第71章『その時彼らは』
それは傍流に非ず。
誰もが皆、己が生涯の主人公——
『やるしかない』
「では、確かに送り届けたからな」
目の前の男が、険しい表情に違わぬ氷点下の声音で吐き捨てるように言ってくる。
畳み掛けるように頬に叩き付けられた寒風に、チンギスは思わず目を細める。
すのぴ達が出立して間もなく、ニーズヘッグは直ちに野営地解体していき、こちらは半ば追いやられるようにノース・ダストへと送還されることとなった。移送のためにあてがわれた人員は十名、その中に副団長であるレッドが含まれていたことには驚きを隠せなかった。
三日は掛かる行程を僅か一日半で強行したことと何か関係があるようだが、ぽーから一週間は安静にするようにと伝えられた身にはかなり堪えるものだった。背後に控えていたピーゲルやラージィの表情は回復するどころか更にやつれているように見える。
「もう会うこともあるまい。これに懲りたら怪しげなものに関わるのはよしたまえ」
ぴしゃりと突き放す物言いだったが、こちらの身を案じているとも取れるセリフだった。そのことを指摘しようものなら凍てつく視線と圧力で射抜かれてしまうだろう。
こちらが言葉を飲み込んでいる横をレッドが淀みない歩調で通り過ぎていく。団員達も一糸乱れぬ動きで彼に付き従っていく。
振り返り、彼らの向かう先がノース・ダストの商業地区であるのを見遣る。
その際に周囲に集まった民衆の目に気が付く。
物々しく武装した集団とこの街の裏社会を牛耳っている組織のトップ達が顔を付き合わしていたのだ。何事かと野次馬根性で遠巻きから様子を窺っていたのだろう。だが、注がれる視線の中に、好奇心や怖いもの見たさとは別物の感覚が混ざっていた。
それは——冷笑や侮蔑という言葉がよく似合うものだった。
——無理もない、か……
ノース・ダストの裏社会に君臨するホワイトケルベロス。その首領を含むトップスリーが、先の騒動で完膚無きまでに叩きのめされたのだ。こちらを敵視していた別勢力や肩身の狭い思いをしていた者達にとっては胸のすく思いだっただろう。
別に、傍若無人や暴君さながらな振る舞いをした覚えはない。いつの間にか慕って付き従ってくれた者達を守るため必死になっていたのだ。結果的に裏社会を手中に収めた者と持て囃されてしまったせいで、敵をも作ってしまったということだ。
——だが、それももう終わりだな……
なすべきこと——いや、そんな高尚なものではない。ただ自分がそうしたと思ったもののために、これから自分はホワイトケルベロスから去ろうとしている。つまり、組織を解体することとなるだろう。
身勝手だと誹りを受けるのは覚悟の上だ。ホワイトケルベロスの庇護を受けていた者達は、もしかしなくとも敵勢力の標的になってしまうだろう。不自由を強いてしまう後ろめたさが重くのしかかってくるが、それでも——恩に報いたいと思ってしまったのだ。それは、どんな悪事に手を染めたとしても揺るがすことのなかった報恩の誓いである。
生き残るために泥に塗れようとも、曲げることはなかった信念。
それがあったからこそ、ホワイトケルベロスを、自分を慕ってくれる者が増え続けたのではないかと考えている。
ならば、その信念を貫き通すためにも、自分は彼らを追い掛けて、助けてもらった恩を返さなければならない。
——なんて、言い訳だな……
憧れの人の力になりたい。そんな利己的な願いのために、多くの者達を裏切ろうとしているのだから、なんと身勝手なのだろうと、自分を責めたくなる。
我ながら身勝手な振る舞いに、苦笑が漏れ出る。
だが、こうと決めたのならば、それを貫き通すのも自分である。
心に決めたのならば、後は行動に移すのみである。
まず手始めに——
「……ニーズヘッグは、これから東領に向かうのか?」
投げ掛けた言葉にレッドをはじめとした十名の動きがピタリと止まる。次いで団員達の——取り分け、レッドから放たれる威圧感が増す。まるで喉元を握られてしまったような息苦しさを感じていると、レッドが微動だにしないままに言葉を放ってくる。
「それを知ってどうする?」
踏み込むつもりならば排除する。言外に伝わる脅しに飲み込まれそうになるの拳を握り締めて堪える。手の平から血が滲むような痛みで、恐怖を抑え込む。
「俺達をノース・ダストへ送り届けたことで、彼からの依頼は完了した——それで間違いないだろう?」
詰問には答えず、更なる問いを覆い被せる。
レッドが放つ威圧感が敵意に変わるように感じられたので、実力行使で口を塞がれる前に捲し立てる。
