第16話「狂宴のスカーレット――令嬢、舞台を取り戻す夜」
王都の噂はやや沈静化していた。女王の一件がまだ尾を引いているとはいえ、人々の関心は次第に雑事へと移り、貴族たちの茶会も、民の井戸端も、かつてのような熱狂を取り戻してはいない。セレスティア・ハイラントは、自分の名が“旬”を失いつつあることを感じていた。だが、彼女の胸にあるのは焦りだけではない。舞台は生き物だ。動かさなければ、客は去ってしまう。
「これは――また私が動く時ね」
ルシアの包帯の端をいじりながら、セレスティアは鏡の中の自分を斜めに見た。赤と黒の混じる衣裳の似合う顔がそこにある。彼女は心の中で計を練る。注目を再び集めるための表向きの理由は慈善と演劇──だが裏には確実な狙いがある。黒月や残党の動きを暴き、偽の証拠製造や印章複製の拠点を一網打尽にするための舞台装置だ。
王太子アレクシスの協力は大きかった。王宮の情報網が公的な支援を示せば、行動には重みが出る。街の広場での催しは公認のもとに行われ、同時に軍と治安部隊が影で待機する。セレスティアはそれを「断罪を望む令嬢が、救いを届ける日」と銘打って、広場の中心に立つことにした。
祭りの朝、広場は色と音で満ちていた。屋台、曲芸、民衆の笑い。セレスティアは鮮やかな赤の外套を羽織り、観衆の前で誇らしげに礼をする。彼女は慈善箱を開き、医薬や食料を配りながら、舞台では短い劇を披露した。劇は過去の事実を下敷きにした再現劇で――黒月の所業を露わにする形に演出されている。民の目は次第に引き戻され、昔の熱がゆっくりと戻ってくるのを、セレスティアは確かに感じていた。
その最中、舞台裏の端でセレスティアの視線は不自然に動く一団を捉えた。大道具を運ぶ素振りの奥で、小包が手際よく受け渡されている。衣装に紛れた印がちらりと見えた。それは黒帆商会につながる模様──既に把握している印影と酷似している。
小さな合図で、ルシアが動く。王宮護衛と連携し、不審な一団をさりげなく包囲した。だがその時、予定になかった小さな爆発音が広場に鳴り響く。演出の煙玉だと誰もが思った瞬間、音はより不安な響きへと変わり、人々のざわめきが広場を満たす。幸い演出側の安全対策が功を奏し、大事には至らなかった。それどころか、煙の中から浮かび上がったセレスティアの赤い姿は、劇的な一幕になった。民衆の喝采は一気に高まり、話題は瞬く間に王都の隅々へ走る。
護衛は不審者数名を確保し、取り押さえた者の一人は口を割った。聞けば、翌夜に港の倉庫区で別口の供給が行われるという。彼の手には薄紙に押された赤い印があり、その印影は先に得ていた上位指令の印と一致するように見えた。セレスティアは冷たい満足を覚えると同時に、倉庫捜査の段取りを確かめた。
夜半、ランプの示す倉庫区。月は薄く、影が深い。セレスティアはルシア、サミュエル、そして王太子の近衛数名とともに静かに進入する。倉庫の中は想像以上に用意周到だった。箱の中には薬品、鏡の破片、そして印章複製の材料が詰め込まれている。黒月は鏡だけでなく、偽の証拠や印影を大量生産する準備を進めていたのだ。
「これがあれば、いくらでも真実を捻じ曲げられる」サミュエルが低く呟く。セレスティアは小さな札を手に取り、熟考した顔でそれをじっと見た。だが倉庫の一角には、白い手袋が整然と置かれ、その掌先に細い血の斑が付いているのが目に入った。新しい血だ――誰かが最近ここで傷ついたのだ。
物音がして、闇から一人の男が現れた。黒いコートに帽子。静かに帽子を取り――そこにいたのはリュシアンだった。いつもの冷笑を浮かべつつも、彼の表情にはわずかな苛立ちが混じっている。
「派手になったね」彼は静かに言う。だが今回は、ただ傍観しているだけでは済まないらしい。リュシアンは倉庫の配置をざっと見渡し、そしてぽつりと告げた。「ここは僕の“友人”たちを脅して作らせた場所だ。だが、どうやら誰かが手を伸ばして“度を越した”らしい。混乱が計画を逸脱している」
セレスティアは刃を向けずにまっすぐ問いかける。「誰がその上にいるの?」
リュシアンは目を細めて笑った。「それが分かれば苦労はしないさ。だが確かなことがある。王宮の内側に、もう一枚の仮面を被った連中がいる。彼らは“イメージ”を武器にする。印章も、鏡も、偽りの証拠も――すべては道具だ」
その言葉の意味は重い。セレスティアは倉庫の箱を一つ一つ調べ、印影のデザイン、蝋の癖、紙の繊維まで確認した。確証に近い手がかりが次々と集まり、彼女の胸には冷たい決意が灯る。
だがその夜、もう一つの出来事が起きた。舞台の効果と倉庫の摘発によって、街の注目は再びセレスティアへと集まった。屋台では子供たちが彼女を模した紙芝居を作り、商人は彼女の話題で売り上げを伸ばし、貴族たちは茶会の話題に彼女を挙げる。注目は戻った。だが注目が戻ると同時に、新たな問題も芽吹く。偽の証拠が大量に生産されているという事実は、誰もが思った以上に深刻だ。民心を揺さぶる道具が、すでに街の隅々にまで散らばっている可能性がある。
その夜半の倉庫で、セレスティアはふとした瞬間にアレクシスの手が自分の手に触れたのを感じた。静かな「よくやったよ」という声。それは彼女の心を一瞬和らげる。だがルシアはすかさず二人の間に割って入り、その場面をコミカルに和らげてみせる。民の前の強さと、舞台裏の人間臭さ――二つの軸が交差する瞬間が、思いがけない親しみとなって広まっていく。
しかし夜はまだ終わっていない。倉庫の押収品の中から出た一枚の紙が、皆の顔色を変えた。女王の筆跡に似せた短文、宰相の署名を模した印影、そして「次の標的:王都の中心」と赤く走り書かれた一行。誰かが“真実”を大量に偽造し、国の舵をひっくり返す準備を進めている――それがはっきりと見えた。
「つまり、捏造のための道具が、既に用意されていたということだ」サミュエルは冷静に言った。
「そしてその“誰か”は、王宮の内側へと深く手を伸ばしている」ルシアが続ける。
セレスティアは窓外の王都を見据え、静かに誓った。「断罪は、私が望んだ通りに行う。ただし私が裁くのは、真実を踏みにじった者たち。舞台の勝利だけで満足はしない。次は、偽物を作った手と、それを回した首を――私自身のやり方で引きずり出す」
リュシアンは倉庫の影で、薄く笑った。「楽しみにしているよ。君がどのように“悪役”を超えていくのかを」彼の声は遠く、しかし確かに耳元で響いた。
倉庫の片隅、小さな箱の中で、誰にも気づかれない小さな機械が静かに振動し始めた。紙屑のようなものがほのかに舞い、夜の空気に溶けていく。散らばった粉はまだ無害だが、やがてそれは偽証を拡散する装置かもしれない――誰もまだ気づいていない前触れの粒子だった。




