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第8章『酒場の懸想者』

 貴方を想い、貴方に尽くす。

 そのためにこの身は存在するのだと。

 だからこそ、今はまだこの想いを伝えることは叶わず――

『重荷には、なりたくはありませんの』

 話し合いを終えて、とらとすのぴが宿酒場の女主人が用意してくれた部屋に移動したことで、室内が急激に静まり返る。


「ふぅ……」


 少しでもその静寂を打ち消そうと吐き出した息は、宙に溶け消え、余計に静けさを強調させてしまうことになってしまった。


 ――頭の中がグチャグチャ、ですわね……


 停滞していた状況が動き出したのは確かだが、喪失感が大き過ぎるせいで、重力に引かれるがままに背中からベッドへと身を投げ出す。


 失われたと決まった訳ではない――しかし、とら達が話してくれた内容から、かぷこーんがどのような状況に陥っているかはおおよその想像がついた。

 彼の実力を疑っている訳ではないが、相手が埒外の存在であることを思えば、単身でどうにかなると思うのはあまりにも楽観が過ぎるだろう。


 すのぴの代わりに囚われの身になっているのならば、約一年後のタイミングで助け出す機会も巡ってくるだろう。

 だから、このまま喪失感に呑まれる訳にはいかないだろう。


 腕に力を込めて上半身を支え、起き上がらせる。

 自分一人では果たすことは叶わないだろう。

 だが、とらやすのぴが手を貸してくれる。

 それ以外にも持ち得るあらゆる繋がりに協力を呼び掛け、彼を救出してみせる。


 希望はある。

 それでもこの胸に重くのし掛かってくる何かは……


 ――無力感、ですわ……


 かぷこーんの役に立てるよう鍛錬を重ねてきたが、肝心な時に彼を単身で深淵領域へと向かわせてしまった。

 深淵領域という魔境に足を踏み入れるのに、自分が傍に居ては足手纏いになる。

 だから、領域外で待機し、かぷこーんが帰還した際にはすぐに次の行動に移れるよう情報収集に徹する――それが合理的だと自分でも納得した判断に対して、今更になって後悔と自責の念が頭をもたげてきた。


 もっと力があれば、彼にだけ重責を負わせずに済んだだろう。

 もっと力があれば、今とは違う結果になっただろう。

 そんな栓なきことが浮かんでは消えて、心を重くしていく。

 それに――


「いけませんわね……」


 このまま部屋に一人で居ると、マイナス思考をいつまでも続けてしまいそうになる。

 気持ちの整理がついていない状態では、とてもではないが眠れそうにないので、どうにか気を紛らわせたいのだが、夜も更けた時分に男性の部屋に押し掛けるのもはしたない。

 それに二人も旅の疲れもあるだろうから、早々に寝入ってしまうだろうという点でも話し相手になってもらうのは気が引ける。


 明日の早朝にはここを発ち、ひと月程掛けて東領にあるギルド総本部を目指すことになるので、出来ればすぐにこちらも就眠したいところなのだが、


「仕方ありません、よね……」


 誰に向けての言い訳なのかは、自分でもよく分からないかったが、兎にも角にも思い悩んでいる頭をどうにかして、早急に睡眠をとるためにも、


「お酒――飲まずにはいられない、ですわ」



「えっと…………こんばんは」


 バニラが振り返ったことに驚き、思わず発した言葉が宙で霧散する。

 お互いに次の動きはなく、視線だけが重なった状態がしばらく続く。

 次の言葉が喉元で渋滞し、引き攣った呼吸だけが繰り返される。


 ――泣いてた、よね……


 暗い照明の中でも見てとれた彼女の表情。

 その涙が何を表しているのかは、今の自分でも容易に想像がついた。

 

 ――かぷこーんさん……

 

 バニラと知り合ってまだ一日も経っていないが、彼女がどれだけかぷこーんを特別視しているかは理解しているつもりだ。

 彼の安否が不明であることが、彼女を苛み涙を流させたのだろう。

 そして、そもそもの原因を辿ると、

 

 ――僕を、助けたから……


 つまり、彼女が悲しんでいる原因は自分ではないのか。

 彼女に謝罪すれば良いのだろうか……いや、違う気がする。

 ここで彼女に謝罪することは、かぷこーんに助けてもらったことへの謝罪と同義のはずだ。

 それは彼の行いを踏みにじる行為ではないのか。


 ならば、どうすれば良いのか。

 その答えを見付けられずにいると、


「申し訳ございませんわ……お見苦しいところを見せてしまいまして」


 目元を拭ったバニラが苦笑を浮かべながら立ち上がり、こちらに歩み寄って来る。

 それに対してもどう反応すれば良いのか分からず、口をまごつかせていると、あと数歩の距離でバニラが立ち止まり、こちらをじっと見つめてくる。


「えっと……」


 顔全体が赤らんでいるのに気付き、どうしたのかと問いを放つ前に、彼女の方から言葉を寄越してきた。


「良ければ、少しお話しませんか?」

 


 招かれた席に着くと、テーブルにはグラスが置かれており、中の液体から芳醇な果実を思わせる匂いが立ち上っていた。

 その中に混じった甘い刺激臭からそれがお酒の1種であるというのが分かった。

 先程気付いたバニラの様相が、酒に酔って出た反応だったのだと、知識と合致したことで腑に落ちた。

 そして、明日の早朝には出立するという状況で酒を飲み、独り涙していたことから、酒の力を借りてでも気を紛れさせたいことがあったという証左に感じられ、再び胸が締め付けられる感覚に襲われる。


