さんは誇らしげに微笑み、「じゃあ、早速、一つ目だな」と言った。

「瀬戸君も何度も『ゴブレット』の方へ戻っただろう? その際、毎回『勇者の町』の傍の橋の手前まで行ってから森を出ていたのか?」

「えっと……つまり?」


「そうだと、見落としているかもしれないが、実はレインボーバード・リバー沿いをもっと西に進むと、その『変化』に気づけたんだよ」


「川を西に……ああ!」

 池田さんは勿体つけて話すが、俺は途中であることを思い出した。

「もしかして、レインボーバード・リバーが真っ二つに分かれているところ?」

【第1081話・参照】

 

 先日、そこを不思議に思った。ただあの時は、これまでたまたま見落としていただけで、この『世界』特有の『変化』の一つだとは思わなかったのだ。


「何だ、勘づいていたのか? そう、それだよ。せっかく感謝されようと思ったのになぁ」と、池田さんは苦笑しながらうなじを掻く。

「いや、感謝はしますって。すでに他の『変化』も教えてもらっているし……。しかし、あれがやっぱり『変化』だったのかぁ。『現実世界』でもあの辺はそんなに行ったことないので、確証が得られないところでしたよ」


「そうだな。でも、俺は薬草探しで橋の西側も何度か行っていたんだ。間違いないよ。もちろんもっと奥に行けば、川が枝分かれしている所なんかはあるんだろうけど、あんなすぐの場所では分かれていないんだよ、現実では」


「よし、それじゃあ、それが3つ目」

 俺はしかつめらしく(うなず)きつつ、池田さんばかりに頼ってしまって申し訳ない気分にもなっていた。

 

 ただ、池田さんの方は俺が知らないことの方が教え甲斐あるようで、自慢げに続ける。

「あとは……まず、甘い食い物だな」

「甘い食い物?」


「そう。俺は探索の時いつも『ゴブレット』からコーヒーキャンディを持って来て、口寂しい時なんかに舐めているんだけど、そいつがやけに甘くてね」

「甘いコーヒーキャンディとかではなくて?」


「いつもと同じやつだぞ? それはそんなに砂糖も入っていなくて甘くないやつなんだ。それが、こう……甘い! 君もホラ、舐めてみ」

 池田さんは腰の袋からそのコーヒーの飴を二つ取り出し、一つを口に。甘ったるそうな顔をしてから、もう一つを俺に勧めてきた。

 

 子供の頃から知らない人にもらった物をすぐに口にしない……特に、ここまで親切にしてもらっていて失礼ながら、池田さんのような爪切りを使わず爪をかじって短くしそうなタイプの中年男性からもらった物をすぐさま口にしてはいけないと親に言われて育った者として気が引けた。

 だが、そんなことでオッサンの機嫌を損ねるわけにはいかず、俺は黙って飴を口にした。

 

 うん、確かに甘い。

 元々この飴がどんな味かは知らないが、コーヒーよりはカフェオレ、いやそれ以上に甘いと言ってもいいかもしれない。

「確かに、甘すぎる気はします。しかし……こんな微かな『変化』? 俺は、飴、持ってないし……」


「『幻影世界』の初日だ。そこまで大胆な『変化』は起こさないだろう……まぁ、山脈の接近は派手だけど、それだって『ゴブレット』の人間は見落としやすいし。俺たちがそうだったように、『変化』に気づかずズルズル先へ進ませるため、魔獣は魔獣なりに考えて創り出した『間違い探し』なんだろう」

「だから、こんな些細な『変化』を……ってことですか?」


「そ、そうなんだろうよ。俺はこれだと思っていたんだから、急に不安になること言うなよ、瀬戸君……」とオッサンもトーンダウンしたが、俺が渋々納得すると、また口を開く。

「君の場合、飴ではないかもしれない。この『変化』は『個人的な変化』で、それぞれがこの日に口にする物の中で何かが一つ、やけに甘く『変化』しているのかも。思い出してみろ。何かそう言う、やけに甘く感じた食べものを口にしていないか?」


「う~ん……ん? ああ! そう言えば!」と、俺は目を開いた。

 しばらく、日の流れによって幾つもの膜が掛けられてしまった頭の中を掻きまわし、甘く感じた食べ物の記憶を探っていたが……埋没しかけていたその小さな記憶の欠片(かけら)を、掘り起こすことができた。

 

 もう何週間前か、初めて迎えたこの『幻影世界』の『本当の1日目』。

 あの日、メンバーと一緒に食べたバナナ(おやつとして『ゴブレット』から持って来ていた物)が、妙に甘かったのではなかったか?

