第9話・世界はそれほど広くはない
「ここから解放されるということだよ。君を含む数人の者は今日、この場所から出てもらう」
吉良の唐突な宣告に驚き、俺はしばらく言葉が出てこなかった。
何度か唾を飲み込んで、ようやく声を絞り出す。
「ほ、本当ですか? そ、それじゃあ、もうあの部屋に閉じ込められることはないんですね?」
「そういうことだな。ただ、前にも話は出たと思うが、後々また呼び出すことがあるかもしれない。その時は素直に協力するという約束をしてもらう」
とにかくあの生活から解放されるなら、その程度の約束、いくらでもしてやる。
「わ、わかりました。約束します。まぁ、何日経っても役に立つ話はできないと思いますけど……」
「ククク。それもそうだな。しかし、一応そういうつもりでいてくれ」
俺は力強く頷き、そして自由になれることを素直に喜んだ。
背後に立つ金髪男が、やや呆れた声音で言った。
「逆を言えば、お前たちは役に立たなかったってことなんだけどな……」
「ハハハ、まぁ、そうですね。あ……それで、俺の他にも今日解放される人がいるんですよね? 誰ですか?」
金髪男に訊いたのだが彼はそこで口を閉ざし、今話をしているのは私だとでも言うように吉良が少し声のボリュームを上げた。
「数名いるが、知る必要はない。元々君たちに横のつながりはないだろ? ……まさか、あの短い集まりの期間に気になる女性でもできたかな?」
「あ、いや……」と首を振ったが、本当は藍住さんの顔が頭を過っていた。
「まぁ、運が良ければ外で会うことができるさ。新たな情報提供に期待できる者は、もう少しここに残ってもらうが、彼らともいつか再会はできるんじゃないかな」
「いやぁ……それは難しいでしょう。世界はそんなに狭くないと思うし……」
俺は何気なくそう言ったが、吉良は小さな眼鏡の奥の瞳を細め、やけに考え込んだ表情を見せた。
そしておもむろに窓際へ歩み寄った。
「ここへ来て外を見てみたまえ、瀬戸君。世界はそれほど広くはない……」
吉良の言っている意味がよくわからず、振り返って長田たちの顔を見た。
丸坊主は相変わらず我関せずという顔をしているが、長田と金髪男は揃って窓際を指差し、吉良の指示に従うよう促した。
俺は言う通りに、机の横を通って、吉良が立つ窓際に寄って行った。
そして窓の向こう側に視線を送る。
「……! ああああ?」
眼下に広がる基地のような敷地。
その先に高くそびえる塀。
そして更にその先、下からは見ることができなかった塀の向こう側の風景に、目を奪われ絶句する。
塀の先に広がっていたものは、俺のいた東京の街ではない。いや日本ですらなかった。明らかに外国と思われる街並みが広がっていたのだ。
ビルのような高い建物は見えないし、瓦屋根や藁ぶきの屋根、レンガ造りの家々、奥にはのどかな田園風景……。
ところどころ和風の家も散見できるが、全体的にはヨーロッパの国の田舎町のようだ。
「遠くを見たまえ。『世界の果て』も見えるはずだ。街を囲む外壁……」
俺は吉良の言葉を遮って叫んだ。
「ど、どこの国だよ、ここ? 俺たちを運んだって言っていたけど、外国だったのかよ! ここから日本に帰れって言うのか? どうすんだよ、パスポートなんかもないんだぞ?」
「フッ、パスポート、か……。それは必要ないだろう」
吉良が嘲るように言ったので、少し腹が立ったが、すぐにその余裕の意味を理解した。
「……そうか。連れてきた時みたいに、ちゃんと送り返してくれるんだな? まだこの目で確かめたわけではないから信じ難いけど、魔溜石の力ってやつで瞬間移動させることができるんだな?」
納得して一息ついた。ヨロヨロしながら窓に背を向け、机にもたれかかった。
しかしすぐに、部屋を満たしている静寂の中に重苦しいものを感じ取って、長田たちの方を見た。
彼らは一様に床へ視線を落とし、黙っている。まるで俺の視線を避けているようだった。
吉良は遠くに向けていた視線を少しだけこちらに向けて口を開く。外光を受けて、メガネが不気味に光った。
「残念だが、君を元いた場所に送り返すことは今のところ不可能だ」
「え? え? な、何ぃ?」
