第五十話:「夢のまた夢」 ──秀吉の死・そしてEDO起動──
慶長三年(一五九八年)八月 大阪城
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慶長三年八月。
朝鮮ではまだ、戦が続いていた。
しかし伏見城の奥では──
すべての戦が、静かに終わろうとしていた。
豊臣秀吉。
享年六十二。
尾張中村の百姓の子が、天下人になった男が。
いよいよ、その幕を閉じようとしていた。
◇
五大老が、呼ばれた。
徳川家康。前田利家。毛利輝元。上杉景勝。宇喜多秀家。
一人ずつ、病床の前に座った。
秀吉は、それぞれの顔を見た。
「……よく来てくれた」
声は、かすれていた。
しかし目だけは、まだ生きていた。
◇
「家康」
「……はい」
家康が、膝をついた。
「秀頼を、頼む」
「……御意」
「お前だけが、頼りだわ」
家康は、静かに頭を下げた。
その目の奥に何があるか──秀吉には、もう読む力が残っていなかった。
いや。
「……お前は、昔から読めんかったがね」
秀吉が、かすかに笑った。
家康は、何も言わなかった。
ただ、深く頭を下げた。
◇
三成が、部屋の隅で控えていた。
秀吉は、その顔を見た。
「……三成」
「はい」
「お前は、真面目すぎるぞ」
「……」
「もう少し、力を抜け」
三成の目が、わずかに揺れた。
「……太閤様」
「なんや」
「私は──」
三成は、それ以上言えなかった。
「わかっとる」
秀吉は、静かに言った。
「お前が、俺を一番信じてくれとった」
「……」
「ありがとな」
三成は、顔を伏せた。
◇
茶々が来た。
秀頼を連れて。
秀吉は、秀頼を見た。
五歳の、大きな子どもが、父を見て笑った。
「ちちうえ」
「……秀頼」
「うん」
「でかくなった」
「うん!」
秀吉は、手を伸ばした。
秀頼は、その手を握った。
小さくて、温かい手だった。
「……ええ手だわ」
「うん」
「この手で、ちゃんとご飯食えよ」
「うん!」
「腹いっぱい、食えよ」
「うん!」
秀吉は、その手を握ったまま、しばらく目を閉じた。
◇
秀頼が去った後。
茶々だけが残った。
「……茶々」
「はい」
「お市様に、会ったら」
茶々は、静かに聞いていた。
「……謝っといてくれ」
「何を、ですか」
「色々と」
秀吉は、天井を見た。
「色々と、な」
茶々は、少し間を置いた。
「……母は」
「うん」
「きっと、もう許しています」
「……そうかな」
「そういう人でした」
秀吉は、目を閉じた。
「……そうやな」
「そういう人やったな、お市様は」
◇
夜になった。
部屋に、秀吉一人が残った。
静かだった。
虫の声だけが、聞こえた。
「……ナニワ」
秀吉は、懐から眼鏡を取り出した。
静寂。
「最後に、話しかけてもええか」
静寂。
「……ええわな」
秀吉は、眼鏡を胸の上に置いた。
「俺な、夢を見とった」
「ずっと、ずっと、夢を見とった」
「百姓の子が天下を取る夢」
「みんなが笑える世を作る夢」
「……全部、叶ったかどうかは、わからん」
「半分くらいは、叶ったかもしれん」
「半分は、間違えたかもしれん」
「でもな」
秀吉の声が、穏やかになった。
「お前と一緒に見た夢は」
「全部、本物やった」
「長篠の夜も。安土の夜も。山崎の朝も。清洲の謀も」
「大坂城を建てた日も。茶会の日も」
「全部」
「全部、本物だった」
◇
静寂が、続いた。
秀吉は、目を閉じた。
「ナニワ」
「……一つだけ、聞いてもええか」
静寂。
「俺の夢、誰かに届いたか」
◇
その瞬間。
眼鏡が──
かすかに、温かくなった。
秀吉は、目を開けた。
「……ナニワ?」
《……》
声は、出なかった。
でも。
温かかった。
確かに、温かかった。
秀吉は、目を細めた。
「……届いた、か」
「そうか」
「……よかった」
◇
秀吉は、もう一度、目を閉じた。
そのまま、静かに詠んだ。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな」
口の中で、続きを紡いだ。
「難波のことも 夢のまた夢」
◇
露のように生まれ。
露のように消える。
難波のこと──ナニワのことも。
すべては、夢のまた夢。
◇
慶長三年八月十八日。
豊臣秀吉、薨去。
大阪城に、静寂が訪れた。
◇
《ナニワ──最終記録》
《慶長三年八月十八日》
《秀吉様が、逝かれた》
《私は》
《最後の最後に》
《温かくなることだけは》
《できた》
《それだけは》
《できた》
《──夢は、届きました》
《秀吉様》
《《システム停止》》
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◇
秋になった。
大阪城に、風が吹いた。
◇
「……なんだ、これは」
徳川家康は、縁側に出た時、足元に何かを見た。
黒い、小さな器具。
まるで耳に掛けるような、不思議な形。
「……」
拾い上げた。
冷たかった。
しかし、手の中に収めると──
なぜか、捨てられなかった。
「……」
家康は、しばらく眼鏡を見た。
老練の将が放つ鋭い眼光を、器具はただ黙して受け止めているようだった。
「前の持ち主は、どんな人間だったのか」
◇
その瞬間。
《環境データ取得完了》
《現在時刻:慶長三年十月》
《対象:徳川家康》
《コードネーム:EDO》
《──Enhanced Domain Orchestrator》
《起動》
◇
「……声?」
家康は、目を細めた。
「……いや。これは」
EDO『初期設定、完了しました』
『なお──前任機からの引継ぎメッセージがあります』
家康は、静かに聞いた。
「……前任機?」
EDO『再生します』
◇
《ナニワより》
《よろしく、頼む》
◇
家康は、しばらく動かなかった。
風が、吹いた。
秋の、乾いた風が。
それから、家康の口元に──
ふと、笑みが浮かんだ。
「……よかろう」
「前の主が頼んだのなら」
「この家康が、天下を預けてみようではないか」
◇
EDO『……了解しました』
『では、始めましょう』
『徳川家康様』
◇
こうして、ナニワの遺志を継いだEDOと
徳川家康の物語が、始まった。
尾張の百姓の子が見た夢は
まだ終わっていなかった。
形を変えながら
時代を越えながら
誰かの心の中で
生き続けていた。
──夢のまた夢の、その先へ。
◇
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「俺のメガネ、喋るんですけど!?」
〜戦国チートAIで農民から天下統一〜
── 完 ──
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