第69章『追憶の果てに』
帰還の導。
光への誘い。
背中を押す祝福の言の葉は——
『いってらっしゃい』
漆黒が再び視界を覆い尽くす。
先程までハラミが見ていた光景は見る影もなく、闇の中へと飲み込まれてしまった。
——さっきのは、シェイプシフターの……
自分が気になったことに呼応するように、再現されたのは紛れもなくかのシェイプシフターの記憶だった。
ヒトに興味関心を抱き、好奇心を満たさんがために捕食を繰り返し、その度に恐れられ排斥され続けてきた。
ヒトを知り、その果てにヒトの輪の中に入り込もうとしたのだろうか。偶然にも優しく迎え入れられた際に満たされた感覚がこちらにも伝わってきていたので、もしかするとシェイプシフターは心安らげる居場所が欲しかったのかもしれない。
だが、他者を理解するために捕食を続ける存在を、ヒトは当然のように害を為すものとして排除する。それを理解出来ていれば、違った未来も有り得たのかもしれない。
そんなもしもが頭を過るが、あのシェイプシフターはどこまで行こうと魔物という枠から外れることはなく、ヒトを害する存在であり続けた。
——自分は、運が良かったのでしょうね……
上位個体になる前から臆病な性格だったことが分かり、あの様子だとヒトを襲ったこともなかっただろう。知性を得てからは言葉を操ることで、意思の疎通が行え、そして何より、
——シロウさんとユズリハさんに、出会えたから……
あの二人ではなく、こちらを問答無用で討つべき相手とみなして攻撃してくるような相手であったら、自分はヒトを恐ろしい存在だと認識していただろう。その心を閉ざし、あらゆる存在から逃げ回る日々が続いていたはずだ。
彼らとの出会えたこと。その幸運に加えて、シェイプシフターの身に起こったことを思えば、自分は本当に運に恵まれていたのだと感じる。
時空穿穴へと飲み込まれ、その後迷宮区画に帰還した際、シェイプシフターの意識に変調が起きていたことを思い出す。
時空穿穴の中で見た恐ろしい何か。
その何かにまるで操られた、あるいは精神を蝕まれたように、破壊衝動に染まってしまっていたのだ。
自分は上位個体としての知性を得ていたが、その精神は断絶したものではなく、変わらず恐れという感覚を抱き続けていた。
何が明暗を分けたのか。それは本当に偶然だっただけかもしれない。もしかしたら、シェイプシフターを蝕んだ何かにとって、自分の臆病な性格は受け付けられなかったのかもと考えていると、
《コワセ》
タイミングを見計らっていたかのように、脳内に直接語り掛けてくる声が響き渡った。
その声が、シェイプシフターを蝕んだ何かのものだと直感で悟る。
シェイプシフターが消滅した今、別の宿主を求めるようにこちらの内側へとドス黒いものが侵食してこようとしている。
立ち向かい、戦うことを選んだ今の自分はソレの眼鏡にかなう存在になったというのだろうか。
泥のように纏わりつく何かが全身を覆い、体表から染み込むようにして内部から自分という存在が塗り替えられていくような感覚を覚える。
心がざわめき、破壊衝動が湧き上がってくるのを感じられる。意識が周囲の黒に溶けて混ざり合い——
『ハラミ』
こちらを飲み込もうとしていたものとは別の声が、意識から黒いものを取り払っていく。
届いた声は一つではなかった。
決して沢山の、という訳ではなかったが、今まで出会った人達の声が、こちらの意識を鮮明にしていく。それに伴って全身に纏わりついていた重苦しい感覚も消え失せつつあった。
気が付けば、闇の中に光が差し込んでいた。
小さな点のように見えたそれは、次第に光量を増してこちらを照らし出していく。
その輝きを求めるように手を差し伸ばす。身体が浮遊感に包まれて、光の中へと吸い込まれていく。
意識が黒から白へと染まっていく中で、
『いってらっしゃい』
愛おしい声が聞こえた、よう、な……
◆
「おい! 目ぇ覚ましたぞ!」
視界が開けていくのを感じながら、聴覚が慌ただしい周囲の音を拾ってくる。
