18.お母さんは女子高生とか! PTA会長はJKとか!
「えと、では、今回の議題は、体育大会の、」
「今回の議題は来たる体育大会に向けてのPTA役員の役割分担についてです」
「あ……」
高橋明が全てを言い終わる前に、その言葉は小島美知子に引き取られてしまった。
多くの母親が集うその場で、セーラー服の明は明らかに浮いていた。
「あの、小島さん。私が……」
「結構です。進行の邪魔ですから座っていてください」
「…………」
しばらく何も言えずに立ち尽くしていたが、やがてため息と共に力無く、会場の隅のほうのパイプ椅子に腰掛ける。
むにゅう。
と、臀部ないし背中に柔らかな感触があった。
「ひっ!?」
思わず飛び上がり、椅子を振り返ると。
「お気になさらず」
岡田にこが、精一杯椅子と同化して……つまりただ椅子に深く腰掛けて……そこにいた。
二度見したくなる程度には、異様な光景だった。
「あの、あなた、確か、政樹お兄ちゃんの」
「岡田にこと申します」
「あ、はい、高橋明です……じゃなくて」
「私はただPTA総会の偵察に来ただけですので」
「いや、私座れないんですけど」
「お気になさらずどうぞ」
「無理ですよ!」
小声の抗議を受けて、岡田は椅子をがたごと言わせながら、明の背後に回った。
明はほっと息をつき、今度こそ腰掛ける。
「明さん」
「な、何?」
「推測するに、明さん、PTA会長ですね?」
「……うん。そうです。私が、PTA会長です」
「政樹さんの母親だからですか?」
「うん」
「いいなぁ!!」
岡田は突如叫び、びたんびたんと床を転がり回った。
周囲の母親たちが一瞬こちらを振り向いて、見なかったことにしようとそそくさと視線をそらす。
係わり合いになりたくない一心で、皆が今までにないくらいに総会の資料や議題に集中していた。
「え、ちょ」
「お母さんは女子高生とか! PTA会長はJKとか! なにそれ! いいなぁ!! 政樹さんなんかよりこっちのがずっといいじゃんかさ!! なんで先に言わないのさ!!」
「岡田さん、落ち着いて」
「さては政樹さん、これが嫌で私を行かせまいとしたんですね!? なんと小賢しい! まぁ私は!? 中途半端とか嫌だから!? ちゃんと最後まで政樹さんの面倒みますけどね!? 逆光源氏みたいな!? 私が育てた生徒会長みたいな!? ヒャホーウやりがいヒィッフー」
「さっきから誰と会話を!?」
ひとしきり床を転げ回った岡田は、疲れたのか動きを止めた。
それを見下ろし、明は呟く。
「私、確かにPTA会長だけど……なんにもすごいことないですよ。今日はたまたま時間が合ったから来れたけど、普段は学校があるからなかなか会合に来れなくて……いつも副会長の小島さんがやってくれてて」
「いいんですよ、インパクトがあれば実態はどうでも」
「それに、母親としても、まだまだうまく出来ないことばかりだし」
「そこですよ」
床に仰向けになったまま、岡田はびしりと明を指差す。
「政樹さんもよく分かってないみたいでしたけど。何故、妹キャラがいきなり母親に?」
「妹キャラ……?」
「お気になさらず」
明はポニーテールを揺らしながら首を傾げ、そして俯いた。
「私が、政樹お兄ちゃんのお母さんになった理由かぁ。……考えたこともなかった」
「ないんですか!?」
さしもの岡田も飛び起きた。
「考えもなしに、そんな人生の決断を!?」
「あ、ううん、違くて……政樹お兄ちゃんのお母さんになるとは考えなかったけど……でも、私思ったんです。政樹お兄ちゃんの家族になりたいって」
「家族、ですか」
「うん、家族」
ふにゃっと笑い、明は岡田の目を見る。
困ったような笑顔には、迷いは少しも見られない。
「私、小さい頃に両親が離婚して……お兄ちゃんのいた社宅からも引っ越すことになって……すごく寂しかった。それでも、この街にいたから頑張れた。仲が良かったころの両親と、政樹お兄ちゃんと過ごした、楽しい思い出のあるこの街にいられたから。でも、母の仕事の都合で、海外に行かなくちゃならなくなって」
「な、なかなか波瀾万丈ですね」
