3話【初めて見る世界】
◇ ◇ ◇
セリオスは管理画面に並ぶ記録を確認しながら、先ほどのディネスとの会話を思い返していた。
『でも、それも自分で経験してみないと分からないですよね?』
あのときのディネスは、何を言っても考えを変えそうになかった。
(地上で暮らしてみたい、か)
あいつの好奇心には、これまで何度振り回されてきたことだろう。今回もすぐに諦めるとは思えないが、オルディア様にまで断られた以上、さすがに無茶はしないだろう。
「……まったく、世話の焼ける奴だ」
セリオスは小さく呟き、目の前の記録へ意識を戻した。
次々と届く情報に目を通し、各地の生命の動向を確認していく。
そのときだった。
ピコンッ、ピコンッ!
突然、警告音が鳴り、目の前に赤く点滅する管理画面が現れた。
「……何だ?」
セリオスは作業の手を止め、表示された内容に眼を向けた。
そこには、ディネスの名とともに、緊急降下が実行されたことを知らせる通知が表示されていた。
「……は?」
思わず声が漏れる。
次の瞬間、セリオスは勢いよく振り返った。
視線の先には、少し離れた場所に立つディネスの姿があった。
その足元には複雑な光の輪が広がり、すでに回転を始めている。
「ディネス!」
セリオスが声を張り上げると、ディネスは驚いたように振り向いた。
「せ、先輩!?」
ディネスの慌てた声を聞きながら、セリオスは足元の光の輪に眼を向けた。
すでに術式は起動している。止めるなら、今しかない。
「お前、緊急降下を使ったのか!」
返事を待つ間にも光は強まり、ディネスの身体を包み始めていた。
セリオスは急いで彼女との距離を詰め、手を伸ばした。
「待て、ディネス! 今すぐ――」
「せ、先輩! ごめんなさーーーーーーーーいっ!!」
ディネスが勢いよく頭を下げた、その瞬間だった。
光の輪がひときわ強く輝き、彼女の姿を覆い隠した。
あと少し。ほんのわずかに指先が届けば、止められるはずだった。
だが、セリオスの指先が触れるよりも早く、光はかき消えた。
そこにはもう、ディネスの姿はなかった。
「……あいつ、本当にやりやがった」
セリオスは伸ばした手をゆっくりと下ろし、ディネスが消えた場所を見つめた。
まさか、オルディア様に止められたその日に、緊急降下まで使うとは……
「……くそっ!」
セリオスはすぐさま管理画面を呼び出し、ディネスの降下記録を開いた。
降下方式――緊急降下。
帰還操作――不可。
分かっていたことだ。
それでも、こうして記録に突きつけられると、改めて事態の深刻さを思い知らされた。
セリオスは管理画面から眼を離し、深いため息をついた。
「……まったく、どうしてこうなる」
愚痴をこぼしたところで、ディネスが戻ってくるわけではない。
オルディア様にも通知は届いているはずだ。まずは状況を報告し、今後の対応を相談しなければ。
セリオスが連絡を取ろうとした、そのときだった。
目の前に新たな管理画面が開き、聞き慣れた声が響いた。
「セリオスよ。少し話がある」
「オルディア様……」
セリオスが管理画面に眼を向けると、そこにはオルディアの姿が映し出されていた。
「ディネスが緊急降下を使ったようだな」
「はい。止めようとしたのですが、間に合いませんでした」
セリオスは先ほどまでディネスが立っていた場所に眼を向けた。そこには、もう何の痕跡も残っていない。
「申し訳ありません。私がもっと注意していれば……」
「お主が謝ることではない。あれが勝手にやったことだ」
オルディアは終始落ち着いた口調だった。その赤い眼も、普段と変わらずセリオスに向けられている。
緊急降下の仕組みは、セリオス自身もよく理解している。一度地上へ降りてしまえば、こちらから呼び戻すことはできない。
それでも、オルディア様なら何か方法をご存じかもしれない。そんな淡い期待が、どうしても捨てきれなかった。
「……オルディア様。ディネスを呼び戻す方法は、本当にないのでしょうか?」
オルディアはわずかに間を置いた。
「ない。緊急降下が完了した以上、こちらから呼び戻すことはできぬ」
予想していた答えだった。
それでも、セリオスはすぐには言葉を返せなかった。
「まったく……あれほど止めたというのに、何を考えておるのだ、あやつは」
管理画面の向こうで、オルディアが呆れたように呟いた。
