第15章『疾走宿の介抱者』
旅は道連れ世は情け。
誰かが困っているならば、手を差し伸べるのが人の情――
『何かお困りでしょうか?』
「うわぁ! すっご~い!」
凄まじいスピードで流れていく光景を見て、すのぴが無邪気にはしゃいでいる。
ホワイトケルベロスを退けた後、とら達は目的としていた定期便の停留所を訪れ、今はこうして疾走する大型橇上に設けられた簡易宿の中で、到着までの時間を思い思いに過ごしていた。
「ギガント・レインディアを見た時にも目を輝かせてたが、こいつは怖くないのか?」
「全然!」
先程の様子を思い返してとらが問い掛けるが、すのぴは窓の外から視線を逸らすことなく快活に答えてみせた。
ラージィという巨人族を相手にしたときは恐怖があったと言っていたが、大きいからといって無条件で怖いという訳ではないようだった。
敵意が無ければ問題ないということなのだろう。現に、全長十メートルを越える大型生物であるギガント・レインディアの威容に驚いてはいたが、その姿に魅入っていたのだ。
「で、お前さんは大丈夫……じゃなさそうだな」
とらが視線を向けた先、バニラがベッドで横たわり青い顔で唸っているのを見て、やれやれと溜め息をつく。
ピーゲルとの戦いでは気を張っていたからまだ良かっただろうが、緊張を解いた瞬間に酔いがぶり返してきたのか、部屋に入ってからはずっとこの調子だった。
――いや、むしろ……
ギガント・レインディアの定期便は、大型橇に振動緩和や風除けの他、襲撃に備えて結界の魔道具が取り付けられているが、それも万全ではない。
振動に関してはあくまでも緩和なのでゼロにすることは出来ないので、どうしても揺れを感じずにはいられないのである。
そのせいで、バニラの酔いは悪化しているようにも見える。
「酔い止めの薬、ってないの?」
流石に見るに見かねたすのぴが、バニラに問い掛けるがうめき声をあげながら首を横に振るだけであった。こちらのボックスにも、その手の類は入れていなかったので、
「添乗員に言えば出してくれるはずだな」
「じゃあ貰ってくるね」
仕方ないと腰を上げた所で、すのぴが申し出てくる。
一緒に行くべきかとも思ったが、この中で何か起きるとも思えないし、万が一何かあってもすぐ駆け付けられるだろう。
バニラと出会った時にも別行動をとったこともあるし、と振り返り、
「じゃあ、頼むわ。何かあったら知らせろよ。あと、怪しい奴がいたら、すぐに逃げてこい。いいな?」
「うん、行ってくるね」
決して広いとは言えない簡易宿だが、頼まれごとが嬉しかったのか、すのぴは軽い足取りで部屋を出て行った。
こちらの忠告を本当に分かっているのか不安になったが、ここでトラブルに巻き込まれることもないだろうと言い聞かせ見送っていると、微かに目を開けたバニラがぼそりと呟いた。
「…………過保護」
「うるせぇ」
◆
「申し訳ございません。積荷の手違いで酔い覚ましの薬の在庫がございませんで……」
深々と腰を折る添乗員に確認して貰った礼を伝え、どうしたものかと頭を悩ませた。
目的地の迷宮区画の入口までは三日程掛かるそうなので、それまでバニラに酔いと戦ってもらうのは流石に憐憫の念を禁じ得ない。
では、どうするかと解決策を考えていると、
「もし……何かお困りですか?」
「え?」
ふと、こちらに向けられたであろう柔和な声に振り返ると、そこには一人の男がこちらを心配に見ていた。
白衣のようにも見える旅装を着込み、眼鏡越しに見える細目を垂れ下げている男性が身構えるこちらを見て、慌てて言葉を続けてくる。
「急に失礼しました。お困りの様子でしたので、つい声を掛けてしまいまして」
「あ、いえ……ありがとう、ございます」
どう反応したものかと迷ったが、気遣って声を掛けてくれたこと感謝の言葉を返す。
――ダメ元で、訊いてみようかな……
目下の困りごとの解決策として、添乗員の人が駄目なら他の乗客に頼ってみてはどうだろうか。
とらには怪しい人がいたらすぐ逃げてこいと言い含められていたが、目の前の男性がこちらを心配してくれているのが伝わってきていたので、きっと大丈夫だろう。
――それに、なんだかこの人を見ていると、不思議と落ち着く……
奇妙な感覚を覚えながらも、手を差し伸べてくれているのだから、その厚意に甘えさせてもらうことにする。
「実は……」
◆
