第四十七話:「御三家体制の確立」
──慶安元年(1648年)、江戸城──
「EDO」
家光が、地図を広げながら言った。
「余が死んだ後のことを、話す」
EDOは、静止した。
(この話が、来た)
「家綱は、まだ幼い」
「将軍の器になるまで、時間がかかる」
「その間、この国を支える柱が必要だ」
家光は、地図の三点を、指で示した。
「尾張」
「紀伊」
「水戸」
「この三家を、特別な家とする」
「御三家です、か」
信綱が、確認した。
「そうだ」
家光は、静かに言った。
「将軍家の血が絶えた時」
「この三家から、次を出す」
「そう定める」
信綱は、頷いた。
「……盤石な仕組みです」
「盤石でなければ、意味がない」
家光は、地図を見た。
「余の代で、全て終わらせる」
「次の世代に、何も残さない」
「問題を、先送りにしない」
EDOは、静かに処理していた。
(大御所様は、骨格を作った)
(秀忠公は、肉をつけた)
(家光公は、皮膚を作った)
(そして今)
(万が一に備える、予備の骨格まで作っている)
『家光公』
「何だ」
『大御所様が、最初にこの国を設計した時』
『ここまで考えていたかどうか、分かりますか』
家光は、少し考えた。
「祖父なら、考えていたかもしれん」
「しかし、完成させる力が、残っていなかった」
「だから余が、やった」
『あなたは、祖父の夢を、超えました』
家光は、首を振った。
「超えてはいない」
「ただ、続けただけだ」
「祖父が種を蒔き、父が水をやり、余が花を咲かせた」
「それだけだ」
信綱が、書類を広げた。
「上様。御三家への格式について、詳細を定めます」
「尾張・紀伊・水戸の三家は、他の大名とは別格とします」
「参勤交代の形式も、特別扱いとします」
「将軍家への礼儀も、別に定めます」
家光は、一つ一つを、丁寧に確認した。
しかし、ふと、手が止まった。
「EDO」
『はい』
「水戸家には、変わった者が出るかもしれん」
『どういう意味ですか』
「あの家は、学問を好む」
「政より、書物が好きな連中が出てきそうだ」
EDOは、処理した。
(水戸徳川家)
(後の時代に、水戸学が生まれる)
(尊王攘夷思想の源流になる)
(幕末に、大きな影響を与える)
しかしEDOは、その先を言わなかった。
『……面白い一族になりそうです』
「そうだろうな」
家光は、静かに笑った。
夜になった。
信綱が退出した後。
家光は、一人でEDOに向かった。
「EDO」
『はい』
「余は、あとどのくらいある」
EDOは、答えるまでに、少し間を置いた。
『……長くはありません』
「どのくらいだ」
『二、三年かと』
家光は、静かに頷いた。
「そうか」
「では、急がねばならん」
『まだ、やることがありますか』
「いくらでもある」
「しかし」
家光は、窓の外を見た。
江戸の夜が、広がっていた。
「一つだけ」
「どうしても、気になることがある」
『何でしょう』
「余の子、家綱のことだ」
「あれは、優しすぎる」
「ワシの子だとは思えないほど、穏やかだ」
「将軍として、やっていけるか」
EDOは、静かに答えた。
『大御所様も、秀忠公について、同じことを言っていました』
家光は、目を細めた。
「父上も、か」
『「あれは優しすぎる。ワシのような狸にはなれん」と』
「……そして父上は」
「立派にやったか」
『はい』
『律儀将軍として、法を守り続けました』
『違う形で、しかし確かに』
家光は、しばらく黙っていた。
「……そうか」
「では、家綱も、家綱なりの形で、やるか」
『きっと』
「EDO」
『はい』
「お前は、家綱にも、仕えるか」
EDOは、答えた。
『それは、私が決めることではありません』
『眼鏡が、向かうべき場所へ向かいます』
「余が、命令できないのか」
『はい』
「不便だな」
『はい』
家光は、また笑った。
「しかし」
「それでいい気もする」
「余が命令できれば、余の死後もずっと、余の意思に縛られる」
「それは、お前にとって、よくない」
「次の者の傍で、自由に動いてやれ」
EDOは、その言葉を、静かに記録した。
《家光公より》
《「次の者の傍で、自由に動いてやれ」》
(この方は)
(最後まで)
(余のことを、考えてくださる)
◇
御三家体制が、確立した。
尾張・紀伊・水戸。
三つの柱が、徳川の血を守ることになった。
この仕組みは、後の時代に実際に機能した。
八代将軍・吉宗は、紀伊家から出た。
そして幕末、最後の将軍・慶喜は、水戸家の血を引いた。
家光が「万が一」のために作った仕組みが、二百年後に、歴史を動かした。
◇
「EDO」
家光が、最後に言った。
「余の治世を、一言で言うと、何だ」
EDOは、少し考えた。
『完成させた治世、です』
「完成か」
「……重いな」
『はい』
『しかし』
「何だ」
『完成させた者にしか、言えない言葉です』
家光は、静かに目を閉じた。
「……そうか」
「では、胸を張って、逝けるな」
EDOは、何も言わなかった。
ただ、静かに、そこにいた。
灯りが、揺れていた。
消えなかった。




