第1128話・永すぎた春
実は、魔獣・ナイトメア・リバティーンの体内に呑み込まれ見せられている『幻影の世界』、ここからの脱出方法などないのではないか?
そんな恐怖に度々脅かされながら、俺はまた『1日目』と戻り、今度はその時点で思いついていた6つの『変化』すべてを頭で繰り返し、これまで以上に雑念を振り払い、眠りまでに長い時間を掛けてみた。
それでも『2日目』を迎えてしまい、絶望的になった俺はしかし、また『1日目』に戻って(もう何度目だ?)、やはり『ショルダーズ・オブ・ジャイアンツ』の距離など元々ハッキリしたことではないので『変化』と捉えるのはやめることにし、残りの5つの『変化』を改めて、真剣に、長く、強く頭に思い浮かべ続けた。
しかし、それでも『2日目』に。
俺の中で何か糸が切れたようになってしまい、考えるのを放棄し、『2日目』の夜は何もせずに虚無的に横になり、眠りに入った。
そのまま『3日目』になると、もう戻る気力は完全に失われ、メンバーたちに連れて行かれた『アイラブコーヒー……』で『テレビ』放送などを観ながらダラダラ過ごした。『4日目』になれば、『男女混浴という変化』が起こるので、ある意味それだけがこの日を生きる気力だった。
この辺りからの俺の無気力さに、琴浦姉妹や東御や桜川、ミュウや青葉なんかも心配しだした。彼女たちからしたら、この俺の生活態度が『変化』そのものに思えるだろう。
とにかく、『4日目』まで進み、午前中はみんなと共にダラけ、昼からは街の入浴施設へ。
当然、中は男湯と女湯で別れてはいない。その分さらに広くなった浴槽に、老若男女関係なく入る。
そして『ビッグドーナツ』に帰れば、ちょっと汗を掻いたと言ってまた大浴場に行く。鹿角や玉城、安城さんたちがついて来たり、『黒衣の花嫁』メンバーが先にいたりして、ここでも眼福であった。
夕食後、夜の入浴は部屋のメンバーと一緒。
この入浴ばかりの生活は翌『5日目』も続いた。ヤヒコはもちろん、喋ることができるトラヒメにも呆れられる始末だ。
そして『5日目』まで来ると、もう『6日目』に進むしかない。風呂で英気を養うこともでき、この頃には妙に前向きとなっていた。
傍から見れば、自暴自棄と言えるかもしれない。もちろん、幾度となく『現実世界』に残されている美咲をはじめ他の者たちのことや自分の抜け殻のような身体について考えそうになる時はあるが、そういう時は目を閉じて深呼吸し、頭をリセット。再び開けた目が捉えた美咲たち、周りに広がる光景がここの『現実』だと、刷り込んだ。
『6日目』に進むと、半裸、混浴、そしてエッチな展開、と俺が『現実世界』を忘れることができる時間も増える(肉や魚が食べられなくなるのは悲しいけど)。
ただし、『7日目』に進むとみんながギスギスし出し魔獣が街に現れ始めるから、『6日目』の夜は久しぶりに、この日の5つの『変化』を頭に思い浮かべ、『5日目』に戻る。これも前回と同じ『変化』なので苦も無く遡ることに成功した。
そしてまた、『6日目』へ進む。そして次の日は『5日目』に戻る……。
池田のオッサンがこの2日間を繰り返していたのは頷ける。
こうして現在。
俺は6度目の『6日目』(自暴自棄となってからは4度目)を迎え、『現実世界』では味わえなかったプレイボーイ感を経験しているわけだが、煽情的な『6日目』の人々にも少し慣れ、同時に新鮮さも薄くなると、唐突に『現実世界』のことが圧し掛かって来て不安になった。
それも、これまでは一時のインスタントな愛による快楽が紛らわせてくれていた。
だが、『現実世界』とは日々一刻離れていっているという自覚から来る負の力は、日に日に強くなり、俺はどうもこの淫らな生活に完全な満足感を得られにくくなっていた。先ほど部屋で感じた寂寥や無力感も、そこから来る。
と言いつつも、俺は空き地の一角(他にも抱き合っているカップルがちらほらいる)で速見先生たち3名の教師と戯れ、充足感を得ていた。
この幸福感や熱意を、できるだけ忘れないようにしよう。
「よかったよ、瀬戸君。ありがとう」と、まだ紅潮している肌の速見先生が言った。
「……こちらこそ」
「荒々しかったわね。でも、勘違いしないのよ、瀬戸君? 君はいつまでも私たちの教え子なんだから、普段はもっと真面目にしなさいね?」
レンジリー先生に軽く諭され、「ああ、はい」と、苦笑い。
「それでは、私たち、そろそろ行かないとね。ゴメンね、瀬戸君、エッチだけで。またもっと時間がある時に」と、佐倉先生。
「そうね。その時は、もっと、たっぷりね?」
「若いから、2回も3回もいけるでしょ?」
速見先生、レンジリー先生も蠱惑的に微笑んだ。
俺は照れながら、立ち去る三人の、汗で光る白い背中を見送った。
「ふぅ~……」
俺は空に向かって深呼吸し、ついさっきの時間を頭でリプレイ、自然とにやける。
『現実世界』ではこんなこと起きない。あの、全男子、男性教師たちからも憧れられる3名との夢のひと時……。
『現実世界』では……『現実世界』……。
ダメだ! 『現実世界』のことを思い出しては! 寂寥に潰される!
