第44章『不明の感情』
湧き上がるこの感情に何と名前を付ければ良いのか——
『分からないんだ』
「それで、何が訊きたいんだい——すのぴ」
緊張した面持ちで、それでも視線を泳がせる事なく、こちらを見据えてくる相手に、続きを促すように声を掛ける。
内容があのミノタウロスの事であるのは分かっている。
アレが魔物である以上、こちらとしては殲滅の対象でしかない。こちらの意思がそうであると分かった上で、何を聞き出したいのか——その点に少し興味が湧いたのだ。
だから、彼の言葉に耳を傾けてみようと思った。
「レインさんは、ハラミさんの事が嫌い……なんですよね?」
「そうだよ? アレに対してと言うよりは、全ての魔物に対してだけど」
こちらの様子を伺いながらの、言葉を選んだ問い掛け。
何を当たり前の事を、とすげなく切り捨てる。
すると、すのぴが辛そうな表情を浮かべるのを見て、落胆の念が浮かんでくる。
——僕の答えなんて、分かりきっていただろうに……
何を期待していたんだか。
恐らく、あのミノタウロスがコミニュケーションを取れるから、歩み寄って欲しいといったところだろうか。
——馬鹿馬鹿しい……
所詮、相手は魔物なのだ。
ごく稀に人に好意的な種も存在するが、アレは獰猛で有名なミノタウロスなのだ。
どんなに高い知性を持っていたとしても、種の本能を捨て切れるものではないはずだ。
むしろその知性を以て、こちらの隙を窺っていると考えた方が自然である。
それを理解しないすのぴは——
——とんでもないお人好し……
一人で勝手にやっている分にはどうでも良いが、それを周囲にまで押し付けないで欲しい。
「訊きたいのはそれだけなら、話は——」
「あ、あの!」
踵を返し、話はそれまでだと拒絶の意を示そうとしたが、追い縋るようなすのぴの声に引き止められる。
「……なに?」
自分でも思いがけない程の冷めた声音が喉を震わせた。
こちらの言葉に身を突き刺されたすのぴが後退りしていたが、それでも視線はこちらを捉えて放さなかった。
「誰かを嫌いになるって、どんな感じなんですか?」
「…………………………はい?」
◆
「教えて欲しいんです……嫌い、という感情がどういうものなのか」
予想だにしていなかった問い掛けに呆けていると、すのぴが身を乗り出して質問を重ねてくる。
なぜ。
なぜそのような問いを発するに至ったのか。
鈍くなっていた思考を総動員させ、すのぴの意図を推し量る。
アレについて聞いて回っている状況に、嫌うという感情を知ろうとしている内心。
その事からある憶測が浮かんで来たが、断定する要素はなかった。
だから、すのぴがどう感じているかを引き出してみようと思い、
「それは……君があのミノタウロスを嫌っているからかい?」
随分と親しげにしているようだったが、本心では嫌っていたというのなら、彼は予想に反して随分と腹黒いという事になるのだが、
「嫌い、ではないと思うんですが……ハラミさんと話していると時々、胸の奥がもやっとしてきて」
そういう訳ではなさそうで、アレに対する感情に名を付けれず戸惑っているという様子だった。
なんだ、と肩すかしを食らったような気になり、全身から力が抜けていくのを感じる。
彼が想像以上の切れ者であると期待したのだが、蓋を開けてみれば幼子があらゆる物事を知ろうと問いを発しているようなものであった。
「悪い魔物じゃないと、今でも思ってるんですが……これがどういう感情なのか、自分でも分からなくて……もし嫌いなんだとしたら、レインさんの話を聞いたら納得出来る部分があるのかな、って」
こちらが黙っていると、取り繕うかのようにすのぴが話を続けてくる。
それに対して、呆れた表情を押し込め、平静を装って振り返る。
「君は、僕がアレを嫌っていても構わないと?」
「一緒に行動する以上は争って欲しくないですが、レインさんはハラミさんと距離を取っているので、無理に仲良くしてもらおうとは……」
レインさんにもきっと、色々と思うところがあっての事でしょうから、と締め括るすのぴをじっと見据え、内心で溜息を漏らす。
純真無垢でお人好しと思っていたが、随分と距離感や関係性を気にする質のようで、彼に対する認識を改めざるを得なかった。
「さっきの質問の答えだけどさ」
毒気を抜かれたからなのか、あるいは必要以上に心配する必要がないと感じたからなのかは、自分でも分からないが、気まぐれのままに問いの答えを口に出していた。
「嫌いの形や強さも人それぞれだと思うけどね……突き詰めれば、関わりたくない――自分の人生から排斥したいって事だと思うよ」
◆
レインが立ち去ったのを見送り、彼の言葉を脳内で反芻する。
——嫌いは、関わりたくない気持ちの表れ……
だとするならば、自分がハラミに抱く不明のもやもやはそれ以外の感情という事になるはずだ。
ハラミとは良好な関係を築けていると思う。
話していて楽しいと感じているし、彼が抱えている問題に首を突っ込んだのは自分なのだ。だから、関わりたくない——嫌っているという事ではないはずだ。
だとするならば、この感情はいったい何なのか。
仲間達の話を聞いて、もしかしてというものもあったのだが、何かボタンを掛け違えているようなが違和感があるような気がして、納得する事が出来ないでいた。
胸中に沈殿する澱のような気持ちに、頭を悩ませるしかなかったが、結局その答えを見付ける事は叶わないまま翌日を迎え——そして、件のヒュドラを捕捉するに至ったのである。
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