第1121話・そして我らは死者を思った
『幻影の世界』でのこととは言え、小さくなっていた鳩ケ谷が潰れて死んでしまった……。
『グラジオラス』の身内だけ死者との対面が終わった頃、鳩ケ谷の両親と妹も『ビッグドーナツ』に到着した。
彼らと、元『牙』生メンバーが中心となって、生前の鳩ケ谷のことを語り合った。嘘のうまい鹿角を中心に、鳩ケ谷という男が、明るく面白く、情に厚く、みんなから好かれていたという人物像に偽られた。
その後、管理人の新見さんの許可を得て、訓練場で通夜が行われることとなり、話を耳にした『黒衣の花嫁』メンバーら同じアパートの住人や、先ほど別れた神栖や最上さんも改めて弔問に訪れた。
優しい性格の出水さんが静かに泣き、クレンペラーさんや朝霞さんら他の者たちも涙をこらえているようだった。
こんな時でも喪服らしいのは暗色のスカートやパンツ、帽子や手袋やスカーフ、バッグだけで、多くの者が上半身には何も身に着けておらず、不謹慎極まりないことだが、俺は弔問客の不自然に露出が多い肌を目で追っていた。
少し経ってから、琴浦の両親や同居人の鮫川、『スピリット』の丸森夫妻とその店を定宿としている篠山組、『アイラブコーヒー』のマスターと星野さん、鹿角など一部のメンバーの家族、香取先生や速見先生ら『牙』教師陣も、報せを受けてやって来た。
当然のことだが、みんな一様に沈み、お悔やみなど以外言葉少なめに帰って行った。
ちなみに、『現実の世界』で鳩ケ谷が死んでもまったく悲しまないどころか不謹慎なことを口にしかねない、冷血で空気が読めない男……鮫川も、それなりに弔問客然としていた。彼は『この世界』で、多少は友達思いの性格になっているのだ。
こうして、暗く長い一日は終わろうとしていた。
ただ、相変わらず空は黄緑色で、暗くはなっていないが。
今夜は彼の遺族が棺のある訓練場にそのまま泊まる。
そして明日、鳩ケ谷は火葬されることになった。
俺たち『グラジオラス』メンバーは明日の告別式にも出ることになったが、とにかく2階の部屋へ戻る。
当然それからもみんな悄然となっており、大浴場での入浴もいつもの賑わいはなかった。まぁ、俺だけは、黙々と混浴の時間を噛みしめていたのだが。
その後も、誰からともなく早めに就寝していく。最上さんもそうだったが、誰も性欲を俺に向けてはこなかった。まぁ、『幻影の世界』とわかっているとは言え、仲間が死んだばかりでそういう色事をしたいと思えないけど……(と言いつつ、混浴ではそちらに意識が持って行かれていたのだけれど)。
俺も窓際の自分の布団の上に行き、すでに見つけ出した今日……この7日目の5つの『変化』を思い出してみる。
『空が黄緑色』、『白鷹たち4名がアパートの同居人になっている』、『人々が苛立ちやすくなっている』、『俺の背中や尻の肉付きがよくなっている』、『魔獣が街の中に頻繁に出現』……これで5つだ。
他に、『最上さんの髪がピンク色になっている』ということもあったが、最上さんとはこの『幻影の世界』で初めって会ったから気づかなかったけど、おそらくこの『7日目』よりももっと前に(消去法で行くと初日か?)起きている『変化』なのだろう。そう決められるだけ他の5つの『変化』の方が本日からの『変化』である可能性が高いのだ。
鳩ケ谷の死の段階で、最上さんの髪色の件も合わせて5つの『変化』の発見に辿り着いていなかったら……あるいは昨日の『諸塚の坊主頭』のように微妙な『変化』が1つでもあり不安が残っていたなら、あの魔獣出現率の高い危険な街中をまだまだ歩き回らなくてはならなかったところだが、こうして早々に5つの『変化』プラスさらに一つがわかり、探索もそこで切り上げられたのは良かったと思う。
ただ、同時に、隅へ隅へと追いやっていた不安感が時折、心の中心部に靄を掛ける。
本当に、この5つの『変化』が、ファイナルアンサーか?
昨日のような勘違いはないのか?
大前提に、この方法で果たして本当に昨日へ、そして『現実世界』へ戻れるのか?
俺はこの『世界』に入り込んでしまってから、一度も池田さんが言うような前日に戻ることができていないじゃないか?
