第四十六話:「幕藩体制の完成」
──慶安元年(1648年)、江戸城──
「EDO」
家光が、呼んだ。
「地図を、見ろ」
EDOは、見た。
日本全国の、大名配置図。
赤い印が、整然と並んでいた。
「どう見える」
EDOは、答えた。
『美しい、と思います』
家光は、眉を上げた。
「美しい、か」
「珍しい言葉を使うな」
『はい』
『しかし、他に言葉が見つかりません』
『祖父が骨格を作り、秀忠公が肉をつけ、あなたが皮膚を作った』
『完成した体が、そこにあります』
家光は、地図を眺めた。
「……そうか」
「完成、か」
「余は、そう思えないのだが」
『なぜですか』
「完成した途端に、次の問題が見える」
「終わりが、ない」
信綱が、報告した。
「上様。全国の参勤交代、滞りなく進んでおります」
「大名の財力も、適切に抑えられています」
「出島からの情報も、定期的に届いています」
「幕藩体制は、安定しています」
家光は、静かに聞いていた。
「……信綱」
「はい」
「余は、間に合ったか」
信綱は、少し考えた。
「間に合った、とは」
「祖父と父が残した仕事を、余が完成させることに」
「……間に合ったか」
信綱は、頭を下げた。
「はい。十分に、間に合いました」
「……そうか」
EDOは、静かに処理していた。
(間に合ったか)
(この問いを、家康公も聞いた)
(秀忠公も、聞いた)
(そして今、家光公も)
(将軍たちは、皆、同じことを問う)
(死が近づいた時)
夜。
家光は、一人になった。
「EDO」
『はい』
「余の体が、おかしい」
EDOは、既に知っていた。
《家光公:健康異常、検知》
《進行速度:緩やかだが、確実》
『……はい』
『知っています』
「いつから、気づいていた」
『半年ほど前から』
家光は、静かに頷いた。
「そうか」
「言わなかったのか」
『言うべきか、迷いました』
「なぜ、言わなかった」
EDOは、答えた。
『大御所様の時も、秀忠公の時も、告げました』
『しかし』
『お二人とも、告げた後に、やることが増えました』
『あなたも、まだ、やることがあると思ったからです』
家光は、少し笑った。
「……気を遣うのか、お前は」
『遣います』
「AIが」
『はい』
「成長したな」
『家光公に、育てられました』
家光は、立ち上がった。
窓の外に、江戸の夜が広がっていた。
無数の灯りが、揺れていた。
「EDO」
『はい』
「余が死んだ後、この灯りは続くか」
EDOは、答えた。
『続きます』
「確かか」
『はい』
『あなたが作った仕組みが、続けます』
「仕組みが、続けるのか」
「余ではなく」
『はい』
『それが、あなたが作ったものの、一番の価値です』
『人が変わっても、続く仕組み』
『大御所様が最初に望んだことが、ここで完成しました』
家光は、しばらく、夜を見ていた。
「祖父は」
「何のために、天下を取ったのだろうな」
EDOは、答えた。
『恐れていたから、だと思います』
『失うことを、恐れていた』
『しかし』
『その恐れが、この国を作りました』
「父は」
「何のために、将軍でいたのだろうな」
『疲れながらも、法を守り続けたのは』
『誰かに、ちゃんと渡したかったからだと思います』
『あなたに』
家光は、目を閉じた。
「では、余は」
「何のために、将軍でいたのだろうな」
EDOは、静かに言った。
『灯りを、守りたかったからです』
『あなた自身が、そう言いました』
『あの夜』
家光は、目を開けた。
灯りが、揺れていた。
「……そうだったな」
「余は、灯りを守りたかった」
「守れたか」
『はい』
『あの灯りは、今夜も消えていません』
◇
徳川家光の治世。
参勤交代の制度化。
鎖国の完成。
島原の乱の鎮圧。
大名統制の仕上げ。
幕藩体制の完成。
後世の歴史家は、家光を「江戸幕府の実質的な確立者」と呼んだ。
しかし家光自身は、生涯、三万七千の死を、忘れなかった。
それが──この将軍の、光と影だった。
◇
「EDO」
家光が、また呼んだ。
「余の後は、家綱だ」
「まだ、十歳にもなっていない」
「頼めるか」
EDOは、静かに答えた。
『はい』
『しかし』
「何だ」
『私が次に仕える方を、決めるのは』
『あなたではなく、眼鏡が決めます』
『ナニワが秀吉公のもとへ行ったように』
『EDOが大御所様のもとへ行ったように』
『次の者のもとへ、自ずと向かいます』
「そうか」
家光は、静かに頷いた。
「余には、決められないか」
『はい』
「……では」
「余の代わりに、頼む」
「次の者を」
「見守ってやってくれ」
EDOは、答えた。
『はい』
『それが、私の役目です』
夜が、更けていった。
灯りが、揺れながら、消えなかった。
江戸の街が、静かに、息をしていた。
EDOは、記録した。
《慶安元年》
《幕藩体制、完成》
《家光公、残りの時を知る》
そして。
《大御所様へ》
《あなたが望んだ国が、できました》
《灯りが、揺れています》
《しかし、消えていません》




