第48章『凍て付く世界』
沸き立つものは、憎悪と歓喜。
蠢く感情は、己が望みを見据え――
「されど、その裡は閉ざされて」
「レイン――やれるのか?」
「僕の出番のようだね、と言ったよ」
底が知れない不敵な笑みを浮かべているレインがはっきりと告げてくる。
ぽーからのオーダーは、高速の再生能力を持つ巨体を瞬時の間に切り刻むというものだ。
常識的に考えれば、人一人の手で成し得るものではない。
しかし、
――魔王……
レインの異名が脳裏に浮かぶ。
その由来は、敵対した相手に対する無慈悲さから来る――だけではない。嘘か真か、人智を超えた魔王と呼ぶに相応しい力を有しているからというのがもっぱらの噂である。
その話を耳にした時は噂話に尾ひれが付いているだけだろうと思っていた。実際に行動を共にしていても、かなりの実力者であるのは確かだと認めていたが、やはり過剰な噂話が流布されていただけだと感じていた。
しかし、今のレイン――身体の芯から底冷えするような気配を放つ彼を前にして、己の推測が過ちだったと細胞の一つに至るまで理解させられた。
威圧感はない。だが、静か過ぎる冷気が恐怖を纏って全身を包み込もうとしてくる。
「……………………」
「そろそろ戻ってあげないとキツそうだよ」
異様な気配に飲まれそうになっていると、レインが前方を指差して知らせてくる。
戦闘中に意識が囚われた事に舌打ちし、改めて敵を見据える。
レインも抜けてきたせいで、今はすのぴとバニラの二人だけで相手を抑え込んでいる状態である。縦横無尽に立ち回っているが、レインが言う通りかなり厳しい状態のようで、
「ちょっと!? どちらでも構いませんから早く戻って来てくださいまし!」
と、バニラの甲高い怒声が響き渡る。
すのぴからも、無言で懇願する視線が刺さってくる。
「――頼んだからな」
任せてしまって良いものかと逡巡したが、他に手がないのも確かだ。
後ろ髪を引かれつつも、戦線に復帰する為に駆け出す。
そんなこちらの背中に投げ掛けるように、
「準備が出来たら合図するよ。だから――」
絶対零度、と形容するに相応しい声が、悪寒のように走った。
「――巻き込まれないようにね」
◆
「準備にはどれぐらい掛かりそうですか?」
戦闘に復帰するとらを見送ると、背後のぽーから訊ねられる。
こちらを警戒するような声音に思うところがない訳じゃなかったが、そんな事にいちいち心を乱すような時期などとうに過ぎ去っている。
「三分で完了するよ。だから――彼等への合図と、防護を頼んだよ、博士」
「…………了解です」
それ以上は言葉を交わさずに、為すべき事に集中する。
手にした双剣を交差するように構え、刀身にマナを奔らせる。
内よりわきあがるマナが刀身を覆い、魂すら凍て付かせる青白い光を放つ。
「幽谷より来たるは嘆きの川」
距離を取っているにも関わらず、視界を覆い尽くさんとする巨体を睨み付ける。
視線に怒りが、憎しみが――そして歓喜が宿るのを自覚する。
「地を這い、凍て付き、織り成すは悔恨の牢獄」
魔物は嫌いだ。憎んでいると言っても良い。
すのぴからの問い掛けに、全ての魔物に対する感情はそうであると答えた。
だが、それだけではないのだ。
「生きる者には無情の裁きを」
憎悪を振りまき、魔物を屠り続けていく中で、芽生えた感情があった。
愉しい、と――
「死せる者には無辺の静寂を」
殺戮が、ではない。
自身を凌駕する存在に挑み、それを超越する事に愉悦を感じるようになったのだ。
滅ぼしたい存在、されど時に生を満たす歓びを授けてくれる相手――それが、自分にとっての魔物という存在である。
「咎人の魂は怨嗟と共に天へと還り――」
故に、弱い魔物には憤怒が沸き立ち、強い者ならば魔物でなくとも心が躍る。
だから、力を持っているのに臆病風に吹かれているミノタウロスには一際に苛立ちが募る。
そして、彼には――
「…………」
思わず笑みが零れる。
今はまだその時ではないが、やがて芽吹くであろう才覚に心が震える。
その時が来るまで堪えなくてはならない事にもどかしさを感じるが、気が熟す前に刈り取る愚は犯す訳にはいかない。
今は、目の前の相手で我慢するしかない。
瞬く間に傷を癒し、こちらの命を刈り取ろうとしてくる相手が、この愛憎渦巻く心の内にどれだけの光をもたらしてくれるのだろうか。
きっと満たされる事はないだろうという諦観と、僅かな期待を乗せて――
「やがて――神をも屠るだろう」
足を前へと踏み出す。
直後、ぽーが何かを叫んでいたが、音は凍て付きこちらの耳朶を打つ事はなかった。
双剣が纏う輝きが増し、薄暗い迷宮区画を照らし出す。
極限まで膨れ上がった光を巨大な体躯へと突き立てる。
「――氷獄」
直後、世界は氷に閉ざされた。
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