「なら俺達から次の依頼を受けても問題ないはずだ」
「——ほう?」
レッドが振り向き、その鋭い表情に興味が湧いている色が見え隠れする。
関心を得た手応えに内心が浮き足立つが、あくまで態度はホワイトケルベロスの首領としての威厳を保ったまま、
「金ならある。少し——話をしないか?」
◆
かぷこーんが目を覚ますと、そこは変わり映えのない白亜色の世界だった。曇天に覆われ、至る所に青黒い紋様がひしめきあっている。
目は覚めたものの、朦朧としたままの意識に顔を顰める。
頭を振ることで脳内に纏わり付いた靄を払う。幾分か思考が働くようになったので、まずは現状の確認を行う。
意識を失う前と同様に身一つで、騎士の鎧や剣はどこにも見当たらない。
身体を拘束されていた形跡はなく、打ち捨てられたかのように大地に横たわっていたようである。
——確か……
記憶の糸を手繰り、自身に何が起きたのかを思い出そうと試みる。
脱出の糸口を探そうと当てもなく彷徨っていると、荘厳な十字架に禍々しい茨のようなもので拘束されている女性を見付けたのだ。
まるで高尚な芸術品のような存在に目を奪われていると、見知った——それでいて異質な存在に敵意を向けられたところまで記憶の再生が完了する。
——あれは、すのぴだった、はずだ……
人族からすれば兎人族をはじめとした獣人は見分けが付け難いのだが、記憶に新しいすのぴの姿とあの時現れた存在は瓜二つのように感じられた。違いがあるとすれば、この世界を構成する要素のようである青黒い紋様で全身がびっしりと覆われていた点である。
あれは何だったのかと想像を働かせていると、
「もう、意識を取り戻したのか」
背後から感情の起伏が感じられない淡々とした声が聞こえてくる。
気配を感じられなかっただけに慌てて振り返ると、手が届きそうな位置に不気味な紋様で覆われた兎人族——すのぴと覚しき人物が佇んでいた。
「君はすのぴ、なのかい?」
「…………さぁね」
少しの間を置いて返ってきた答えは、はぐらかしているというよりは、どうでも良いと吐き捨てるような印象だった。
目の前の人物がすのぴとどのような関係にあるかは分からないが、聞きたいことは幾らでもあった。
ここはどこなのか。自分の身に何が起きているのか。ここから脱出する方法はないのか。
何から質問すべきかを頭の中で整理していると、目の前の人物は徐に口を開く。その様子は見るからに面倒そうであり、
「時間がないから手短に説明する。ここは■■■■■■■■の中で、脱出は……まぁ一年後になれば、勝手に排出されるだろう。それと、君の身に何が起きたのか、についてだが」
「————」
心を読み取られたように思い描いた質問の答えが粛々と並べ立てられていく。
所々雑音で掻き消されたように聞き取れなかったが。感情が伝わってこないその様子に思わず息を呑む。そして、告げられた言葉に全身の桃色の体毛が総毛立つのを感じた。
「■■■の端末を使ったんだろう? その姿に変異してまで、アレを逃がすために」
ゆっくりと持ち上げられた指先がこちらを指し示された瞬間、今まで認識出来ていなかった自身の肉体を正確に捉えることが出来た。
そうだ。
自分はすのぴを逃がすためにマジカルソフトの機能を行使して、すのぴと同じワンダーラビットへと存在を書き換えたのだ。
そして、TOIKIに飲み込まれて——
「それじゃあ、ここはTOIKIの体内、なのか……?」
「————」
脳内の靄が晴れたように意識がハッキリしてくるのが分かる。ようやく思い出せたことを、目の前の彼に確認するように口に出すが、彼は先程説明しただろうと言わんばかりに視線を細めて黙したままだった。
何故かは分からないが、聞き取れなかったのだから容赦してほしい。だが、彼の反応を見るかぎり、こちらの認識にそれ程間違いはないのだろうと判断する。
夢だと思っていた現状が、実際に起こっている事象であること。記憶が混濁していたせいか、自身の肉体に対して疑問を抱けなかったこと。色々と頭を悩ます状況ではあったが、ここで頭を抱えていても仕方がない。
どうにかここから脱出する方法がないかと視線を巡らせていると、
「そろそろ限界か」
と、すのぴに似た人物が静かに言い放った。
何が限界なのかと疑問が沸き立つと、すぐさま答えが返ってきた。
「僕が僕として意識を保っていられる時間だよ。そろそろ、また■■■■■の呪いに意識を飲まれてしまうだろう」
またしても聞き取れない言葉が耳の奥をざわつかれせる。いったい、何の呪いが彼の意識を蝕むのか。その疑問を思い浮かべても、それには何も返ってこなかった。
