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もうどうでもよくなったので、私に関わろうとするのはご遠慮ください  作者: はな
番外編 もうひとつの物語

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最終話 会いたかったから

最終話です!

いつもより少し長めですが、お付き合いいただけたら嬉しいです!!



 ヴァルガードでの残りの日々は、思っていたよりも早く過ぎていった。


 大きな問題となっていた術式はすでに封じられていたものの、確認しなければならないことはまだ残っていた。


 古い術式が作られた時期や、各施設に残されていた記録を確認し、今後同じようなものが見つかった場合の対処方法も整理しておかなければならない。

 フィオーレへ持ち帰る資料も、まだまとめる必要があった。


 そうして気づけば、毎日、朝から夕方まで何かしらの仕事に追われていた。


 それでも、そんな日々の中には、ささやかな時間があった。


 ある日のこと、書類に目を通していると、聞き慣れた声がした。


「レティ」


 顔を上げると、扉のところにリオンが立っている。


「リオン?」

「昼だ」

「……もう?」

「もうじゃねぇよ。とっくに過ぎてる」

「そうなの?」

「そうなの? じゃねぇ」


 呆れた顔をしながら、リオンは手にしていた包みを机の上へ置いた。


「食え」

「仕事は?」

「移動の途中」

「わざわざ持ってきてくれたの?」

「ついでだ」


 そう言うわりに、私が包みを開くまで、リオンはその場を動かなかった。


「……食べるわよ」

「ならいい」

「心配性ね」

「誰のせいだ」


 そんな会話を交わすこともあった。

 また別の日には、廊下ですれ違いざまに足を止めた。


「今日は何してた?」

「資料整理よ。リオンは?」

「会議三つ」

「大変ね」

「一個はなくてもよかったな」

「そんなことを言っていいの?」

「俺が出なくてもよかったって意味だよ」

「なら最初からそう言って」

「細けぇな」


 さらに別の日には、夕食のあと、ほんの少しだけ庭園を歩いた。


 仕事の話をしたり、手紙に書いていた店の話をしたり、フィオーレへ戻ったらやりたいことや、ヴァルガードでこれから変えていきたいことを話したりした。


 特別なことをしているわけではなかった。

 ただ話して、笑って、ときどき言い合っているうちに、気づけば一日が終わっている。


 そんな時間が、いつの間にか当たり前になっていた。


◇


 ヴァルガードで過ごす最後の夜。

 王城の廊下を歩いていると、隣のリオンがふと口を開いた。


「明日の朝には出るのか」

「ええ」

「予定どおり二週間だったな」

「そうね」


 長かったような、短かったような。

 不思議な気分だった。


「今回の報告は、フィオーレへ戻ってからまとめんのか?」

「ええ。こちらでいただいた資料と合わせて、一度整理するつもり」

「無茶すんなよ」

「もうしないわ」

「本当か?」

「……なるべく」

「約束どこいった」

「冗談よ」


 私が笑うと、リオンも呆れたように笑った。


 静かな廊下に、二人分の笑い声が小さく響く。

 こんな他愛のないやり取りも、ここへ来てから何度繰り返しただろう。


「じゃあ……また手紙書く。返せよ」

「今まで返さなかったことがある?」

「ねぇな」

「なら大丈夫でしょう?」

「ああ」


 いつもなら、それで終わるはずだった。

 けれど、なぜかその場を離れ難かった。


 明日になれば、私はフィオーレへ帰る。

 それでも手紙は交わせるし、リオンも、そのうちフィオーレへ来るかもしれない。

 私がヴァルガードへ来る機会だって、きっとまたある。


 次がないわけではない。分かっている。


 それなのに、胸の奥には言葉にできない名残惜しさが残っていた。


「レティ? さっきから黙ってるけど、どうした?」

「少し考えていただけ」

「何を?」

「…………」


 自分でも分からなかった。

 ただ、胸の奥に何かが引っかかっているような気がして、それでも答えは見つからない。

 私は小さく首を振った。


「何でもないわ」

「そっか。……じゃ、明日な。おやすみ」

「おやすみなさい」


 今度こそ背を向ける。

 けれど数歩進んだところで、ふと足が止まった。


 振り返ると、リオンもまだその場にいた。

 こちらを見ていたらしく、そのまま自然と目が合う。


「……どうした?」

「いいえ。……また明日」


 一瞬だけ、リオンの目元がふっと柔らかくなる。

 その表情を見たら、胸の奥に残っていた名残惜しさが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。


「ああ。また明日」


 その言葉を確かめるように胸に留めて、私は今度こそ部屋へ戻った。


◇


 翌朝、王城を出る馬車の前まで、リオンは見送りに来てくれた。


「気をつけて帰れよ。途中で何かあったら――」