「君たちの移動に使われた魔溜石のエネルギーというものが莫大だったからな。次にその量を溜めるのには時間が掛かるのだ」
「フ、フザけるなよっ! わざわざこんな所にみんなを集めるからだろ? 見たところほとんど日本人だったよな? あんな尋問なんて日本でもできただろ……?」
吉良に詰め寄ると、長田が駆け寄り、二人の間に割って入った。
「落ち着け! それ以上興奮するようなら、またこの剣を使うことになるぞ?」と言って、俺の首根っこを掴んでいる手とは逆の手で、自身の腰の剣に触れた。
「な、何だよ……また眠らせる気かよ?」
俺がびびって身を引くと、吉良はまたメガネを押し上げながら、あくまで冷静な口調で言った。
「いや、ここでまた君を眠らせても仕方がない。君がもしも暴れたなら、彼らにやってもらうことは『鎮静』だな」
「鎮静……? 鎮静剤みたいなものを打つって意味かよ?」
「君をこの部屋に呼んだのは、解放することを言い渡すのと同時に、君にとっていくらかつらい話をするためだ。寝てもらっては困るからな」
「つらい話……って何だよ? 海外に連れて来られていたってだけで充分キツいんだけど?」
「海外ならばいいではないか、瀬戸君。それくらいの距離だったら、我々も君たちを元いた場所に帰すことはできるさ」
吉良のその言葉がよく理解できず、しばらく沈黙が部屋を覆った。
それでも結局意味が分からず、問いただす。
「……どういう意味だよ?」
「そのくらいの移動なら、我々が今持っている魔溜石の力があれば問題なくできる。しかし……この場所と君が元いた場所には、その何十倍、いやそれどころではないな……もっとだ。とてつもない距離があるのだ」
「え……?」
頭の中が混線し、それしか声が出せない。
すると壁際に立つ金髪男が、アメリカの販促用のマスコットキャラクターみたいな小馬鹿にした目つきをして声を掛けてきた。
「そこまでくれば、察しがつきそうなもんだけどなぁ。君のいた日本から見て、海外よりももっと遠い場所ってどこよ?」
「……う、嘘だろ?」
体に電撃が走り、はっきりと言葉に……いや、声すら出せていたのかもわからない。
吉良は少しの間こちらの様子を窺い、さまよっていた俺の視点が何とか一点に定まるのを確認すると、落ち着いた声音で告げた。
「ようやくわかってもらえたかな? 今すぐに君たちを元いた場所に帰すことができない理由を……。そうなのだ。ここは、地球ではない。地球から遠く離れた『惑星サライ』という場所だ」
「わ、惑星サライ……」
おうむ返しに呟いた。
吉良が事実を告げる前に、頭の中ではその考えが浮かんでいたが、改めてはっきり言われると再び血の気が引き、めまいが起きた。
吉良が机の引き出しから双眼鏡を取り出し、こちらへ突き出した。
「この双眼鏡は性能がいい。これでもう一度外を見てみるといい」
わずかに震える手で双眼鏡を受け取り、言われるがまま覗いてみる。
「街並みのもっと奥、街を囲むように外壁が見えるだろう? さらにその先も見えるはずだ」
吉良の解説通り、街並みの向こうに石を積み重ねた壁が見える。
その先にはぼんやりと草原のようなものが広がっている。
さらにその先に、赤黒い土や岩が目立つ、寥々〈りょうりょう〉とした枯れ野が広がっている。
遠くの空には微かに黒い稜線が見える。
地球にも似たような景色はあるだろう。しかし街の向こう側に広がる風景には、何とも言い表せない不気味な雰囲気が漂っていて、SF映画などに出てくる異星を連想させるのは確かだ。
それでも、俺の知る世界は狭いのだ。
地球の僻地に行けば、こんな感覚を受けることもざらにあるはずだ。
だが、この吉良という男がここで無意味な嘘をつき、俺の神経を逆なでして得があるとは思えない。
自分でも不思議なことだが、この男の言葉を疑うよりも、納得する方が早かったのだ。
ここは地球から遠く離れた……『惑星サライ』。
双眼鏡を吉良に返すと、その場に頽れそうになった。
背後に立っていた長田が、とっさに俺の体を支え、絨毯の上に座らせる。
しばらく俺はそのままの体勢で、絞りに絞られ役目を終えたレモンのようにぐったりしていた。