「次はいつ意識を取り戻せるか……もしその時までに君が■■■■■の呪いに囚われていなければ、その時は——」
「ま、待ってくれ!」
静止の呼び声はしかし、空しく空気を震わせるだけだった。
目の前の人物が突如として影の中へと取り込まれてしまい、誰もいない無辺の荒野に置き去りにされてしまった。
彼の口振りから推測するに、いつかまた話せる機会があるのかもしれない。
——それまでに僕が無事であれば、ということだろうか……
自分以外に何者も存在しない荒野で何か身の危険が起こり得るのだろうか。
身構え、周囲を警戒するように感覚を研ぎ澄ませながら、状況の変化が訪れるのを待ち構える。
「そう言えば——彼女のことも訊けば良かったな」
静寂が堪えてきたせいか、思わず独り言を溢す。
十字架に磔にされていた女性が誰なのか。彼はその問いに答えてくれるだろうか。そんなことを考えていると、ついに状況の変化が訪れる。
こちらを取り囲むように灰色を帯びた大地に漆黒の穴が現れたのである。穴はそれ自体が生物のように脈動を繰り返し、徐々にその表面を隆起させてヒトのような姿を模り始めた。
せり上がってきた姿形は様々であるが、全身を深淵の闇を彷彿とさせる黒で覆われている共通点から、それが何者なのかを理解する。
「……シャドウ」
ボックスにそのまま収納されてしまった生物の成れの果て。否、視線を凝らして見れば、闇はただの黒ではなく、この世界に満ちた青黒い紋様で構成されていた。
シャドウであって何かが異なる存在。そのような魔物が何故このような場に現れたのか。
不明の事柄が増える一方だったが、そのことに意識を裂いている余裕はなさそうだった。
出現したシャドウような群れが、一様にこちらへと敵意を向けているのが感じられたからだ。
「囚われていなければ、か」
先程彼が言い残した言葉を反芻する。
つまりはこのシャドウに似た何か——彼の言葉を借りるならば某かの呪いは、こちらを捕らえようとしてくるのだろう。
予想通りに、影の集団がにじり寄るようにこちらとの距離を縮めてくる。
囚われてしまったらどうなるのか、少なくとも状況が好転するということはないだろう。すのぴに似た彼とも言葉を交わす機会も失われてしまうかもしれない。
ならば、
「やるしか、なさそうだね」
今、頼れるのは己の肉体のみ。
どこまでやれるかなど分からないが、それでも現状を打破するためにも大人しく捕まってやるわけにはいかなかった。
拳を握り締め、全身に力を巡らせて——駆け出す。
こうして、気が遠くなるような戦いの日々が幕を開けたのである。
◆
手元に回収した出来たものを確認して、安堵の息を吐き出す。
もしかして、という思いで確認したところ、嫌な予感とは何故こうも当たるのだろうかと複雑な気持ちになってしまう。
彼女の体内に仕込まれていた、呪いの種。
埋め込まれた者のオドを劇的に拡張させ、マナの出力を大幅に増大させるそれは、一見すると恵みをもたらす奇跡の現れなのかもしれないが、その副作用として苗床となった肉体の生命力を喰らい尽くす禍禍しいものだった。
戦いの最中、皆の意識が強大な敵に向けられていた隙をついて回収したので、誰の目にも留まらなかったはずだ。
余計な嫌疑を掛けられるのも億劫だったし、正義感で不用意に首を突っ込ませるのには忍びない。
これを扱う者には極力誰も関わらせない方が良い。
可能ならば、秘密裏にその者を処理してしまえれば良いが、世の中そう上手くいくことばかりではない。
今はまだ、我慢の時だ。
彼らを追い詰めるための準備を整え、いつか訪れる厄災、その禍根を絶つためにも——
「おい」
突如掛けられた声に、一瞬で意識が緊張に染まる。
振り返ると、黒衣の戦士が鋭い眼光でこちらを睨みつけてくる。
「気付かれてねぇと思ってたんなら、随分と舐められたもんだな」
さすが、という感想が脳裏を過ぎるが、素直にそれを口に出したところで、今は火に油を注ぐようなものだろう。
敵意や抵抗の意思がないことを伝えるためにも、両手を上げて相手の出方を窺う。
瞬時に間合いを詰められ、いつの間にか抜き放たれていた大剣——その冷たい鋒が喉元に突き付けられる。
「答えてもらうぜ。ユズリハの遺体から、何を抜き取ったんだ——ぽー!」
お読みいただきありがとうございます!
今回はすのぴ達とは離れて行動する者達、そして隠れて何かをしようとしている者に焦点を当ててお送りしました。
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