 そうだ、異様に甘かった!

 

 俺一人なら、このバナナやけに甘いなと思っただけで終わり印象に残らないその記憶は、もう掘り起こされることはなかっただろう。今、池田さんに訊ねられても、あるいは思い出さなかったかもしれない、そんなレベルの小さなことだ。

 しかし、あの時は、松川姉さんがバナナをくれ、美馬さんもこう言って、やはりバナナをくれた。

「私のも一本あげるわ、小さいけど。クチュクチュのバナナよ、フフフ」

 

 さらに、「このバナナ……やけに甘いな」と言った俺に……。

「あら、そう? 甘すぎるのは嫌い?」と、松川姉さん。

「イカ臭いのよりはいいでしょ?」と、美馬さん。

【第1072話・参照】


 二人の年上の女性に色っぽく言われ、恥ずかしながら俺はときめいたのだ。それは、『食べたバナナがやけに甘かった』という些末(さまつ)なことを、余計に肥大させ(いろど)った。

 もちろん、その後俺が遭遇する数々の異変と比べれば、やはり埋もれがちな小石ほどの記憶の欠片だけれど、頭の中をかき回しているうちに、それは艶っぽく光って俺にサインを送ったのだ。


「バナナか? そうか、じゃあ、それだ! やっぱり俺のこの飴の甘さも、『変化』だったんだ!」

 思い出したことを伝えると、池田さんの表情にも明るさが戻った。


「この後、そのバナナを食べる時間になるかもしれない。そこで改めて確認しますよ、異様な甘さなのか」と、俺は言った。

「おう、それがいいだろう。もし、やはり微妙だと思ったら、俺にも教えに来てくれ。俺も近くで休むようにするから」


「はい。それで……最後の『変化』については?」と、俺は訊ねる。

 池田さんは小さくうなずき、「そっちの方が自信はある」と言って続けた。

「俺は『ゴブレット』に戻ってから何度か、()()()()()()()()()()()()




 この『本当の1日目』の最後の『変化』を池田さんから教えてもらった俺は、オッサンと別れた後、篝火(かがりび)を囲うように車座になっている一同の傍に立った。

 頭にのしかかってきた暗い疑念が、篝火の灯りを(にじ)ませている……。


「ああ、カケル君。ずっとトイレ行ってたの?」と、まず美咲。

「遅かったね? うんち?」

「美咲ちゃんや東御(とうみ)ちゃんが心配してたわよ?」と、雛季(ひなき)に次いで安城(あんじょう)さんがからかうように言い、鹿角(かづの)中間(なかま)などはつられて笑い、美咲たちは照れて否定する。


「いや、ションベンだって。それより……」

 しかし俺はそれよりも、やはり『上高井(かみたかい)さん一行』が気になって、腰を下ろすとすぐに彼女たちの座る方へ不躾(ぶしつけ)な視線を投げる。

 

 それを察してなのか、美咲がすぐに言った。

「上高井さんはもちろん知っているよね? 彼女が属している『グア・ハム』の人たちだよ」


「雛季たちと一緒で、魔溜石探しに来たんだって。でも、もう帰るみたいなの」と、雛季。さすがに、少しテンションは低い。もう、上高井さんたちのメンバー一人が今回の探索で命を落としたことを聞かされているらしい。


 続いて、美咲や鹿角がそのことをかいつまんで俺に伝えた。俺は最初に経験した『この日』にそのことを知らされているから、やや反応が乏しくなった。

「そのようだな……」

「そのようだなって……淡白と言うか何と言うか、知っていたみたいに……」と、鹿角が軽くツッコんでくる。


「他にも男性たちがいたみたいで、その人たちはまだ探索を続けるみたい。でも、上高井先輩たちは、先に帰ることにしたんだよ」と、そう続けた青葉の話も俺は知っている。


「それがええ。上高井さんたち女性がこれ以上危険な目に遭うのはよくない。女性は人類の宝じゃ」と、鳩ケ谷。

「人類の(くず)に言われても嬉しくないだろ」と鮫川(さめがわ)が焼いたベーコンを食いながら言い、鳩ケ谷が怒鳴る。

 

