第72章『新たな出会い』
その邂逅は何を齎すのか。
運命の糸は絡み合い——
『次なる舞台へ』
「久々の外! ですわ〜!!」
太陽光を浴びずに過ごした丸十日という日々に終止符が打てることに歓喜したバニラが、迷宮区画の入り口となる関所を抜けた瞬間、開放感に任せた叫びを上げる。
関所前にはかなりの人集りが出来ており、何事かと視線が集中するのに気付いて、取り繕うように咳払いしているのを見て、すのぴは思わず苦笑を漏らす。
時刻は日の出からしばらく経った頃合いのようで、全身を包み込むような日差しを浴びて、気持ちが軽くなるのを感じる。
領根の内部、つまりは世界樹の恩恵を身近で受けていたために体内のマナが澱むことはなかったが、それとは別に陽の光は爽快感を齎してくれた。
北領では僅かにしか感じられなかった温もりを堪能するように深呼吸すると、周囲が次第に騒がしくなってくるのを感じた。
北領側の関所がそうであったように、こちらも小さな町が形成されており、迷宮区画に挑もうとする冒険者や北領へ向かおうとする行商隊で賑わっていた。北領側も喧騒に満ちていたが、氷雪に塗れた向こうに比べて温暖な気候のお陰か、数段陽気な賑わいに感じられたのだが、それぞれで賑わいを見せていた集団——そのどれもがこちらを見ては浮き足立つように騒ぎ立てているようだった。
ふと、視線をバニラの方に向けてしまうと、
「わ、私が叫んだからじゃありませんのよ!?」
と、慌てて自分のせいではないと主張する彼女に意味ありげに見てしまったことを詫びていると、とらが呆れたように声を挟んできた。
「お前さんの奇声は別にして、俺達自身が騒ぎの原因だろうが」
「奇声とはなんですか!!」
「あ、そっか」
とらに食って掛かるバニラを横目に、彼の言葉で迷宮区画の中層域に降り掛かった状況を思い出す。
ヒュドラ擬き——シェイプシフターの変異上位個体とでも呼称すべき脅威により中層域の関所は通行止めとなっていたのである。その状況で中から出てくる者がいれば注目の的になるのも無理はない。
「迷宮管理機構の連中に報告してくる」
脅威は去ったのだと伝わることで通行止めは解除され、足止めを喰らっていた者達の溜飲も下がることになるだろう。
とらがそう言い残して、人混みを掻き分けていくのを見送る。
その足取りが、普段より重いように感じるのは気のせいだろうか。
「とらさん、少し様子がおかしいですわね」
「バニラさんもそう思う?」
「シェイプシフターとの戦いの後辺りから、気が張っているようでしたわね」
バニラが言ったように、ここ数日のとらは警戒心を強めているようで、気を張り続けていたせいか流石に疲労の色が滲み出ているようだった。
何に対してかは分からない。単にシェイプシフターを討伐したことによる気の緩みを引き締めていただけなのかもしれない。そうではなく、何か気掛かりがあるのなら、
——話してくれれば良いのに……
こちらが思い悩んでいると溜め込まずに吐き出すように促してくれていたのに、自分のことは黙している様子にすくなからず、不満を感じてしまっている。
「まぁ、必要なことでしたら、いつか話してくれると信じて待ちましょう。とらさんも心配ですが、貴方は大丈夫ですの?」
と、話の内容がこちらへと向けられる。
バニラが気に掛けてくれているのは、未だに全身に浮かんでいる青黒い紋様のことだろう。
変装用の塗料で本来の体毛ごと覆い隠せてはいるが、元に戻らないことに多少の不安が付き纏っている。
「今のところは身体に悪影響はなさそうなんだけど、どうしても苛々しやすかったりする感じかなぁ」
シェイプシフターとの戦いの最中に発露した気性の荒さまでとは言わないが、心の奥が荒立つような感覚がずっと残っているように感じられる。
「今はその程度の影響でも今後はどうなるか分かりませんし、なるべく早く手は打った方が良さそうですわね」
本心からの心配を向けてくれるバニラに有り難さを感じると共に、対策となるような手立てが本当にあるのかと不安が膨れ上がりそうになる。
「詳しい人がいれば、良いのですけども」
周囲に人がいるので、ワンダーラビットという単語を伏せてバニラが呟く。
とら達から聞いた話によれば、ワンダーラビットは生きる伝説とも言える存在らしい。実感は湧かないが、そうなってくるとワンダーラビットに詳しい人物などいないに等しいのではないかと思える。
専攻は魔物学であるが、生物学の権威であるぽーをもってしても、分からないことの方が圧倒的に多いのである。
「あれ? そう言えば、ぽー博士達は?」
近くにぽーをはじめとしてレインやハラミの姿もないことに気付き、慌てて周囲を探る。
すぐに三人の姿を関所の鉄扉前で発見したが、離れた位置から見ても、何か揉めているような様子だった。
「どうかしたんですか?」