「それが、どうしても嫌で。でも私にはどうしようもないから、最後にこの街を歩いてみようって思ったの」
「ここから回想ですか」
「そこで、政樹お兄ちゃんと偶然再会して……その時、分かったんです。政樹お兄ちゃんは、昔から、何一つ変わってないって」
俯き、足元に視線を投げかける。
来客用の抹茶色のスリッパを見つめながら、彼女は続けた。
「他愛もない話しかしなかったけど、分かったんです。だから、私は」
「何か嫌な予感が」
「政樹お兄ちゃんの家族になりたいと思った。ううん、昔から……あの社宅にいた頃から、私は、政樹お兄ちゃんの家族に憧れてたんだ……だから私はきっと、お兄ちゃんのこと『お兄ちゃん』って、呼びたかったんだと思う。この感覚……何て言えばいいんだろう」
つらつらと流れ出る言葉をせき止めるように、一旦口をつぐむ。
そして明は、はにかんだ。
年下の女の子らしい幼さを残した、まるで妹のような、人懐っこい笑顔だった。
「私、きっと、政樹お兄ちゃんと『暖かい家庭』を築きたかったんです」
「……だったら……何故……」
岡田は脱力する。
何故、こうも思ったようにいかないのだろう。
歯車が狂っているような気がしてならない。いったいどこで間違えてしまったのだろう。
あの平々凡々を絵に描いたような政樹が、いったいどこで、どんな間違いをしたというのだろう。
「何故……何故、政樹さんとではなく、その父親と……」
「私、一刻も早く家族になりたかったから……外国なんか行きたくなかったから……政樹お兄ちゃんはまだ、十七歳ですよね?」
「そ、それはそうですけど……」
明の言葉に、岡田は少しの間逡巡してから、言う。
「……あなたは、政樹さんのことが、好きなんじゃないんですか?」
「え? 大好きだけど、どうして?」
「だって、それってまるで、プロポーズみたいです」
明は目を見開いて、数回ぱちぱちと瞬きをした。
少し驚いたような表情が、やがて微笑に変わる。
「……うん、そうだね。私は政樹お兄ちゃんが好き。だから一緒にいたかったの。たぶんそれは間違いないと思う。でも、たとえ恋人になっても、お嫁さんになれるとは限らない。お嫁さんになっても、そのまま死ぬまで一緒にいられるかは分からない。嫌われちゃうかもしれない。私は政樹お兄ちゃんに嫌われるくらいなら、他の人に嫌われた方がいい、政樹お兄ちゃんのお父さんに嫌われた方がいい。ずっとずっといい」
明の指が、手元の資料を慈しむように撫でた。政樹の綴じた資料だ。
たいした議論もなく形式的に議題の承認は終わり、会議は報告事項に移っている。
「私はね、怖いの。臆病なの。嫌われるのも変わってしまうのも、離れるのも嫌なの。だから私は、ずっと変わらないものになりたかった。変わったとしても嫌われないものになりたかった。嫌われたとしても離れられないものになりたかった。家族になりたかった。それって、そんなにおかしいことかな? もしかしたら、他の方法だってあったかもしれないけど……私、一つも後悔なんてしてないよ」
明は目を伏せ、思いを馳せる。
自分の一番近くにいる、愛しい人に。
「これで政樹お兄ちゃんと私は、切っても切れない」
そう言ってから、「あっ」と小声で息を飲んで付け加えた。
「ああ、今の旦那さんはちゃんと大好きですよ。政樹お兄ちゃんのお父さんですから」
にっこり微笑む明に、岡田はしばらくあくあくと口を開け閉めしていたが、やがてため息をつく。
「何なんでしょう、この釈然としない感覚は……」
そんな岡田のため息を掻き消すように、今まで小島の声しか聞こえなかった体育館に、急にざわめきが広がった。
どうやら小休止のようだ。
母親たちは次々立ち上がり、化粧室やらどこやらへと三々五々歩いて行く。
ずっと起立していた小島美知子も席につく。
それを見計らって駆け寄った明が、声をかけた。
「あの、小島さん。ありがとうございます、私、何も出来なくて」
「…………ねえ、皆さん」
小島は一瞥を寄越しただけで、明を無視して近くに群れている母親グループの中へと入っていった。




