40.橋に便所か
ドーリは傍で曖昧な表情のネカハに気付いた。
水洗便所に喜んで盛り上がっているのか、自分を置き去りに別の話題で盛り上がってるのか、どちらか分からないのだろう。
軽い調子で彼女に話しかける。
「この辺りでしたね。昨晩は失礼しました」
「……え!?」
その言葉にネカハは凍りついた。
昨夜の行動を思いかえす。そう、エルイが家に来て晩御飯の最中から色々な話をしてくれた。そのため外が明るい内に行けなかった。
完全に日が落ちてから橋の袂の建物に向かったのだ。そこで誰かにぶつかった記憶が蘇る。
え? もしかして昨夜ぶつかったのってこの人?
そう言えば大きい男の人だった気がするわ。あの時はもう「危なくて」焦ってたもんね。ちゃんと確認してなかったわよ。
それにとっても硬かった。あの金属鎧にぶつかってたの? うん、だから痛かったのね。って違うでしょ。
ここでぶつかったのよ。昨夜の時点ではこの建物がどういった場所か知らなかったでしょ。だから気にしてなかったと思うわ。……でも今は?
私ってば自慢げに、この建物の意味を説明しちゃったよね。何を焦っていたのかも気付かれちゃったよね。
一気に顔を青くして立ち竦むネカハに気付く。
例え子供でも、いや思春期くらいの年の女の子だからこそ不味い事を言ったと思い至ったのだろう。
ドーリが話題を変えるべく声をかけた。
「川向こうの畑を見てみたいのですが、ご案内願えますか」
「……はい」
ネカハが案内を了承する。今度は赤く頬を染めている。
そして橋を渡りながら、この橋についての説明を始めた。
「えっと、この橋も十五年前に冒険者さんが建て替えてくれたそうですよ。それから落ちることも無くなって助かってるんですって」
それを訳すと、ドーリ以外の三人が慌てて走り出した。そして渡り終えた先で上流と下流に別れて、更に三メートルほど離れた所まで進んだ。
そこから橋の状態を眺めて肯き合っている。
ドーリはネカハに歩調を合わせてゆっくりと橋を渡っていた。
一体何事と焦る彼女に、あの三人は馬鹿なので喜んで駆け回ってる犬と同じ、気にしないでいい、と告げていた。
対岸に着いたところに走り出した三人が戻ってきた。
「見事な上路式のアーチ橋だな」
「木製のアーチ橋で十五年って凄いと思うんだけど」
「素材によるけど二十年くらいはもつんじゃないかなあ。防腐やらの処理がしっかりしてれば四、五十年いけるそうだしねえ」
「なかなか頭のいい転移転生者だな。橋に便所か」
「トイレは川の上でするだけ、橋も大きな板を渡しただけに見えるしねえ。ほら、川の真ん中に橋を支える杭みたいなのが見えるけど、あれ全く荷重掛かってないよねえ」
彼等は十五年前の転移転生者の仕事に感心していた。
ノーフォーク農法や千歯扱き、水車などの道具、つまり生産性の向上を図るようなことには手を付けずにいることに対して。
大きな街には石造のアーチ橋があるだろう。衛生的なトイレもあるのかもしれない。だが辺境の村にとっては物凄く喜ばしいことに違いない。
この世界の者でも思いつけそうな水上便所。目晦ましの杭を立ててアーチ構造を隠した木製橋。ちょっと便利程度だが実はとんでもない事を行っている。
水上便所のおかげでこの村の疾病率は低いだろう。
アーチ橋のおかげで相当の重量物でも川向こうとやり取りできるだろう。
目立ちたくない転移転生者のちょっとした礼としては文句ない仕事ぶりだ。
彼等はそのまま畑の端に向かってゆっくり進み続ける。
ネカハはこの辺りで栽培している植物についての説明をしている。
この村で主力として栽培しているのは大麦だが、当然それだけを作っている訳では無い。野菜畑もあるし果樹を植えている場所もある。
川を越えたこちら側はそういった雑多な畑が多いそうだ。
キャベツ、タマネギ、ニンジンは分かる。しかしトマトが植えられているのはさすがに驚きだった。やはり地球と植生が違うのか、もしくは新大陸が発見されているのかもしれない。それにしてはジャガイモが無いようなのは疑問だ。
ネカハに尋ねても昔からそうだったと答えるだけで分からない。知りたければ、やはり商人のエルイに確認すべきだ。
果樹のほうはリンゴと洋ナシが植えられているそうだ。ミカンやブドウは知らないらしい。やはり地球の欧州で言う所の高緯度地方なのだろう。
厳密には姿形や味が似ているだけの、全く別種の野菜や果物なのだろうが。
五、六百メートルほど進むと畑の端に辿り着く。その先は掘り起こされて土肌が剥き出しになっていた。五十メートルの幅はあるだろう。ネカハに尋ねると開墾中とのことだ。冬場や農作業の合間に広げているのだろう。
畑の端沿いに下流の方に向きを変える。その先が果樹園になっているそうだ。
ドーリは下流側の端に果樹園がある理由を尋ねた。
ネカハは少し沈鬱な表情をしながら答える。
この果樹園辺りが魔の森から十五セタローの距離で限界点なのだ。ここから下流方向への開拓は危険なので出来ない。元々柵の代わりの意味もあったのだと。
上流側は五百メートルを越えた先は岩山のようになっていて開拓が難しい。河の両岸側を開拓するしかないが、あまり伸ばすと水が届かなくなるそうだ。そのせいで村の規模の拡大が出来ないのかもしれない。
森へは年に数回程は男集が総出で樹を切り倒しに行くそうだ。薪や、家と家具の修繕に使うために。
だが五年前に果実の採取をしていた男が魔の森から出てきた魔物に襲われて亡くなった。村の唯一の未亡人、護衛達が通った家に住む者がその男の妻だったと。
さすがにそれ以上突っ込んだ事を聞く気も無い。
そのまま果樹園の端まで歩いていった。
果樹園の先は十メートルほど下草が処理されて、雑草との境目辺りに腰辺りの柵が延々と川の方に続いている。
近付くと村の柵と異なり新しいようだ。その男が襲われてから新しく作成されたのだろう。
十五セタロー、彼等の感覚だと五キロと言ったところか。相当離れているようにも思えるが、野生動物や魔物にとってはようやく鼻先以上の距離なのだろう。
草さえなければ人ですら歩いて一時間程度の距離なのだ。長距離ランナーなら十五分も掛からないに違いない。
だが現在の彼等の目には、遥か先ぎりぎり地平線に薄っすら濃緑が見える程度に過ぎなかった。
しばらくその景色を四人の青年と一人の少女は眺め続けた。
ふいにゴローが柵の上に登った。
何かを探すように魔の森の方を見回している。
ネカハはどうしたのかなあ、高い所に登って眺めたいのかなあと、ぼんやりその様子を眺めている。
しかし柵の上に立つゴローを除く三人は、何かを察したのか身構えていた。




