第七場「見顕し」
機械の墓場の夜が更ける。
だが、男はなかなか現れなかった。
依頼人に何かあり、俺たちを襲うのをやめたのだろうか。
気づけば、銀の糸のように細い月が、東の空に昇っていた。
月が墓場を薄く照らす。
ふと、音羽が俺の裾を引っ張る。
「あっちのあの子たちが騒いでる。お客さん、お客さんって」
あいつが、来た――。
「今、南の三番のところにいる」
音羽はヘッドホンを押さえながら集中する。
「四番」
「五番」
段々と近づいてくる。
少し開けた場所まで来ると、男が立ち止まった気配がした。
「書き置きとは、律儀なガキだ」
「仕事の続きだ。覚悟しろ」
暗闇の中では、男は饒舌になる。
今は、姿を消す能力を使っていないのかもしれない。
再び男が歩き出す気配がする。
「六番」
音羽が転がる警備機の前を指さす。
男は俺たちが潜む機械の山のすぐ側まで迫っていた。
次の瞬間、俺は米袋を振り回して男の方へ投げる。
宙に放たれた袋。
その中から、大量の白い灰が飛び散る。
薄い月明かりに照らされ、灰を被った人の姿が浮かび上がった。
そこには、痩せた五十過ぎの男がいた。
「――前にも、粉をまいたガキがいた」
男は平らな声で呟く。
そして、灰ごと帽子と外套を脱ぎ捨てる。
「だが、想定内だ」
最後に男は顔に付いた灰を袖で拭う。男の姿がスッと消える。再び闇に溶けていく。
「どうしよう……」
音羽が小声で呟き、肩を落とす。
「大丈夫だ。この先にはあれがある」
狙い通りに男は、腕のもがれた給油機へ向かっている。
灰の策を破り、男は慢心しているはずだ。
俺たちは、こっそりと後を追いかける。
「七番」
「八番」
音羽が正確に男の位置を伝える。
次の目印の場所、そこであいつを追いつめる。
「九番」
―――。
男がその場所までたどり着いた瞬間、俺は合図の花火を空へ打ち上げる。
男が驚いて振り向く。
潜んでいたトバリが、マッチに火をつけて給油機の辺りへ投げ込む。
――ズウゥゥゥンッ!
響くような地鳴りとともに、黒煙が巻き上がる。
黒煙が風に流されていく。
―――。
そこには、空まで立ちのぼる炎の前で、勝ち誇ったような顔をした男が立っていた。
「ガキの割には知恵が回るようだが――」
「残念だが、外れだ」
驚くべき反射神経。
男は直前で、爆発を避けていた。
「……何か言い残すことはないか?」
「……」
男は不気味な笑みを浮かべ、姿を消す。
微かに、男が走り出す音が聞こえる。
そして、刃物が振り下ろされる気配――。
「いま!」
音羽の声。
「――幕、下ろすよ」
トバリの光の壁が俺の前に落ちる。
鈍い音が、機械の墓場に響いた。
光の壁に行く手を阻まれた男。
自らの勢いで倒れ込んだあいつの姿が、燃え上がる炎に照らされて浮かび上がる。
よろよろと立ち上がる男の目は、驚きに満ちていた。
その背後を白い影が走る。
「――三秒、借りるぜ!」
男の白髪まじりの頭を掴んだハクの手から、ノイズがはじける。
だが、何も起きない。
「――ハク、息を止めろ!」
ハクは、即座に口を結ぶ。
次の瞬間、ハクの姿が消えた。
一秒。
灰の上に小さな足跡が浮かび上がる。
二秒。
男の背後に、足跡がもう一つ浮かぶ。
三秒。
突然、ハクが男の真後ろに現れた。
水道管の切れ端を振りかぶる。
「お返しだ!」
よろめく男は背後からの奇襲を避けることは出来ない。
後頭部に水道管の切れ端が直撃し、前のめりに灰の上へ倒れた。
その様子を見ながら、俺はあの瞬間を思い出していた。
男が灰を被った瞬間を。
*
あの時、あいつは服を脱ぎ捨て、再び闇へまぎれた。
だが、俺にはそれで十分だった。
闇に消える前、男の姿ははっきりと見えていた。
俺は力を使っていた。
――解析する。
視界の端が冷える。俺の瞳には、銀の二重の輪が浮かび上がる。
【迷彩】
頭の芯に釘を打たれたような痛みが走る。
鼻腔の奥が熱くなる。
能力名の下に、かすれた墨のような文字。
〈外見を、周囲の景色を写し出す鏡へと変える。能力は、己の息を止めている間のみ発現する〉
やはり、姿を消していられる時間には、制限があった。
人は、息を止め続けることは出来ない。
給油機の炎で辺りが明るくなれば、あいつはどうするか?
短期決戦へ持ち込むはずだ。
つまり、真っ直ぐ俺を狙って攻撃するに違いない。
攻撃を受けるタイミングさえ分かれば、防ぐのは簡単だ。
そのタイミングを狙って、トバリは盾を使った。
驚いた男は、息を吐き出し姿を現す。
後は、ハクがトドメを刺すだけだった。
*
倒れ込んだ男を、残骸の柱に縄で縛る。
気づけば俺の鼻の下には血が流れていた。力を使ったからだ。
「灰と、火か。ガキにしてはよく考えた」
男は、俺の鼻の下の血に目をとめる。
「灰をかぶったとき、お前、俺のことをじっと見てたな。……その血は、なんだ」
俺はその問いには答えず、逆に尋ねる。
「誰に頼まれた」
「依頼人の名は言わない。言えば、この商売は終わりだ」
そう言うと、男はうつむく。
緊張が解けたハクが、地面に倒れ込む。
俺はその隣に座った。
「よくやった」
「だろ。でも、急に息を止めろって、わけ分かんねえよ。もっと早く言え」
「……俺も、さっきまで確かじゃなかった」
俺たちの隣で、音羽とトバリも糸が切れたように、地面にへたりこんだ。
その時だった。
俺たちの背後で、縄の切れる音がした。
音羽が叫ぶ。
「朔っ!」
俺が振り向くと、男は立ち上がっていた。刃物をもう一本、隠していたのだ。
男は縄を切った刃を手に持ち、俺へ迫る。
トバリの盾は、もう、使えない。
間に合わない。
――その刃が、止まった。
ふと闇の中から伸びた手が、あいつの手首を掴む。
黒い制服の男が立っていた。
顔の下半分を覆う、黒いマスク。炎に照らされて、琥珀色の目が浮かぶ。
いつから、そこにいたのだろうか。
誰も気づかなかった。
マスクの男は、あいつの手首を捻ると、短く拳を一度振るう。
あいつの体が、力をなくして崩れ落ちた。
琥珀色の瞳が俺を見つめる。
「……お前には、まだやることがある」
それだけだった。
マスクの男は、あいつを担ぎ上げて、闇の中へ消えていった。
誰一人、動くことは出来なかった。
「……今の、誰だよ」
ハクが、かすれた声で言った。
俺は答えられなかった。
俺たちを狙った男は、誰の依頼で動いたのだろうか。
そして、あのマスクの男は、何を目的に俺たちを追っているのだろうか。
琥珀色の目が、まぶたの裏に焼きついて離れなかった。
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