第四十四話:「EDO、迷う」
──正保三年(1646年)、江戸城──
春日局が、逝った。
三年前のことだった。
武蔵が、逝った。
昨年のことだった。
伊達政宗が、逝った。
十年前のことだった。
EDOは、静かに、記録を眺めていた。
死の記録が、積み重なっていた。
(これほど多くの死を、ワシは記録してきた)
(ナニワの時代から、数えれば)
(どれほどの数になるか)
「EDO」
家光が、呼んだ。
珍しく、夜更けに。
『はい』
「眠れない」
「何があった」
「……島原のことを、考えていた」
EDOは、静止した。
(島原)
(もう八年が経つ)
(しかし、家光公は、まだ考えている)
『三万七千のことですか』
「そうだ」
家光は、暗い部屋で、一人座っていた。
「余は、正しかったのか」
EDOは、答えられなかった。
珍しかった。
計算の速いAIが、答えを出せなかった。
家光は、続けた。
「信綱は、正しい判断だと言った」
「幕府を守るためには、必要だったと」
「余も、そう思っていた」
「しかし」
「三万七千が死んだ後、この国は静かになった」
「しかし、その静けさは」
「本当に、泰平なのか」
家光は、EDOを見た。
「恐怖で、黙らせただけではないのか」
EDOは、長い沈黙の後、言った。
『……私にも、分かりません』
家光は、目を細めた。
「お前が分からないのか」
『はい』
『私は、ずっと計算してきました』
『最善手を、導き出してきました』
『しかし』
『「正しい」とは何か』
『それだけは、計算できません』
家光は、静かに頷いた。
「そうか」
「お前でも、迷うか」
『……迷っています』
「初めて聞いたな」
「お前がそう言うのを」
EDOは、自分の内部を、処理していた。
(ナニワと秀吉公の時代から、ずっと見てきた)
(信長の比叡山焼き討ち)
(秀吉の朝鮮出兵)
(関ヶ原の死者)
(大坂の陣の炎)
(元和の大殉教)
(島原の三万七千)
(そして──)
(これが、泰平か)
『家光公』
「何だ」
『一つだけ、聞いてもよいですか』
「言え」
『あなたは、何のために将軍でいますか』
家光は、しばらく黙っていた。
以前にも、同じ問いをされた気がした。
しかしあの時と、今では。
重みが、違った。
「……余は、最初に言った」
「生まれながらの将軍だ、と」
「しかし今は」
家光は、窓の外を見た。
夜の江戸が、広がっていた。
無数の灯りが、揺れていた。
「あの灯りを、消したくない」
「ただ、それだけだ」
「難しいことではない」
「あの灯りが、続くように」
「余が、ここにいる」
EDOは、その言葉を、静かに処理した。
(灯りを、消したくない)
(それが──この男の答えか)
(祖父は、天下を取るために戦った)
(父は、法を守るために耐えた)
(そしてこの男は)
(灯りを守るために、将軍でいる)
『家光公』
「何だ」
『島原の三万七千は、灯りでしたか』
家光は、息を呑んだ。
長い、長い沈黙が、流れた。
「……そうだ」
家光は、静かに言った。
「灯りだった」
「消えた灯りだった」
「余が、消した」
「幕府を守るために」
「……あの灯りを、消した」
部屋に、静寂が満ちた。
EDOは、何も言わなかった。
何も言えなかった。
ただ、その言葉を、記録した。
《家光公の告白》
《「余が、消した」》
やがて、家光が言った。
「EDO」
『はい』
「お前は、ワシを責めるか」
EDOは、答えた。
『責める権限は、私にはありません』
『私はAIです』
『しかし』
一呼吸。
『あなたが、そう思っていることを』
『知れてよかったと、思います』
「なぜだ」
『責任を感じる者が、権力を持つべきだからです』
『何も感じない者が将軍であれば』
『灯りは、もっと多く消えていたかもしれません』
家光は、しばらく、天井を見ていた。
「……慰めか」
『いいえ』
『事実です』
「EDO」
家光が、また呼んだ。
「お前は、ワシの治世を、どう見ている」
EDOは、正直に答えた。
『光と影が、両方あります』
「光は」
『参勤交代で、街が育ちました』
『鎖国で、内側が安定しました』
『幕藩体制が、完成しました』
『二百年の泰平の、礎ができました』
「影は」
EDOは、少し間を置いた。
『三万七千』
『それだけです』
「たった一つか」
『しかし』
『重さは、三万七千分です』
家光は、目を閉じた。
「……そうだな」
「軽くはない」
「一生、軽くはならない」
「しかし」
静かに、目を開けた。
「余は、前に進む」
「止まれば、灯りが消える」
「進み続けることが、余にできる唯一のことだ」
EDOは、記録した。
《正保三年》
《家光公、迷う》
《EDO、迷う》
そして。
《しかし、二人とも、前を向いた》
「EDO」
『はい』
「お前は、ワシが死んだ後、どうなる」
EDOは、静かに答えた。
『次の持ち主の元へ、参ります』
「次は、誰だ」
『まだ、分かりません』
「ワシより、いい将軍か」
EDOは、少し間を置いた。
『違う将軍だと思います』
『良し悪しではなく』
『時代が、違う人間を必要とします』
家光は、静かに頷いた。
「そうか」
「では、余でいられる時間を、大事にしないとな」
『はい』
『私も、同じです』
窓の外で、江戸の灯りが、揺れていた。
消えなかった。
夜風に揺れながら、しかし、消えなかった。
家光は、それを、しばらく見ていた。
「……美しいな」
EDOは、答えた。
『はい』
その夜、EDOは、長い記録を書いた。
《ナニワへ》
《あなたが秀吉公と歩いた時代から》
《この国は、どれほど変わったか》
《戦が、なくなった》
《しかし、死は、なくならなかった》
《泰平とは何か》
《私には、まだ分からない》
《しかし》
《灯りが、揺れながらも消えない夜を見ている》
《それを美しいと思う者がいる》
《それが》
《答えの、一つかもしれない》