すのぴの帰りを待っていると、ドアをノックされる音が聞こえてきたので、歩み寄り扉越しに誰何すると、
「僕なんだけど、ちょっと良いですか?」
すのぴの声が返ってきたので、わざわざノックしてきたことを訝しみながら扉を開けると、彼とその背後にいる男を見付け、視線を細める。
「後ろのは?」
鋭くすのぴに問い掛けると、彼はしどろもどろになりながらも事の経緯を説明し始めた。
聞けば、酔い止めの薬が運悪く底を突いていたのだが、そこの男性が力になれるかもしれないということでここまで連れてきたらしい。
少し不用心ではないかとすのぴに小言を言いそうになるが、この場でそれをするのも気が引けたので、ひとまず中へと招き入れることにする。
「あんた、医者かなんかなのか?」
身なりから推測を立てて問い掛けると、男は頬を掻きながら、
「しがない生物学者ですが、薬学や医学にも多少心得がありまして――あ、申し遅れました。私はぽー。普段は学術都市メーティスで教鞭を執らせていただいてますが、今はフィールドワークの一環で大陸中を旅しております」
「あ、僕はすのぴって言います。それで――」
呑気に自己紹介を交しあう二人を見て、呆気にとられる。
名前も知らずにここまで連れてきたのか――ということにではない。
南領にある学術都市メーティスのぽー。
それは世間では知らない者の方が少ないであろう程のビッグネームだった。
「あんた――魔物学の第一人者って言われてるぽー博士か!」
「お恥ずかしい限りですが、そのぽーです」
「えっと……有名な人なの?」
照れ隠しにあははと笑っている彼を尻目に、すのぴがこっそりと訊ねてくる。
すのぴが知らないのは仕方がないが、ぽー博士の名は初等教育でさえその名が紹介される程の著名な人物である。
大陸中を旅し、各地の魔物達の生態を調べ上げ、世に知らしめた彼の実績は計り知れない。
彼が書き記した魔物大全により、多くの者がその実態を知るようになり、必要な対策を講じさせることに繋げさせたのである。
――魔物による被害が目に見えて減ったのは、それのおかげって話だしな……
勿論、魔物に害される者は後を絶たないので、自分のような依頼請負人やかぷこーんをはじめとした騎士達の必要性が失われることはなかったが、それでも彼の功績は人々の安寧に大きく貢献しているのは確かだ。
そのような偉業を成し遂げたにしては、目の前の彼はあまりにも若く見えるが、
――長寿種族との混血、だったか……
実際のところは公言されていないが、彼の見た目は人族でいう三十代のそれであった。為し得た功績を思えばその話は確かなのだろうと納得する。
「それで、酔ってしまったのはこちらのお嬢さんで?」
「あ、あぁ……昨日深酒した上に、乗り物酔いしちまったみたいでな」
問われたので、返事と共に横たわっているバニラを指し示すと、ぽーが徐に近付き、彼女の様子を確認し始める。手際良く済ませて一言、
「確かに、仰る通りの様子ですね。これなら持ち合わせの薬で症状が落ち着くはずです」
そう言って、一度部屋から出て行ったぽーがすぐに戻ってきて、薬が入った紙袋を手渡してくる。
「念の為、多めにお渡ししておきます。食後に一包みずつ、一日三回服用させてください。食欲がないようでしたら、無理に食事は摂らずに白湯と共に飲ませてあげて、様子を見ていただければと」
つらつらと薬の説明を終えたぽーが、それではと退室しようとしたので、それを呼び止めて礼を伝える。
「助かった。何か礼をさせてもらいたいんだが」
「礼には及びませんよ。困った時はお互い様ですし」
そう言い残して、ぽーが部屋を後にする。
「良い人だったね」
「そう、だな」
すのぴの言葉に頷き返す。
本来であれば警戒して然るべきであっただろうが、彼に対しては警戒する意識さえ起きず、その言葉を素直に受け入れていた。
彼の指示通り薬を服用させた結果、バニラも翌日には復調したのだった。
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二日酔いに乗り物酔いが重なったバニラを可哀想に思ったり、続きが気になるなぁと感じていただけましたら、ブックマークやリアクション、下のポイント★1からでも良いので、反応をいただけると作者のやる気に繋がりますので、どうぞよろしくお願いいたします!




