第79章『流れ行くもの』
目を疑うような現実。
認識した者がただ一人なら、それを真だと証明する術はどこにあるのか——
『本当ですのよ!?』
「今夜はこの辺りで野営としますか」
ばさがそう言ってグランに指示を出すと、龍車は整地された道から外れて行き、小高い丘の上で停止した。
時刻は大陸標準での夕刻に差し掛かる頃合いであったが、陽の光は既に南東に伸びる領根に沈み込もうとしている。
夜の色が一帯に染み渡っていくのを眺めながら、バニラはワゴンの窓から覗く景色を観察した。
高台となっているこの場所からの景色は遮る物も少なく、地平線の彼方には鬱蒼とした森林地帯や魔鉱石を用いた照明を抱く街の輪郭が薄っすらと浮かび上がっている。
——次の街までまだまだ距離がありますわね……
ばさが言うにはあと半日以上は掛かるとのことだった。
龍車を夜通し走らせ続ければ日の出までには到着するのだろうが、イースデンまでの一週間にも及ぶ道のりを思えば、幾ら地龍といえども適度な休息は必要であろう。
急ぐ旅ではあるが、必要以上に負担を掛けるのは本意ではない。
気を張り続けていてはこちらの身も保たないだろうし、休息中にしか出来ないことをやって気分転換するのも良いかもしれない。
「まずは僕とすのぴで見張りをするけど……念のため、ぽー博士には魔除けの結界を頼むよ」
「えぇ、お任せください。と言っても、並の魔物が地龍に挑んでくるとは思えませんがね」
「野党の類いも然りだが、ゾンビやスケルトンなんかは見境がねぇからな。よろしく頼むぜ」
男衆が速やかに役割を当てがっていくのを耳にして、それならとこちらも申し出ることにする。
「近くに川があるようですし、そちらで所用を済ませてきてもよろしいですの?」
◆
「別に私一人でも大丈夫ですわよ?」
高台から緩やかな斜面を下りながら、バニラは背後の二人へと呼び掛ける。
こちらの用が用だけに、出来れば一人で行動したかったのだが、
「まぁ、この辺の魔物だと万が一ってこともねぇだろうが」
「水を汲みに行くという目的もありますゆえ」
とらからは少し申し訳なさそうに、ハラミからは純粋そのものの返答が送られてくる。
とらとしては警戒を怠らないようにという側面があるものの、こちらの目的を察しているようで居心地悪そうにしている。
——変に察しが良いんですから……
デリカシーがないような言動がつい目についてしまうが、その実誰よりも気を配っているとらに、堪えきれず苦笑が滲み出る。
ちなみに、ハラミの言う水汲みだが、ばさの所有するボックスには十分な水が保管されているのだが、
『調達出来るものがあるなら、まずはそちらを利用しましょう』
いつ何時、ストックしているものが必要になるか分からないから、とのことである。
ボックス内に入れておけば、状態が保てて傷むこともないので、彼の考えを否定する要素はなかった。
吹き抜ける風に純白の髪を泳がせ、野草を踏み締める音に包まれていると、程なくして目的の川辺へと到着した。
ハラミがここぞとばかりにその膂力を発揮させ、両手一杯に引き下げた木桶で水を汲み上げていく。
とらはハラミの側についているようだったので、二人から離れた位置で膝をつく。
「ヴモ? バニラ殿、そんなところでどうしたでござる?」
手伝えることがあれば、とハラミが善意で言ってくれるが、こればかりはそっとしておいてもらいたいのだが、
「あ〜……ハラミ、俺達に手伝えることはねぇみたいだ。バニラの用事が済むまで俺はここにいるつもりだから、お前は先に戻っててくれるか?」
「そうでござるか? では、お先に失礼して」
とらからの提案に不思議そうにしてはいたが、ハラミは特に追及してくることなく、足早に傾斜を駆け上がっていた。
出会った頃とは比べ物にならない溌剌とした様子に微笑ましくなっていたが、ここに来た目的を思い出し、懐からボックスを取り出して、
「手早く済ませますので、少々お待ちくださいまし」
「別に慌てなくても構わねぇよ……少し離れてるから、何かあったら声掛けろよ」
そう言い残して、とらの気配が遠ざかるのを感じる。振り返ると、こちらから距離を置いた所で背を向けている姿を捉えた。
あまり待たせても申し訳ないので、早速用事を済ませてしまうことにする。
ボックスに手を翳して、内包された空間に干渉を始める。
こちらの意識を読み取ったボックスが、求めている物を吐き出してくる。
それは、土埃や汗で汚れた衣類の山だった。