バニラと共に小走りで駆け寄ると、レインが無言で顎で指し示した先では、扉の影から恐る恐る外の様子を伺っているハラミをぽーが宥めているようだった。
「ほ、本当に、大丈夫でござるか?」
と、ハラミがヒノクニ特有の言葉遣いで確認してくるのに対して、ぽーが鷹揚に頷いてみせた。
「えぇ、大丈夫ですよー。今のハラミさんを見て、疑うような人はいませんよ」
と、太鼓判を押していた。
すると、ハラミは躊躇いながらも物陰から姿を現す。
それに気付いた者達が一瞬騒ついたが、すぐに意識は他へと逸れていった。
ミノタウロス特有の真紅の瞳、牛人族の証明であるタグがない姿に警戒が高まったのだ。しかし、象徴たるバトルアックスを持たず、代わりに腰に差した太刀のお陰で、ハラミに対する認識は真紅の瞳を持つ牛人族に落ち着いたのだろう。
牛人族が迷宮区画などの危険区域でタグを紛失することはよくあることなのだそうだ。それに加えて、バトルアックスを所有していないことが一番効果があったようだった。
シェイプシフターとの戦いでハラミが召喚した戦斧は、彼のオドから生み出されたものであるらしい。生み出したのなら収納することも可能なのでは、という意見に試したところ、ハラミの任意で出し入れが可能であると判明したのだ。
それに加えて、シロウが遺した大太刀を持たせ、更にはシロウの言葉遣いを真似たことによってカモフラージュは完成したのである。
「よく似合ってるよ、ハラミさ——ハラミ」
敬称を付けて呼ぼうとしたが、改めて呼び捨てに言い換える。
シェイプシフターとの戦いの後、彼からそう呼んでほしいと要望があったのだ。
形はどうあれ、彼が立ち向かう一歩を踏み出す後押しをしたことで、慕ってくれたということなのだろう。代わりにこちらのことも呼び捨てにしてほしいと伝えたが、
『いえいえいえ! 尊敬する相手を呼び捨てにするだなんて!』
と頑なに拒否されてしまったのだ。
どうあれ、ギクシャクしてしまった時のことを考えれば、今の関係性の方が何倍もマシである。面映い気持ちがないわけではないが、そこは甘んじて飲み込もう。
「それにしても、とらさん遅いね」
「何かあったんですかねぇ」
と、ぽーが溢すので心配になってくる。
「ちょっと様子を見てくるね」
とらが向かった方へと駆け出そうとしたが、バニラに腕を掴まれて止められる。
「お待ちなさいな。一人で逸れでもしたらどうしますの?」
私も付いて行きますわ、とバニラが申し出てくれるので、快く同行をお願いする。
すれ違いでとらが戻ってきた時のために、ぽー達にはこの場で待つように頼み、人の波を掻き分けていく。
時間が経つごとに関所に向かう人の流れが大きくなっているようで、もしかしなくてもとらからの報告を受けた迷宮管理機構の職員が通行止め解除の通達を行ったのかもしれない。
バニラと離されないように気を配りながら、流れに逆らっていくと、他人より鋭い聴覚が聞き覚えのある声を捉えた。
「バニラさん、こっち!」
彼女の手を引き、人混みの中から抜け出す。すると、思いの外近い位置にとらの姿を見付ける。
彼の正面には見知らぬ誰かがいて、その人物と何か話しているようだった。しかし、その様子が和気藹々ではなく、不穏な気配を感じさせるものだったので、咄嗟に声を掛けてしまう。
「とらさん、大丈夫?」
「なっ——来ちまったのかよ……」
こちらを見るなり、とらが額を手で押さえて盛大に溜息を吐き出していた。
「ほほぅ、これはこれは」
とらの様子に気を取られていると、彼と対峙していた人物がこちらをまじまじと眺めて、興味深そうに頷いていた。
均整に切り揃えられた濃紺色の髪は宵の口の空を彷彿とさせ、その下から覗く灰褐色の瞳には不思議な幾何学模様がうっすらと浮かび上がっていて、精神が引き込まれそうな錯覚に見舞われる。
「こちらの方はどなたですの?」
意識が釘付けとなっていたこちらに代わり、バニラが問いを放つ。すると。とらが苦い表情を浮かべたかと思うと、何かを観念したかのように謎の人物を紹介してくれる。
「あー……こいつはギルドお抱えの行商人で、だな」
知り合いだったのかと、バニラと共に警戒心を緩める。そんなこちらに突き付けるように、とらが驚愕の内容を告げてくる。
「鑑定眼っつー魔眼持ちで——すのぴ、お前の正体、もう見抜かれてる」
その言葉に表情が瞬時に強張るのを感じる。
そんなこちらの様子など気に留めないように、行商人の男が一歩前に進み出て、恭しく一礼すると、
「ばさ、と申します。——以後、お見知り置きを」
≪迷宮踏破編・完≫
見送る姿は、弱さを抱いてなお凛として進み行く。
別離の寂寥はあれど、共に歩む者達の存在に安堵する。
血は繋がらずとも、通わせあった心は固く結び付き、解けることはない。
継承された想いを胸に、我が子よ——
『いってらっしゃい』




