第三十四話 神楽舞
――ふと、
そこで、ほんのすこし心の余裕が生まれたのか――
奇妙なものが視界に写った気がして、半分残った社の縁に目を向けた。
未だに―― 先ほど見た、あの若い僧が腕枕をして眠っているのだ。
とっくの昔に逃げ出したものと思っていたのだが、男は始め見たときと同じ姿で、依然として縁の上で臥しているのである。
――なんだ? あの男は?
これほどの異変が起こっているのに、気づきもしていないのか?
よほどに、感が鈍いのか、神経が太いのか、
それとも、実はもう、息絶えているのか。
なぜか、この状況で
――そんな、くだらないことを、考えた。
「続けますね」
その声で、再び我に返る。
――見ると娘は再び、袂に手を入れ、今度は小刀を取り出していた。
「小刀、勿忘草
――受ければ、あなたの記憶技量知識経験が全て失われます」
そう言って、
再び想像り出した勿忘草と呼ばれた小刀を振りかぶり、こちらに向けて、振り下ろす。
しかし――それもまた、素人のような動きであった、とても本気で神を滅ぼそうとしているとは思えない。
――他愛ない。
娘の、あまりに拙い動きに呆れ、小刀が己に触れる前に、娘の武具の正体を思案することにした。
――受ければ、あなたの記憶技量知識経験が全て失われます。
娘はそう言った。
なるほど――娘の言葉を信ずれば、娘の持つ小刀は、普通の武具のような「相手を傷つける為の物」では無く「受ければ、相手の記憶技量知識経験を失わせる」という効果をもった小刀なのだろう。
――それも、おそらく、小刀そのものだけでは、効果が無い。
おそらく、小刀を振り下ろす前に娘がつぶやいたのは娘の言霊――言葉の霊力によって、武具にその能力を持たせる呪詛のような物だろう。
つまり、
その言霊と対と成し、初めて効果が得られる武具。
そのようなもの、なのであろう。
娘の強大な思念は、それほどのことまでも実現させることが出来るのだ。
それが事実であれば、この刀を身に受ければ
――記憶技量知識経験が全て失われます
この、娘の言葉の通りに、なるはずである。
なるほど、恐ろしい刀だ。
だが、
恐ろしい、というのは、それを「人に向けて使用すれば」の話である
神は、大勢の人々の思いが集合し生まれた物、いわば、思念の塊である。
例えるなら、そう、山の如き大きさの宝玉。
それに比べれば、いくら強大といえども、たった一人の娘の思念など、宝玉を削りし時に出る、粉末の一粒のようなものだ。
この布都御魂の神刀の前では、まるで、稚児が老梅の一枝で、正宗を持つ剣豪に挑むようなものである。
――娘の小刀、勿忘草が己に触れるまでの間にそう判断し、
――再び直刀を構え、今度は、ねじ伏せるようにして、払う。
ぱん――と弾けるような音がした。
弾かれたのは娘の小刀である。
小刀は一端、空へと舞、月のおぼろげな明かりで刀身を光らせ――そのまま、地上へと落下していった。
娘はまるでその様子を、先ほどと同じ、――まるで、不要な塵を捨てるかのような執着の無い目でその光景を眺めていた。
「さらに、続けますね」
娘のその一言で
娘の周りに、いくつもの武具が、想像られてゆく。
「長刀、白蓼」
――受ければ、あなたは、他の人の記憶から、己の存在が抹消されます
「簪、胡蝶蘭」
――受ければ、あなたは、意志を残した蟲となり、永遠に世を這うことになります
「薙刀、土佐美豆木」
――受ければ、あなたは、四肢の使い方を忘れ、這うことすら出来なくなります
「槍、花蘇芳」
――受ければあなたは、六識(眼・耳・鼻・舌・身・意の感覚器官)を失います
「鎖分銅、虫狩」
――受ければ、あなたは、生けるもの全てを恐れるようになります
「鎖鎌、刈萱」
――受ければ、あなたは五感は全て痛覚にかわります
「棍棒、七竈」
――受ければ、あなたの七代前までの祖先が行った罪が、すべて己に降りかかります。
「鎌、瑠璃虎尾」
――受ければ、人が己に向けた悪意ある思念のみが「見える」ようになります。
「針、千両」
――受ければ、肉体と心が分かれます。
「双刀、木槿」
――受ければ、あなたの心と体が、半分だけ獣と入れ替わります。
――云いながら、娘は、数々の武具をこちらへ振り下ろす。
きい、
が、
ぐわん、
ちん、
かん
ばし、
ぎぎい、
乾いた音
鈍い音、
鋭い音
堅い音
娘は舞うように、娘の武具を振るい、そのたびに己は、己の武具を薙ぐ。
なぎ払うたびに、武具は割れ、あるいは払われ、闇夜に落ちていった。
割れ、払われたのは、すべて、娘の奇妙な武具である。
無くなるたび、娘は武具を捨て、新たな武具を取り出す。
しかし、何度やっても同じである。
この程度の動きであれば、目で見ずとも受けられる。
どんな効果のある武具でも、この身に至らざれば枯枝同然。
まるで、本当に、稚児相手に草相撲でもしているかのような心持ちであった。
おそらく、最後の一刀であろう、武具を闇夜になぎ払ったとき、耐えかねず、娘に問うた。
「なぜ、主は神を試そうとする?」
そう、云うと娘は
「神に出会うのは、初めてでしたから」
そう、答えた。
「奇妙なことをいう。 主の姿から察するに、巫女であろう?
最も、なぜかしらぬが、神を凌駕するほどの力を持っているように見えるがな――
……しかし、神に従える巫女が、神を見たことが無いとは、どういうことだ?」
聞くと、娘は顔を伏せ
「私が従えてきたのは、神では無く、神を望んだ人です、神託し、神の言葉を嘯き、人の懊悩を払拭させるのが、私の役目でした。
しかし、私は、本当に神託など、受けたことはありません。
只の凡俗な小娘なのです。
――だから、本当に神が、いることなど、信じられなかったんですよ」
そう、云った。
「ただの、娘? ならその力はどこで授かった?」
「――とある逃亡兵の、強い思念が、私に神と敵兵を滅する、そんな力を望んだためです」
逃亡兵?
先ほどの戦で、殺し損ねた敵国の兵のことか?
そやつが、この巫女に「神を滅せよ」と願い、娘がそれに答えた、というわけか。
否
答えたのは「理」か。
娘はあまりに強大だった逃亡兵の思いを受け入れ、
天理は世の均衡を崩した神を殺す力を、娘に分け与えた
――そういう、ことだろうか
「――ちなみに、あなたはもうお気づきでしょうけど……これらの武具は、肉体と心、両方を滅する武具です。
本来なら、例え実際に当たらずとも、私が「当たれ」と念じただけで、効果がある代物でした。
――しかし、本物の「神」と呼ばれたものにはそれすらも効かないのですね」
娘が、淡々とそう云う。
そして、
「どうやら、あなたは本当に神のようです、それだけ分かれば十分です」
娘がそう言って、装束の袂に手を入れる。
「草遊びは、おわりにしましょう」
再び袂から取り出したのは、
――先ほどの、村の全てを荒涼とさせた、神楽鈴であった