 そんな彼らのやり取りは聞き流し、俺は上高井さんたちを見続ける。

 上高井さんのパーティーのメンバーは3名……薄緑のショートカットの若い女性、もう二人は40歳前後といったところで、一人は日に焼けた肌の筋肉質な長身黒髪の女性で、もう一人はグレーの髪の、ややふくよかな体型の女性だ。


 この3名は、最初の時に会った3名と変わらない。もちろん、もし人が違っていたとしても、それが『変化』かどうかはわからない。まぁ、池田さんの出した答えが正しければ、それは『変化』ではないということだが。

 とにかく俺が確認したかったのは、上高井さんも含めた彼女たちの容姿ではなく、言動や様子だ。

 特に、上高井さんの……。




「死んだ連中を見かけている」

 先ほど池田さんにそう言われ、俺は訊き返した。

「……え? 死んだ連中? 幽霊ってことですか?」


「まぁ、そうだな。『現実世界』で死んだ連中……旧友とか、近所に住んでいた爺さん婆さんだとか、突然現れるんだ。一瞬見えたと思って追いかけたら曲がり角の先でいなくなっていたってこともあれば、少し離れた場所にかなり長く立っていたってこともある。大概、声を掛けると消えるがね」


「あなたに、霊能力がある……ってわけじゃないんですね?」

 一応()いてみると、池田さんは眉間にしわを刻んだ。

「ないない! 『現実世界』ではそんなこと一度も経験ないよ。むしろ、そういうこと言う奴は胡散(うさん)臭いと思っているね。だけど、今回のそれはもちろん見間違いではない。向こうさんには生気ってやつが感じられないけど、脚から何まではっきり見えているぜ」

 

 オッサンに先回りで疑問を潰された俺は、「なるほど」などと(おぼろ)げに応じる。

 ただ、それならば……甘すぎるバナナよりはすぐに、俺はあることを思い出せていた。

 最上さんの魔法で小さくなった鳩ケ谷が、潰されて死んだ後のことだ。俺は鳩ケ谷の幽霊を見た。


 あれは『本当の8日目』……彼が命を落とした後、『ビッグドーナツ』の部屋の奥のトイレだった。

 あの時は、このまやかしの世界上であるとは言え、2年間を共にした男のあっけない死に少なからず動揺していた俺の心と、ドラゴンと戦った疲労感とが生んだただの幻……そう解釈したのだが、本当に幽霊は姿を見せていたということになる。

 

 つまり、池田さんの言うように、死者が見えるという『変化』が起きていたのだと俺も一定の理解をした。

 そのことを話すと、池田さんに改めて訊かれた。

「……鳩ケ谷って、いつもいるあのボサボサ頭の、鼻に汚い絆創膏(ばんそうこう)をしている少年だな?」

 

 俺は真顔で頷いた。

「ええ、そうです。2枚のパンツを交互に穿()いて15年過ごしてそうな、あの男です」


「そうなると、この『幻影の世界』で命を落とした場合も、その人が幽霊として現れたというわけか……。俺の場合、『現実世界』ですでに死んでいた人を何度か見たというだけだったけど。……まぁ、もうその辺はどうでもいいな。これで、うまく行けば『現実世界』に戻れるわけだから」と池田さんは、最後は苦笑い。

 

 俺も首肯(しゅこう)しながらも、この『変化』が正解の一つであることを別のエピソードで上塗りした。

「俺も『現実世界』で亡くなった知り合いをこっちで見かけました。熊野っていう、『(きば)』でクラスメイトだったおじさんなんだけど、魔獣人との戦いで命を落としたんです。しかし彼の姿を、この『幻影の世界』に来た6日目だったか7日目だったか? とにかく、見たんですよ。その時は、ずっと40℃以上の暑さが続いていたし性的にも乱れた状況で、頭が混乱しているのだと思って無理に処理しましたけど」

【第1104話・参照】


「そうか。間違いない、その人も幽霊として見えたんだ。あまり見かけるものでもないから気づきにくいけど、この『1日目』から始まっている『変化』の一つなんだよ」


「そうですね。もう他の日の『変化』には当てはまらない」とうなずいてから、俺は力強く言った。

「池田さんが見つけてくれた5つの『変化』、これで俺らは今夜眠りにつき、目覚めた時には『現実世界』!」


「……そう、そうだ! 信じよう。これで戻れる! この魔獣の幻影ともおさらばする時が来たんだ!」

「はい!」

 そして池田さんと俺は笑顔で握手をした。

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