セリオスも同じことを思っていた。
ディネスの行動力には何度も驚かされてきたが、今回ばかりは笑って済ませられない。
セリオスが次に何をすべきか考えていると、オルディアが口を開いた。
「こうなってしまった以上、あやつが戻ってくるのを待つほかあるまい」
セリオスは黙ってその言葉を受け止めた。
戻ってくる。
それが何を意味するのか、二人とも理解している。
ディネスが再びこの場所へ戻るには、地上で命を落とすしかないのだ。
いくら知識が豊富でも、地上での暮らしを何も知らないディネスが、無事に過ごせる保証はない。ましてや、緊急降下では使徒の権能も使えないのだ。
「……あいつ、大丈夫でしょうか」
口にしてから、答えの出ない問いだと気づいた。だが、こうして心配しているだけでは何も変わらない。
セリオスは傍らに表示されたディネスの降下記録へ眼を向けた。
まずは、ディネスがどこへ降りたのか確認しなければ。
セリオスは降下記録を操作し、ディネスが指定した地点を地図上に表示させた。
浮かび上がった地図には、広大な森林地帯が映し出されている。近くには街もあったが、降下地点を示す印は、街から離れた森の内部にあった。
「……なぜ、こんな場所を選んだ?」
思わず漏れた言葉に、オルディアも画面越しに地図を確認した。
「……森の中か」
「はい。人里から離れた場所です。魔物に遭遇する可能性もあります」
セリオスは地図に表示された印を見つめた。
地上の危険を知識としては理解しているはずのディネスが、なぜわざわざこんな場所を選んだのか。
考えても、あいつのことだ。きっと大した理由などないのだろう。
セリオスは地図を閉じると、地上の様子を映し出す管理画面を開いた。
画面には木々が生い茂る森が映し出された。枝葉が幾重にも重なり、地面にはところどころしか日の光が届いていない。
セリオスが視点を動かすと、木々の間に小さな人影が見えた。見間違えるはずもない、ディネスだった。
「……まったく、手のかかる奴だ」
その呟きを聞いていたオルディアが、静かに口を開いた。
「セリオスよ。あやつの行動に、お主まで振り回される必要はない。己の務めを忘れるでないぞ」
「……はい。承知しております」
返事を聞いたオルディアは、それ以上何も言わずに通信を終えた。
セリオスは再び画面に眼を向けた。
つい先ほどまで隣で仕事をしていた後輩が、今は遠く離れた地上にいる。しかも、本人はこれから何が待ち受けているのか、少しも分かっていないのだろう。
セリオスは小さく息を吐いた。
「……頼むから、無茶だけはするなよ。ディネス」
◇ ◇ ◇
ふわりと、頬を撫でる風を感じた。
「……あれ?」
ディネスはゆっくりと目を開けた。
目の前には、見上げるほど大きな木々が立ち並んでいた。頭上では枝葉が重なり、その隙間から差し込む陽光が、地面にまだらな模様を描いている。
どこからか鳥の鳴き声が聞こえ、足元では草花が風に揺れていた。
「……わぁ」
思わず声が漏れる。
管理画面越しでは気づかなかった色や音が、次々と飛び込んでくる。ディネスは何から確かめればいいのか分からず、しばらく周囲を見回していた。
やがて足元の草に興味を引かれ、そっとしゃがみ込んで手を伸ばした。
指先で葉に触れると、ひんやりとした感触が伝わってくる。試しに軽く撫でてみると、葉は柔らかくしなり、指を離すと元の形に戻った。
「……ふふっ」
なんだか嬉しくなって、思わず笑みがこぼれた。
立ち上がって大きく息を吸い込むと、湿った土と草木の匂いが胸いっぱいに広がる。風が吹くたびに木々がざわめき、長い銀白色の髪がふわりと揺れた。
(これが……地上の世界!)
ディネスは胸の高鳴りを抑えきれず、その場でくるりと一回転した。
見渡す限り、緑が広がっていた。
木々の間には色とりどりの小さな花が咲き、苔むした岩や倒木にも、柔らかな緑が広がっている。どちらを向いても美しい景色が続いていて、ディネスは目を奪われた。
ふと見上げると、枝葉の隙間から青い空が覗いていた。ゆっくりと流れる白い雲を目で追いながら、ディネスはしばらくその場に立ち尽くした。
(すごい……こんなに綺麗だったんだ)
何度も眺めてきた世界なのに、知らないことばかりだった。
ディネスは嬉しそうに両手を大きく広げた。
「……来てよかった!」
その声は、木々の間に明るく響いた。