目は完全に開いたはずなのに、何故か滲んでいたよく見えない。いつの間にか横たわっていた上体を起こし、ぼやけた視線で周りを見渡す。
ようやく焦点が合ってきたのか、こちらを覗き込むようにしている者達の表情を捉える。
すのぴ、とら、バニラ、ぽーが一様に心配を表情に浮かばせている。少し離れたところで、レインが呆れたようにこちらを見下ろしている。
「どこか、不調を感じるところはありますか?」
ぽーの問い掛けに全身に意識を向けるが、少し気怠さを感じるぐらいで目立った不調はないように思えた。そのことを伝えると、ぽー達は一斉に安堵の溜息を吐き出した。
どういうことかと首を傾げると、バニラがやれやれといった様子で答えてくれる。
「貴方、マナが尽き掛けて死ぬ寸前でしたのよ」
「え……?」
予想だにしていなかった内容に、思わず息を呑み他の者達の反応を伺う。返ってきたのは無言の頷き、その後にレインから心底呆れかえった声音の、
「まったく……死にかけるぐらいにマナを振り絞るなんて馬鹿のすることだね」
だけど、と言葉を繋げて、
「これだけの威力を目の当たりにしたのは——正直、爽快だったよ」
そう告げるレインの視線を追うように顔を横に向けると、
「なん、ですかこれ!?」
その光景に度肝を抜かれる。
天井と地面に鋭利なもので抉られたような痕跡が刻まれていた。その幅約5メートル。天井側に刻まれた深さは距離があってよく分からなかったが、地面のそれは10メートルにも及そうな程に深く削り取られていた。見れば、奥の壁面も空間そのものが消失したかのようにぽっかりと抉られており、壁向こうの空間が見えてしまっていた。
「これを、自分が……?」
再度の頷きが返ってくる。
思わず頬が引き攣り、それと共に自身の持つ力の大きさに畏怖の念が浮かび上がる。
「もしかしたらさ」
と、すのぴが何かを考え込むようにして言葉を漏らす。
「ハラミ……さんは、力の強大さを恐れたのかもしれないね。その力で誰かを傷付けたくなかった」
だから、戦うことを避けていたのかも、と言うすのぴに乗じるように、バニラととらが続ける。
「臆病であったかもしれませんが、それと同時に貴方が優しかったから、ですわね」
「力の使い方は、今後覚えていけば良いだろうよ」
その様子を離れて見ていたレインが小さく溢す。
「本当に君って奴は、魔物らしからぬ存在だよね」
その発言を耳聡く拾い上げたとらとバニラが、ニヤニヤと表情を歪ませてレインににじり寄る。
「へぇ〜、随分とハラミのことを認めてるような発言じゃねぇか」
「あらあら、どういった心境の変化ですの?」
二人に絡まれたレインが鬱陶しそうに払い除けようとするのを見て、自然と笑みが溢れる。
「何はともあれ、被害をまき散らしていたヒュドラ擬き——シェイプシフターの討伐は完了したわけですね。ハラミさん、お疲れ様でした」
ぽーの言葉に、ようやく実感が湧いてくる。
シロウとユズリハの仇をとった、とは思わない。ユズリハに至っては病に蝕まれた結果であり、その責をシェイプシフターに押し付ける気はない。
これ以上被害が出ないようにシェイプシフターを止めたい。そんな二人の願いを果たせたこと胸を撫で下ろす。
二人を正しくヒュドラの元へと案内出来ていればという後悔は、依然として胸の奥で燻っているが、それ以上に、二人と——皆と出会えたことへの感謝が溢れ出す。
「皆さん、ありがとうございます」
そして、あの闇の中で恐ろしい何かに飲み込まれずに戻ってこれたのは、きっと皆が呼び掛けてくれたからだ。だから、この言葉を告げるべきだ。
「ただいま、戻りました」
皆が目を見開き顔を見合わせ、暫くするとそれぞれの様相で声を揃えて返してくれる。
「おかえり」
お読みいただきありがとうございます!
これにてシェイプシフター戦完結です!
これから後処理を済ませて、すのぴ達の物語は次なる舞台へと向かいます。
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