「…………」


 こちらの様子をじっと眺めているバニラが、今何を思っているのかが分からず、言葉を発すること自体を躊躇ってしまっている。

 だが、バニラふと視線を柔らかくしたかと思うと、


「あまり、気に病まないでくださいませ」

「え――」


 まるでこちらの不安を見透かしたかのような発言に、目を見開く。

 すると、バニラは申し訳なさそうな表情で言葉を続けてくる。


「あのような姿を見せておいてなんですが……貴方を責める気は毛頭ありませんの」

「……僕の代わりに、かぷこーんさんがTOIKIに囚われてるかもしれないのに、ですか?」


 彼女にこれを訊くのは酷なことかもしれなかったが、このタイミングを逃せば今後訊ねることは出来ないように感じたため、意を決して質問する。

 彼女は少し困ったような感じで笑みを浮かべ、


「かぷこーん様は騎士の矜持に従い、貴方を助けたのですわ。同じ騎士として、あの方の行いを誇り高く感じておりますの」


 だから、こちらのことを責める気は一切ないと断言してくれる。

 そのことに今まで感じていた申し訳なさよりも、感謝の念が強くなるのを感じた。


 ――でも、それじゃあ……


 どうして彼女は涙を流していたのだろうか、という疑問が新たに浮かび上がってくる。

 こちらの疑念を感じ取ったのか、バニラが自嘲するように言葉を溢した。


「自分の力不足を悔いておりましたの」


 かぷこーん一人で深淵領域に向かわせたことを後悔しているのだという。

 今の彼女では足手纏いになるからと、互いに話し合った上での結果だったとしても、もしもを考えずにはいられなかったそうだ。


「それと――かぷこーん様に対しての憤りもありますのよ?」

「どういうことですか?」


 思いもよらない言葉に、虚をつかれてしまう。

 正直、バニラはかぷこーんに心酔しているように感じていたので、彼に対して怒りを覚えていることが不思議に感じられたのだ。


「あの方は高潔な精神をお持ちで、それに伴った実力もあって――心から尊敬してしておりますの」


 ただ、とバニラが深い溜め息を挟み、視線を鋭くして心中を口に出していく。


「自己犠牲が過ぎるところは……正直、目に余りますの」


 そう言われ、あの時のことを考えると頷けるものがあった。

 最初からそうであったとは感じられなかったが、TOIKIとの戦いで彼は最終的に自身を囮にすることを選んだのだ。

 自分と同等な存在に変異したことで命を奪われないと判断したのもあるだろうが、それにしても彼の行動は、自身の身を軽んじているような、まるで自分の安全を勘定に入れていないように感じたのだ。


「幾度となく苦言を呈して来ましたが、あの方の考えを変えることは出来ませんでしたわ……」


 そう零したバニラがグラスを傾け、酒を口に流し込んでいく。


 つまり、彼女は無茶ばかりするかぷこーんに対して怒りを覚えている、ということなのだろう。

 ただ、その根底にある想いは……彼への心配、そして――とらが語っていた内容を思い出し、納得した気になり、それを口にする。


「かぷこーんさんのこと、好きなんですね」

「――――ッ!!!」


 盛大に酒を吹き掛けられてしまった。



 目の前に座っていた彼が、アルコールで染みた目を押さえながら椅子から転げ落ちる様を見送りながら、全身が火に包まれたかのように体温が上昇したのを感じた。


 ――な、ななな、な……!?


 アルコールのせいなのか、あるいは彼の言葉に動揺してなのか、上手く思考が働いてくれない。


 自分が、かぷこーんのことを好きだと、すのぴはそう言ったのか?

 確かに異性として魅力的で素晴らし殿方であると思う。

 凛々しい顔立ちの中にまだ見え隠れする少年のような純真さに数多の女性が溜め息を漏らすのも頷ける話だ。

 だが自分にとっては、それ以上に騎士としての在り方、高潔さに畏敬の念を禁じ得ない。

 彼の伴侶になるのではなく、彼に仕え、彼のために力を尽くす。

 それが自分に許された、彼の傍に居られるただ1つの方法なのだ。

 だから思慕の念ではなく、彼に抱く感情は尊敬と忠誠であるのだ。

 そうあるべきなのだ。


 ――酷い、欺瞞ですわね……


 内心、言い聞かせるように並び立てた言葉は、結局のところ本心に蓋をするための言い訳に過ぎないのだ。

 しかし、今の自分では彼の隣に並び立つ資格はない。

 それを理解しているが故に、想いを伝えることが出来ないまま、今に至ってしまっているのだ。


 ――ですが……


 ようやく回復したのか、すのぴがテーブルの端を掴み這い上がって来るのを見て、ふと口元が緩むのを自覚する。


 西領諸国に根ざした階級意識に囚われていないからか、あるいは彼自身の純真さによるものなのか、理由ははっきりとしなかったが、彼になら正直に胸の内を曝け出せると感じ、


「そうですわね……私は、かぷこーん様をお慕いしておりますの」


 口に出してみれば、どうということはなかった。


 照れや恥じらいなど感じることなく、言葉にすることが出来た。

 酒で気持ちが高ぶっているのもあるだろう。

 もしかしたら、素面になった途端羞恥に苛まれるかもしれない。

 それに、今はまだ彼に直接想いを告げることは出来ないだろう。

 それでも、今この時だけは、騎士としてのしがらみや先程まで感じていた重苦しい感情から、解き放たれたように思えたのだ。

 お読みくださりありがとうございます! 


 大切な人を想うバニラの事を少しでも気に入っていただけたり、続きが気になるなぁと感じていただけましたら、ブックマークやリアクション、下のポイント★1からでも良いので、反応をいただけると作者のやる気に繋がりますので、どうぞよろしくお願いいたします!

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