20 気持ちの変化
駅の改札に着くと、萩尾さんは既に待っていた。謝りながら近寄ると、彼は首を横に振る。
「待ち合わせぴったりだよ。謝る必要ないから」
彼に連れられて、行きつけだというクラブに行った。とても大きく派手な建物で私は圧倒されてしまった。
「カオルちゃん、ここに座って。アルコールは大丈夫?」
「はい」
「じゃあ、今持ってくるから。待っていてね」
萩尾さんは人混みに紛れて、そしてテキーラを持ってきてくれた。初めて飲むお酒なので、少しずつ口を付ける。彼もテキーラを飲んでいて、一杯飲み終わると立ち上がった。
「俺は踊ってくるから。カオルちゃんはここで見ていてね」
ホールに行ってしまった萩尾さんを目で追う。彼の銀髪が靡いて綺麗だった。
エレクトリック・ダンスミュージックが流れるホールで華麗に舞う萩尾さん。私はテキーラを飲みながら、彼のダンスを楽しんだ。僅かに酔っただろうか、気分がふわふわして気持ちいい。
萩尾さんが戻ってきた。汗が額に滲んでいる。
「格好良かったですよ、萩尾さん!」
「カオルちゃん、ちょっと酔ってない?」
言い当てられて、私は口を閉じる。彼はふわりと笑った。
「でも、まあカオルちゃんの気分転換になったみたいでよかったよ。強引に連れてきちゃったと思っていたから」
「いえ、自分で決めたことなので。それにとっても楽しかったです」
萩尾さんは目を細めて、銀髪をかき上げながら私とおしゃべりをした。
「クリスマスの発注ってそんなに早くやるの?」
「そうなんですよ。十月から予約開始しますから、よかったら買ってくださいね」
二割引きのことを話すと、萩尾さんは喜んだようだった。
「当日行くと売り切れが多いからね。十月から予約開始なんて嬉しいな」
「ブッシュドノエルが今年の売りですよ」
「苺デコレーションもいいけど、ブッシュドノエルもいいなあ」
私は持っていたクリスマスケーキ一覧表を彼に見せた。
「これ見せたの秘密ですよ。まだ配っていないんですから」
「俺だけ特別扱いだね」
一覧表を見て、彼は眉を寄せる。
「いっぱいあって迷うなあ。おすすめはブッシュドノエル? でもチョコレートデコレーションも美味しそう……」
「まだあと二か月あるので、いっぱい迷っちゃってください。お待ちしています」
私たちはクラブの一角でお酒を飲みながら、くすくすとクリスマスのことを話した。まだ八月なのにクリスマスの話とは、一般の人が聞いたらどう思うだろう。
やがて彼はまた踊りに行ってしまった。私はビールを飲みながら萩尾さんのダンスを眺める。──いつの間にか、ゲーム内での好感度のことが気にならなくなっていた。タクヤくんとはなるようになるだけ。あそこで気ままに踊っている萩尾さんを見ていると、気分が軽くなった。
「な~んかカオルちゃん、吹っ切れた顔しているね」
「そうですね。吹っ切れました。連れてきてくれてありがとうございます」
彼に手を取られて、ホールで私も見よう見まねで踊る。ダンスを踊るのは初めてだが、誰も私の踊りは気にしていなかった。何曲かくるくる踊って、萩尾さんと再びおしゃべりする。そうして気がつけば日付が変わっていた。
「すみません。そろそろ失礼します」
「ああ、送っていくよ。女の子一人だとこの辺り危ないから」
クラブを出て、夜風に当たる。真夏だが、夜風は気持ちよかった。駅の改札に行くまでに、萩尾さんが尋ねてきた。
「カオルちゃん、お店に好きな男の子いるでしょ?」
私はぎくりとする。何故ばれたのだろう。
「俺、昔からそういうの大体わかっちゃうんだよね。多分……上杉タクヤくんじゃないかな?」
「……」
「無言は肯定の証。タクヤくんとの恋、頑張ってね~」
改札でひらひらと手を振って、萩尾さんはクラブに戻っていった。「頑張って」と言われ、それは心に染み渡る言葉だった。
私は萩尾さんの言葉に足取りも軽く改札をくぐって、下り方面の電車に乗った。
萩尾トオルさんにクラブに連れて行ってもらってから、私は二見ヨリコさんが驚くくらい明るくなったらしい。萩尾様様である。
♦ ♦ ♦
【パティスリーフカミ】で私が早番を上がってお店を出ると、拓也くんと由良ちゃんが外で待っていた。拓也くんは有無を言わせず私の手を握り、あとからついてきた由良ちゃんと近くのファミレスに入った。
席について、ドリンクバーを三人分頼む。拓也くんが怒っているのがわかり、私も由良ちゃんも何も言えなかった。
しばらく無言状態が続き、ようやく拓也くんが口を開いた。
「柿本由良が出まかせを言っていました。俺の不注意です。すみません」
「……え?」
「俺と付き合っている、と言ったことです」
私は唖然として言葉を失う。由良ちゃんは怯えた様子で縮こまっていた。
「だって……。拓也くんと由良ちゃんは付き合っているんでしょう?」
「だからそれが出まかせなんです。柿本の告白はきっちり断りました」
「……」
私は由良ちゃんを窺う。彼女はハンカチを取り出して、溢れる涙を拭っていた。透明な涙が、由良ちゃんの心境を物語っていた。由良ちゃんは拓也くんに断られたんだ……。可哀想に思ってしまう。
「……どうして由良ちゃんのことを断ったの?」
「決まっています。俺に好きな人がいるからです」
好きな人……? 彼ほどの格好良い人が好きな女性とはどんな人なのだろう。余程美人に違いない。拓也くんは溜息をついた。
「その感じだと伝わっていないようですね。今日は混乱しているでしょうし、日を改めますので、またお話しましょう」
拓也くんと由良ちゃんはファミレスから出ていった。取り残された私はしばし呆然とする。色々なことが起こりすぎて、思考が追いつかなかった。少し、整理して考えてみようか。
──拓也くんは【ムーンライト】の内定をもらった。
──由良ちゃんと拓也くんが付き合っているというのは出まかせだった。
──拓也くんには好きな人がいるらしい。
そこまで考えて、私は息をついた。拓也くんは由良ちゃんとのことをはっきり否定した。どうして私に向かって否定するのだろう。考えをめぐらせるが、答えは出なかった。