俺は頭に絡みつき始めた黒いもやを引き離すように、早歩きで空き地を出た。
そして、『ビッグドーナツE』へ戻るために南へと路地を曲がる。
「うわっ! あああ!」
出会いがしら人とぶつかり、俺は後退り。そして目の前の顔に、驚きの声を発する。
「瀬戸君。ずいぶん愉しそうだったな?」
「……い、池田さん。み、見ていたんですか?」
そう、そこにいたのは池田さんだった。池田さんはにやけ顔で首肯する。
しかしその顔にわずかな影が差す。
「しかし、君は、本物の瀬戸君か?」
「本物の……? どういう意味です?」
「ああ、いや……。何だか、やたらハッスルしていたから……野獣みたいだったじゃないか?」
「いや! そんなことはなかったでしょう! は、恥ずかしいな……。デバガメみたいなことしないでくださいよ」と、俺は池田さんを睨む。顔が熱い。
「すまん……。しかし、この前会った時は、エロなんかどうでもいいって感じだったのにさぁ。だから、もしかしたらこれは元からいる『こっちの世界』の瀬戸君で、この前の本物の瀬戸君ではないんじゃないかと思ったわけさ」
池田さんは手で額の汗を拭いつつ言った。
「『こっちの世界』の俺……。そんなドッペルゲンガーみたいな奴には会ったことないから、それは存在しないでしょう? あなたの方の偽者はどうなんですか?」
「ああ、確かに、俺も自分の偽者なんかには会っていない。どういう理屈か、魔獣に呑まれてこの『幻影』を見せられている者は、本人しか存在しないんだろう。でも、そう疑いたくなるぐらいにさっきの君は……」
「やめてください!」と、俺は顔から火が出そうになる。
「ああ、いや、それだけじゃなくて」と池田さんは小さく頭を下げて、話を続けた。
「君がまだこの『6日目』を謳歌しているとは思っていなかったから、『こっちの世界』の瀬戸君なのだろうか、と。本物の君が『現実世界』に戻ったら、こっちではその存在を埋め合わせる別の瀬戸君が現れてもおかしくはないだろう?」
「ま、まぁ、俺がここを出られていたら、確かにあるかもね……。でも、この通り、俺は出られていないんですよ!」
池田さんが悪いわけではないと知りつつも、俺の声は少し尖ったものになってしまう。
「戻りたかったんだよな? あれからだいぶ経っているけど、どういうわけだ? まだ『6日』にいるってことは、何度か前日に遡って、同じ日を繰り返してはいるんだろうな? どこかで詰まって遡れなくなっているのか?」
「はい……。初日までは戻りました。ただ、そこからです。『1日目』の『変化』の5つは見つけ出せています。おそらくこれってのはあるんですが、どうしても『この世界』からの脱出がうまくいきません。『2日目』になっちゃうんですよ!」と、俺は子供のようにわめいた。目も潤んでくる。
「う~ん……。絶対に間違っているってことは、ないのか?」
「戻れてないので、絶対とは言えないですけど……結構信ぴょう性があったんです。ただ失敗後、別の『変化』の組み合わせでも何度か試して……」
「それでも出られなかったのか? む~……まさか、そんな……マズいな」と、池田さんは額に手を当て、うなるように言う。
「な、何ですか、池田さん……。マズいなって、あなたまでそれじゃあ困りますよ!」
「いや、しかしなぁ、俺だって『2日目』までは戻ったことあるんだけど、『初日』に遡って、さらに『現実世界』へ戻るってことは試したことがないからなぁ」
「そうでしたね……。この『6日目』の光景が忘れなくて、こっちへ戻ったんでしたね。そして『幻影世界』に囚われてしまったってわけだ……」と、俺は溜息交じりに言う。
池田さんははにかみつつも反論。
「そう言う君だって、ここまで戻って来てんじゃないか? しかも、あんな大人のいい女とハッスルして、愉しそうだったな!」