「……ああ~……いかん、いかん!」と、俺は一人こぼし、かぶりを振った。
傍の布団で横になっている美咲たちは反応をしなかったが、俺の足元の方にあるケージにいたケルベロ・キャットは、ゆっくり出て来て俺を見上げた。
「大丈夫?」
「ああ、すまん、カンナ。起こしちゃったか?」
「うん? 僕、カンナじゃないよ。タマだよ。カンナとはずっと前に替わっているよ?」と、ケルベロ・キャットのタマが言った。
「ああ、そうだったのか。とにかく、大丈夫だ。ちょっと寝る前にトイレ行ってくる。お前は心配しないで寝てくれ」
俺はタマの頭を軽く撫でてから、立ち上がり、部屋の奥のトイレへ向かった。
トイレの洗面台の前には白鷹と目黒さんがいて、手を洗っている。
「あ……し、失礼」と言いながら、俺は手前の個室に入ろうとしたが、目黒さんが「待って!」と止めた。
「そ、そこは私がさっき使ったばかりだからやめてほしいわ……。他にもあるんだから、そっちに入ってよね」
いつもより言い方がきついのは、彼女と白鷹の性格が入れ替わったようになってしまっているからだ。
それは昨日……6日目に起きた『変化』の一つだ。だから、これはみんながイライラしているという今日からの『変化』とはあまり関係ない(白鷹は元々いつも俺にはこんな態度だから)。
一方、目黒さんの性格になっている現在の白鷹は、やや恥ずかしそうに言った。
「そこも……私が使ったので……。できれば向こうの端のトイレを使ってください」
「……わかったよ」
手前から2番目のトイレに入ろうとした俺は白鷹に止められ、結局奥の個室へ入ることに。
「まったく……。瀬戸君がいるだけでトイレも使いにくいわ」と、白鷹の性格の目黒さんが溜息をついたのが聞こえる。
構わず個室トイレのドアを閉めた俺は、小便をする。
「き、汚い音ね!」と、目黒さん。
「め、目黒様……。それなら、耳をそばだてるのは、ちょっと……」と、白鷹の声。
「そ、そばだてていないわよ! あんな大きくて下品な音を鳴らされたら、どうしても耳に入って来るでしょう?」
ヒートアップする目黒さんの声を聞きながらも用を終えた俺は、水を流してまた外へ。
にらみつけるような目黒さんの目と合った。
「い、いや……君たちももう手を洗ったんだろう? いつまでもここにいなくても……」と、俺は苦笑い。
汚いものを見るような目で俺の手を見る(実際今の俺の手は汚いけど)目黒さんの横を進んで、水道で手を洗う。
「言われなくてもわかっているわ。……でも、その~……」
目黒さんは続きを言い淀み、白鷹へ助けを求めるような視線を送る。立場が逆であれば、よく見る光景だ。
目黒さんの言いたいことをくみ取った様子の白鷹は、少し躊躇いを見せつつも言った。
「瀬戸君……。すぐには眠れないみたいですね?」
「え? ああ……鳩ケ谷が死んじゃったからってことで? う~ん……まあね」と、俺。
ただ、本当はそれよりも昨日にうまく戻れるのかが不安になっているだけだが。
「実は、私たちも……。先ほどから何度か寝ようと思っても、やはり元気だった鳩ケ谷君の姿が思い出されて、悲しくなり、うまく眠れないのです」
「わ、私は白鷹につき合っているだけよ? 鳩ケ谷君のことは、それは残念だけど、眠れないというほどでは……」と、目黒さんはやはりいつもの白鷹のように言い訳がましく言った。
「そうなんだな……。まぁ、あんな奴でも、死んでせいせいするってほどに嫌な奴でもないしなぁ、かろうじて……」と、俺は苦笑い。
「ええ。……ただ、目黒様は瀬戸君のことも心配されていて……」
「わ、私が? ってことにするの、白鷹?」と、目黒さんは顔を紅潮させる。
「俺のことを?」と、俺も訝るように二人を見る。
「わ、私は別に……」と視線を逸らす目黒さんとは対照的に、白鷹は頬を紅潮させながらも真っすぐこっちを見据え、強くうなずいて言った。
「ええ。友人である鳩ケ谷君を、それも目の前で喪い、瀬戸君はかなりショックを受けているでしょう。ずいぶん落ち込んでいられるのでは? 多分、すぐには忘れられず、寝つきの悪い日々も続くことでしょう。当然、鳩ケ谷君も不憫ですが、思い悩んで生きて行くことになる瀬戸君も、私たちは心配です。あなたは、生きておられますから、まだ私たちにも何かをしてあげることができます。そして月形さんと水巻さんも含め、考えていたんです。何とかあなたを励ましてあげられないか……」
「そ、それはありがたいけど、俺は大丈夫だよ、ハハハ……」
涙目で熱弁する白鷹には悪いが、昨日に戻ることができれば鳩ケ谷も生きている。さらに前日に遡って行けば、一昨日の鳩ケ谷が一昨日の鳩ケ谷の顔をして存在している。
そして『現実世界』に戻れば、真正の鳩ケ谷がおそらく今日も女性のバストやヒップを目で追って、商業誌には不向きの妄想をしているはずだ。
しかし、そんなことはつゆ知らず、目黒さんが呟く。
「無理に笑っているわ、この人……。いたたまれないわね、白鷹。やっぱり、何とかしてあげましょう」
