イートン校の魔導書
イートン校での生活が始まって一週間。
エースは、周囲の「はずれ者」を見るような冷ややかな視線を、徹底して無視することで過ごしていた。
彼のルーチンは単純だ。午前中は形式的な講義に出席し、午後はアンナと共に学園の巨大な中央図書館に引きこもる。時折、アンナに召喚術の基礎訓練をさせつつ、自分は前世の知識とこの世界の魔導書を照らし合わせる作業に没頭していた。
だが、エースが学園に来た目的は、単なる知識の収集だけではない。
(……神からのミッションはぼちぼちやるとして。僕にとっての最優先事項は、将来の『駒』を揃えることだ)
エースは図書館の窓際で、生産魔法で作った特殊な万年筆を動かしながら、学園内の人間関係をマッピングしていた。
ランカスター家は現在、准男爵という低位の貴族に過ぎない。しかも宿敵ヨーク家との対立は激化している。家門を守り、さらには自分の研究を国家レベルで保護させるためには、強力な協力者が必要不可欠だ。
(政治を司る文官貴族の子弟、軍の中枢を担う武官の跡継ぎ、教会の利権に繋がる神聖魔法の使い手、そして……大陸の富を動かす金融界の重鎮。それらとのコネクションを、この四年間で作る)
エースはあえて、目立たない存在を演じていた。
王族のエリザベスが率いる「正統クラス」は、常に衆人環視の中にある。だが、エースのいる「特殊クラス」には、実は複雑な事情を抱えた子弟が多い。
神聖魔法を継承しながら権力闘争に敗れた次男や、生産魔法の才能がありながら商家の養子に出された貴族の娘。彼らは一様に、四属性至上主義のこの学園で、煮え湯を飲まされている。
「エース様、あちらのテーブルの方々……先ほどからこちらを伺っていますが」
アンナが小声で告げる。
視線の先には、軍事大国の名門の子息だが、闇魔法の適性が高すぎたために「呪われた子」として疎まれている少年がいた。
「いいんだ、アンナ。今は泳がせておこう。まずは、僕たちが『無害だが有能な変人』であることを認識させるだけでいい」
エースの戦略は、前世のプロジェクトマネジメントに近かった。
まずは「おとなしく学校に通う」ことで、周囲の警戒心を解く。そして、彼らが壁にぶつかった時――例えば、既存の魔法理論では解決できない事象に直面した時――、さらりと「物理学に基づいた解答」を提示する。
そうして恩を売り、論理の力で彼らの心を掌握する。それが、エースが描く静かなる征服のシナリオだった。
夕暮れ時、図書館を出ようとしたエースの前に、一つの人影が立った。
それは、入学式で壇上にいたエリザベス・テューダーだった。彼女の背後には、護衛と思われる屈強な学生たちが控えている。
「……貴方が、ランカスター家のエースね」
彼女の氷のような美貌が、エースを射抜く。
「『はずれ魔法』のクラスに入ったと聞いたけれど、貴方の目、絶望しているようには見えないわ。むしろ、この学園の全てを冷笑しているように見える。それはなぜ?」
エースは内心で舌打ちをした。
(予想以上に勘が鋭いな、王族というのは)
だが、彼は完璧な「無能な次男坊」の微笑みを張り付かせ、慇懃に一礼した。
「滅相もございません、エリザベス様。私はただ、自分の適性に見合った場所で、分相応に学んでいるだけです。生産魔法で、美しい花瓶を作るコツでも考えながらね」
エリザベスは鼻を鳴らし、エースの横を通り過ぎる。
「……嘘つき。まあいいわ。その正体、いずれ暴いてあげる」
彼女が去った後、エースは深く息を吐いた。(エリザベスは世界が変わっていなければ、次期国王になるはずだ。あちらから気に掛けてくるのは、好都合だ。)
「アンナ、計画を少し前倒ししよう。おとなしくしている期間は、思ったより短くなりそうだ」
「はい、エース様。いつでも準備はできております」
学園という名のチェス盤。
はずれ魔法しか持たないはずの駒が、密かにキングを追い詰めるための布石を打ち始めた。
エース・ランカスターの、真の意味での「学園生活」が、今、幕を開けた。




