表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/113

第71章『在りし日の記憶』

 過ぎ去りし日の記憶。

 閉ざされても、なかった事にはならない出来事——

『あの時、出会っていたんだ』

 シェイプシフターのオドを切り裂き、マナが鮮血の如く飛び散っていく。

 噎せ返るような奔流の中で、ハラミは不思議な光景を目の当たりにした。


 瞬きの内に目の前の光景が豹変し、慌てて周囲の様子を窺う。


 そこは、先程まで激しい戦いが繰り広げられていた空間ではなかった。

 だが、同様に薄暗い闇を魔鉱石の淡い光で照らされた場所だった。


 領根の迷宮区画内であることは間違いなさそうだった。

 しかし、すのぴやとらをはじめとした、先程まで共に戦っていた者達の姿がどこにも見当たらなかった。

 それどころか、


 ——身体が、ない……!?


 自然と視線を動かせていたために気付くのに遅れたが、足元を覗き込んだところであると思っていた肉体を見付けられなかった。

 まるで意識だけが彷徨っているようで、気味悪さにそこにないはずの肉体が震えたように感じられた。


 何が起きているのか、他の者達は無事なのか。


 気掛かりは止めどなく沸いて出てくるが、今のハラミには現状を理解するための答えを持ち合わせていない。

 元に戻れるのかすら分からない状況に不安が心を蝕み始めそうになるのを感じ、気を強く持とうと意識を集中させる。


 ——もしかして、これが夢というものですか!


 自分は今まで見たことはなかったが、ぽー曰く、夢とは睡眠中に脳が記憶を整理するために見るもの、という風に言っていたのを思い出す。


 迷宮区画は似通った構造がいくらでも存在するので、見たことがないと感じるこの光景もどこかで記憶したものなのかもしれない。

 あるいは、上位個体となる前の、ただの魔物だった頃の朧気な記憶なのかも——そう考えた直後に、今まで変わり映えしなかった薄闇に変化が訪れた。


 薄闇の深奥から腹の底まで響くような重い足跡がこちらへと近付いてくる。


 焦茶色の体毛に覆われた屈強な肉体を持つ牛頭のヒト型。

 その姿を認識した瞬間、その正体が脳内に浮かび上がり、違和感を抱くことなく、それを受け入れていた。


 ——あれは、かつての自分……


 どういう訳かは分からないが、過去の自分の姿を異なる視点から眺めているのである。

 普段の自分であれば、奇怪な状況に慌てふためいていたかもしれない。

 だが不思議なことに、その光景を目の前にすると心は静かだった。


 時折背後を振り返り、その度に表情を引き攣らせているかつての自分は、酷く怯えているようだった。

 まるで何かから逃げ惑うように——その考えが正しいものであると証明するように、その背後から迫ってくる存在を見つける。


 粘性を帯びた液体で構成されたそれは、全身を蠢かせながら這いずってくる。

 その正体は、今の自分は知っている。


 ——シェイプシフター!


 他の生物に擬態する魔物——その本来の姿を捉え、先程まで激闘を繰り広げていた相手が想起される。


 その姿に、全身が痺れたような感覚を味わう。


 確たる証拠はなく、予感めいたものしか感じられなかったが、アレがヒュドラ擬きと同じ存在であると認識していたのである。


 状況から見て、かつての自分はあのシェイプシフターに追われて逃げ惑っていた。

 どうしてそうなったのかは、記憶に靄が掛かっていて思い出せない。


 この光景を見続ければ記憶を取り戻せるだろうか。

 そんな淡い期待を抱いて、こちらの視点を通り過ぎてしまったかつての自分達を追うように意識を振り返らせる。


 すると、視界の中央に自分とシェイプシフターの背面が映り込み——その向こう側に突如として黒い靄のようなものが現れるのを見た。


 宙の、何もなかったはずの場所から湧き出るようにして現れたそれは、ハラミの意識ではつい先程にも見ていたので覚えがあった。


 ——時空穿穴……


 ヒュドラ擬きの体内に取り込まれていた時空の歪みが突如として現れ、体積を瞬時に膨れ上がらせていく。

 迫る脅威から逃げ延びるために必死になっていた自分の行く手を遮るように、闇が一面に広がる。


 突然の出来事にかつての自分は虚を突かれたようで、回避することも叶わず、闇の中へと飛び込んでしまった。

 そして、追走していたシェイプシフターも同様に黒に取り込まれてしまったのである。


 用を成したのか、時空穿穴は現れた時とは逆の動きで、宙の一点へと収束していく。

 まるで何も存在していなかったように、次の瞬間には痕跡一つ残さずに消え去ってしまっていた。


 ——そうだ……自分は、この後……


 記憶の蓋が剥がれ落ちたように、ハラミの脳内に情報の濁流が押し寄せる。

 何も見えない闇の中で意識だけが存在し、身動きも取れずに黒の世界を揺蕩い続けていたのだ。

 そこにあるのは恐怖と孤独だけで、徐々に心が蝕まれていった。


 元々自分は争いを恐れていた。

 何故好き好んで戦うのだろうと疑問を抱いており、同種の存在と出会した際には酷く嫌悪感を露わにされたのだ。

 何故、ミノタウロスの象徴であるバトルアックスを所有していないのかと誹りを受けたこともある。

 それでも、自分の考えは変わることはなかった。


 戦いは怖いもの。

 戦わずに済めば、その方が良かった。

 誰かを傷付けるのも、自分が傷付くのも怖かった。


 この闇の中での時間がその考えに拍車を掛けたのか。

 あるいは、精神が脆弱になったのか。


 いつしか自分は、それまで以上に戦うことを恐ろしいことだと思うようになっていた。


 どれだけそこで過ごしたかは分からないが、いつの間にか自分は時空穿穴の中から弾き出されており、次に視覚が像を結び出した時には、


 ——自分は、上位個体となっていた……


 その闇の中でいたことで進化を促されたのか、あるいは別の要因があったのかは分からない。

 ただ、自身に何が起きたのかだけは、思い出すことが出来た。


 黒の世界から帰還した自分の周囲にはシェイプシフターの姿はなく、何も分からない状態で放浪し、襲い来る魔物達から逃げ惑う日々を繰り返していた。


 その果てに、シロウとユズリハに助けられたのだ。


 これが自分の身に起きた出来事だった。

 それを思い出せたことで頭の中の靄が取り除かれたようにも感じたが、それでも、心の片隅に居座る澱みは残ったままだった。


 ——あのシェイプシフターに何が起きたのか……


 時空穿穴に飲み込まれたはずなのに、逆にそれを取り込み、驚異的な成長を遂げたシェイプシフター。

 その身に何が起きたのかが気になり、思考をそちらへ向けようとした直後、


「——!?」


 脳内が痺れるような感覚に意識が硬直する。

 自分とは異なる何かが、脳に無理矢理流し込まれているようで、怖気が走る。


 ——あ、あぁ……


 抗いようのない状況に、心はざわめき、意識が薄れいくのを感じる。

 視界がぼやけていく中で、ハラミの意識は情報の奔流に飲み込まれていった。

 お読みいただきありがとうございます! 


 少しでも気に入っていただけたり、続きが気になるなぁと感じていただけましたら、幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