「ええ、そうですね。……で、ですから、瀬戸君」と、目黒さんに目顔で続きを促された白鷹は、一つ間を置いてから言った。
「そういう時は、何か生への活力が必要です。瀬戸君が最も好きなことは……そうです、女性とするエッチなことじゃないでしょうか?」
「はあ?」と、俺は目を丸くする。
『この世界』に来て慣れたと思っていたが、やはり動揺させられるものだな……。
「もし、それで一時でも辛いことを忘れられそうだとか、良い疲労感が生まれて眠れると思うのでしたら、いたしましょう。私も目黒様も、他の二人も、瀬戸君となら愛し合うことができると、先に確かめていますので」
白鷹が横目で見ると、目黒さんはうなずいた。
「……構わないわ。ただ、美咲さんや東御さんのことが気になるなら、二人も誘いましょう」
彼女たちと月形さん、水巻さん、美咲、東御……。彼女たちに囲まれる妄想をし掛けたが、俺は頭をブルブル振った。
すでに二人が俺の腕に手を掛け、反対の手は俺の胸や腿を優しく撫でていたが、その手も払いのける。
「いや! こんな日に……鳩ケ谷の通夜だぞ?」
「そういう人は多いじゃない? 人との別れの悲しみを乗り越えるために、生きている者同士が生と性を確かめ合って、というのは」
「はい。珍しいことではありません」
目黒さんの意見に、白鷹が同調した。『この世界』ではそうなのかもしれない……。
そして二人はまた俺の手を引く。両手が、彼女たちの胸のふくらみに触れる。
「ゴクッ……ああ! うわああああ!」
俺は目を丸くし、叫んだ。
「え? な、何よ、突然?」
「そ、そんなに私たちとのエッチが嫌なのですか?」
「そ、それなら結構よ! こ、こっちだって、君のことを思って言ったまでで……」
目の前の二人は驚いて身を引くと、怒り顔と困り顔に変わった。
一方、俺は腰が抜けたようになって、逆に彼女たちの腕を掴んで支えとした。
「ち、違うんだ……い、今、君たちの後ろに……」
「な、何よ?」
「誰かいましたか?」
目黒さんと白鷹は、俺が指す背後……隣室へと繋がる廊下側のドアの方を振り返った。
「誰もいないじゃない?」と、目黒さんはドアを開け、廊下の左右を見回してから言った。
「いや、ドアの前に……こちら側に、鳩ケ谷が立っていたんだ!」と、俺は言った。
そう、二人の胸元から顔の方へ上がった俺の視線の先……二人の顔の間に、ぼんやりと鳩ケ谷の姿が一瞬見えたのだ。
「は、鳩ケ谷君の? そ、それって……」
「騙されないで、白鷹。この人、そんなこと言って驚かして、私たちを避けているのよ……それだけ私たちとシたくないってこと!」
「そ、そうなのですか……?」
「そんなことは……いや、こ、今夜はやっぱり遠慮した方がいいとは思うけど……とにかく、鳩ケ谷がそこに立って……」と、俺は奥歯をカチカチ鳴らしながら言った。
鳩ケ谷の霊を見たのは事実だ。まだ鳥肌が立っていて、背中などに掻いていた汗は一気に冷えている。
「あ~、悔しい! こ、これじゃあ、このわたくしがこんな人にフラれたみたいじゃない……! やっぱりもっといい人とスるべきなんだわ!」
目黒さんは金切り声で言うと、俺に冷ややかな一瞥をくれてから、反対側のドアから部屋に戻って行った。
「わ、私たちでは、満たすことができないのですね……」と残っていた白鷹も残念そうに呟き、踵を返そうとする。
「いや! ほ、本当に見たんだ!」
俺も自分でドアを開け、廊下を確認する(隣室との間にあるカーテンもめくって)。
さらに窓の外にも目をやった。夜とは言え外は明るいので、外廊下に人がいればすぐわかるが、誰もいない。
当然だ。この『幻影世界』でも、死者は甦らないし、この世からいなくなる。
それは『この世界の住人』たちの間でも常識だ。
俺の顔が青ざめでもしているからなのか、トイレに残っていた白鷹は、何か納得するようにうなずいて言った。
「わかりました。信じます。鳩ケ谷君の霊を見たのかもしれませんね」
「あ、ああ……。そういうことなんだろう」と、俺は力なく返す。
「瀬戸君は私たちよりも長く生前の彼と親しくつき合っていましたから、想いも強いのでしょう。だから、霊が見えてしまったのかもしれませんね。あと、今日、ドラゴンと戦ってもいるんでしたね? きっとその疲れなどもあるのでしょう」
「そ、そうなんだろうね。俺はこれまで幽霊の類は見たことないからさ。正直、疲れているんだ。さっきは眠れないっていう意見に同調したけど、俺は用を足したからすぐにでも眠れそうなんだ。だから……エ、エッチなことは、また今度にしよう、ハハハ……」
この日から未来に向かった『今度』という意味で言えば、それはもう訪れないだろう……と言うか、訪れてはいけない。だから、これは彼女たちを傷つけないための方便だ。
「そうですね。私も、目黒様と一緒に、頑張って眠ることにします。それでは、また……」
白鷹も小さく頭を下げ、反対側のドアから部屋の方へ戻った。
それでは、また……?
また機会があれば、エッチなことしましょう……ってことか?
俺は少しはにかみ、廊下側のドアから部屋に戻った。