「お、俺は試行錯誤して、何度も挑戦しましたよ! でも……いや、やめましょうよ、こんな言い争い。ここでは俺とあなただけが『現実世界』の人間なんです。手を取り合って、脱出方法を考えましょう」
「……そうだな。すまん」と、俺の後に池田さんも頭を下げた。
「実は、俺ももうこれで『6日目』とはおさらばし、『現実世界』に帰ろうかと思っていたんだ」
「そうなんですか? もう、未練はなくなったんですか?」
「いや、まぁ、それは、ちょっとはあるけどよ……。ただ、さっき『現実世界』で知り合っていた人間とこっちで久しぶりに会ってよぉ……まぁ、そいつは俺からしたら偽者なんだけど……それでも何か懐かしくなってな。それをきっかけに、『現実世界』の奴らのこと考えて、柄にもなくちっと寂しくなったってわけ」
俺はうんうんうなずいた。
「わかりますよ。ずっとこの数日間を生きていても、虚しさが増すだけでしょうし、かと言って『7日目』以降に進んだら、命を落とす危険も出てきそうだし……」
そこで、池田さんが呟いた。
「まあ、『現実世界』の俺たちはもう死んだようなもんかもしれねぇけどな」
「ええ? や、やっぱり、向こうの俺たちの体だって……ヤバそうなんですか?」と、俺は思わず池田さんの腕を掴み、その痩身を揺する。
「いやいや、だから俺もその辺はわからないよ。君は、大丈夫なんじゃないか? 仲間と『魔の森』に入ったんだろ? そいつらが病院なり連れて行って面倒見てくれてるんじゃないか? しかし俺は……君よりも数日も前に倒れているからな……ダメかもしれんが、もしかしたら俺の体も君の仲間が発見してくれているんじゃないかと期待しているんだ」
「そうかもしれませんよ! 希望を持ちましょう!」
俺は励ますように言った。彼に会うまでは、『現実世界』の自分の体も半分は諦めていたのだが……。
「そ、そうだよ。だから、とにかく帰還を試してみなくちゃ。『現実世界』の方の体が死んでなきゃ……例えば意識を失った状態とか、まだ生命維持がされているなら、うまくいけば戻れるだろう。とにかく、向こうの体だっていつ葬られるかわからんから、ここらで戻らないとって言いたかっただけだ」
「はあ……。そうですね」と、俺は力なく頷いた。また少し不安になってきた……。
「じゃあ、瀬戸君。とりあえず『初日』まで一緒に引き返すか? 二人同時に戻って行けば、また会える。そこで、君の試したことを参考に、二人で脱出手段を考えようじゃないか」
「そうですね! 何か、一人の時より心強いッス!」
「ハハハ……若い奴にそう言ってもらえるなんて滅多にないから、照れ臭ぇな。……じゃあ、明日……じゃなくて昨日に戻るのか? 何日だっけ? 『5日目』? 戻れたら、昼の体操終わった頃、君の住んでる……えっと……」
「俺、『ビッグドーナツE』です」
「そうか。じゃあ、あの辺りに何かみんなテント張っているだろ? 俺もその辺で野宿することにするよ」
「ありがとうございます。それじゃあ、昼の体操終わった頃、『ビッグドーナツE』前で」
そして俺たちは別れた。
『現実世界』の体がどうなっているのか、不安は尽きないが、池田さんと共に『1日目』から抜け出す方法を試行錯誤できることで少し勇気が出て来た。
池田さんと、言わば歩調を合わせなくてはいけないので、前日への遡りに失敗は許されない。
まぁ、これまでも何日も戻って『1日目』からの脱出以外はうまくいっているから、そこまでは心配ないけど、念のため『ビッグドーナツ』に戻った後のエッチな行為は向こうから誘いがあっても我慢した。寝る前の集中力を維持するためだ(ただ、お風呂はみんなと一緒に入ったけど)。
それもあって『5日目』へ遡ることに成功し、昼過ぎにアパート前で池田さんも確認した。
それからも、池田さん共々うまく行き、徐々に『変化』は消えて『現実』に近い世界を取り戻していく。