迷宮区画内では洗濯する余裕などなかったので、かなりの量が溜まってしまっている。はは
——次の街までは難しいと思っていましたが……
折良く水辺の近くで野営することになったので、今のうちに洗えるだけ洗ってしまっておこうと思ったのだ。特に肌に直接身に付ける物——下着類に関してはこまめに着替えていたので、そろそろ洗っておかなければ、替えの枚数が心許なくなってきていた。
ボックスから固形石鹸を取り出し、まだまだ刺すような冷たさの流水で濡らし、もみ洗いを開始する。
物によっては傷みやすい素材の物もあるので、そちらに関しては手頃な石で浅瀬を囲い、そこで固形石鹸を泡立てて漬け置きにしておく。もみ洗いが終わる頃には汚れも落ち易くなっているだろう。
洗い終えた衣類はなるべく水気を切り、再びボックス内に収納していく。
騎士見習いの頃に取り組んだ野営演習の際には乾かしていない衣類をそのままボックスに納めることに抵抗を覚えたものだ。
ボックス内では事象は固定化され、物質の劣化などは起こりえない。
理屈では分かっていても、気持ちが追い付いていなかったかつての自分を思い返し、いつの間に忌避感を抱かなくなったのだろうと疑問が浮かんだが、
——慣れ、ですわねぇ……
全てはその一言に尽きるということに乾いた笑みが漏れる。
指先が凍えてきたので、両手を擦り合わせて息を吹き掛ける。
残りも早く終わらせてしまおうと、気合いを入れ直していると、
「…………あら?」
視界の端、上流から何かが流れてくるのが見える。
暗くてよく見えないが、ヒト族の大人程もある質量に、倒木か何かかと思考を働かせていると、ソレと目が合った。
「……………………」
「Aaaaa……」
それは肩から上を水面から覗かせており、その双眸は虚ろで、視線が交錯したところでこちらを認識しているのか判然としない。
肌の色は病的なまでに緑に侵され爛れてしまっている。
ヒトの無念の成れの果て——ゾンビと呼ばれる存在が、水流に翻弄されるかのように、くるくると回転を続けながら、下流へと運ばれていく。
——なんですのあれ……
通常のゾンビは、誰彼構わず襲い掛かってくるような存在なのだが、目の前の存在はただただ無抵抗なままに水に流されていて、どことなく哀愁を漂わせている。天に向けて突き上げられた右腕は、まるで救いを求めているかのようにも感じられた。
このままの様子が続くのなら、やがて陽の光に焼かれて消滅するだろう。
わざわざこちらが手を出すまでもない——のだが、何故か助けてやった方が良いのではないかという考えが浮かんでくる。
抗うこともなく、延々と回り続けるゾンビを憐れに感じ、バニラは深く考えることなくその手を差し伸ばして——
「ウインドアロー」
放たれた風の矢が水面を穿ち、水柱を立ち昇らせる。
水が爆ぜる音を浴びながら、バニラは己の行いを内心で正当化していた。
——どうあれ、あれはゾンビですものね。肉体に縛られた魂を救うにはこうするしかありませんでしたし……はい、私なにも間違ったことしておりませんわね!
浄化の魔法が使えれば穏便に済ませられたであろうが、今の自分に出来る精一杯をしたのだと、自らを納得させていると、
「おい! 何があった!?」
爆音を聞き付けたとらがすぐさま駆け寄ってくる。
掛けられた言葉にハッとして、状況をなるべく正確に伝えようと頭の中を整理して、
「実は——ゾンビが不思議なポーズを取りながら、くるくるーって回転しながら川を流されておりましたの!」
「………………は?」
搾り出すかのようなとらの声が、異様に大きく響いたように感じられた。
そして、目をすがめつつ、
「何言ってんだお前」
「って、なんですの、その可哀想なものを見る目は!」
先程の魔法で消し飛んだはずなので、実在の証明は難しいが、それでも自分が見たものが事実であると主張するためにも何か痕跡が残ってないかと川の様子を注視すると、
「あぁ!? 私のお気に入りが!!」
見れば、浅瀬を囲っていた石垣が、先程の衝撃により瓦解しており、その内側で浸していた物が奔流へと解き放たれてしまっていたのである。
慌ててかき集めようとしたが、既に幾つかは見失ってしまっていた。
「おのれ! あのゾンビめ!!」
怨嗟を込めた慟哭が、夜のしじまを引き裂いていく。
そんなこちらへと生暖かい視線が注がれていたが、それに反応する余裕はどこにも残ってはいなかった。
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