「連絡するわ」

「飯は」

「食べます」

「仕事は」

「無理をしません」

「本当だな?」

「昨日から何回同じ話をするの?」

「信用の問題だ」

「失礼ね」


 思わず笑ってしまう。


 けれど、こうして話していられる時間も、もうあとわずかだった。

 アンナが先に馬車へ乗り込み、私もそのあとへ続こうとする。

 けれど、足をかける直前で、ふと立ち止まった。


「リオン。二週間、ありがとう」

「仕事だろ」

「それだけじゃないわ」


 城下町へ連れていってくれたこと。

 食事を忘れれば持ってきてくれたこと。

 仕事の合間にも顔を見に来てくれたこと。

 怒られたこと。

 そして、たくさん話したこと。


 そのすべてを思い返しながら、私は素直に口にした。


「楽しかったわ」

「俺も」


 リオンはそう言って、柔らかく笑った。

 その言葉を聞いた瞬間、胸がきゅっと小さく痛んだ。


 この感覚は、何なのだろう。


「……また手紙を書くわね。今度フィオーレへ来たら、約束のお店にも案内するわ」

「ああ。楽しみにしてる」


 次の約束の話をしている。

 それなのに、別れの寂しさがじわりと広がっていた。


 馬車へ乗り込むと、やがて扉が閉じられた。

 窓の向こうには、見送りに立つリオンの姿がまだある。


 ほどなくして馬車が動き始め、少しずつ彼との距離が開いていく。

 リオンがこちらへ片手を上げるのが見えて、私も窓越しに手を上げた。


 やがてその姿が見えなくなってからも、私はしばらく窓の外から目を離せなかった。


「お嬢様。寂しいですか?」

「……寂しい? ……そうなのかしら」

「私に聞かれましても」

「そうね」


 もう一度、窓の外へ目を向ける。

 流れていく景色の向こうに、ヴァルガードの王城はもう見えない。


 それでも、何かを探すようにしばらく外を眺めていた。


 自分でも何を言いたいのか確かめるように、私はぽつりと呟いた。


「でも……少しだけ、静かになった気がするわ」


 アンナは何も言わなかった。

 ただ、何かを分かっているように、少しだけ微笑んでいた。


◇


 フィオーレへ戻れば、当然のように日常が待っていた。


 私は調査報告をまとめ、王城へ提出し、術式について説明した。

 その後は、ヴァルガードで得た情報をもとに、別の資料も作った。


 やりたいことも増えていた。


 以前訪れた、水に困っていた町や、文字を読めない人たちが暮らしていた村のことも、ずっと心に残っている。


 どちらも、魔法だけで解決できることではない。

 だからこそ、どうすれば水を安定して使えるようになるのか、どうすれば子どもたちが文字を学べる場所を作れるのか。

 自分にできることから、少しずつ考えていきたいと思っていた。


 忙しい毎日だったけれど、以前とは違っていた。

 誰かに言われたからではなく、自分がやりたくて取り組んでいる仕事だった。


 だから、毎日は充実していた。


 ――はずなのに。


 ある日、私は新しく作られた簡易水路の設計図を眺めながら、ふと思った。


(これ、リオンならどう思うかしら)


 ヴァルガードでは、地方によって水の確保方法が違うと、以前リオンが話していた。


(今度、手紙で詳しく聞いてみよう)


 そう思い、忘れないように手元の紙の端へ書き留めた。


 また別の日、王城からの帰り道に新しい菓子屋を見つけた。

 店先には、いくつもの焼き菓子が並んでいた。


 足を止めた私は、ふとリオンのことを思い出した。


(リオン、甘いものが苦手だったわね)


 ヴァルガードで食べたお菓子のことを思い出す。


『……甘ぇよ』

『やっぱり?』

『ああ。すげぇ甘い』


 思い出しただけで、笑いそうになった。


 今度来たら、この店にも連れていこう。

 少し甘さが控えめだから、たぶんリオンでも食べられるはずだ。


 そう考えると、また一つ、次に会ったときにしたいことが増えた。


 その夜、私はリオンへの手紙を書いた。


『今日、新しい菓子屋を見つけました。以前約束したお店とは別のところです。あなたでも食べられそうなものがあったので、次に来たら――』


 そこで、ふと手が止まった。


 書きかけの便箋へ視線を落とし、紙の上に残った言葉を見つめる。


 ――次に来たら。今度会ったら。また。


 気づけば、便箋はもう三枚目に入っていた。

 仕事のことも、菓子屋のことも、ルーカスが寄ったことも、アンナが新しい魔道具を見つけたことも。


 今日見たものや、ふと思ったことまで、書きたいことはいくらでも出てくる。


 どうやら私は、何でもリオンに話したいらしい。


 私はそっと手紙を置き、しばらく書きかけの便箋を見つめた。


 手紙を書くこと自体は、前から好きだった。

 返事が届くのを待つ時間も、それを読む瞬間も楽しみにしていた。


 けれど、今感じているものは、少し違う。


 手紙を書くたびに思う。

 これを今すぐ話せたらいいのに。

 返事をその場で聞けたらいいのに。

 そして、笑った顔まで見られたらいいのに、と。


 そんなことを考えるたび、胸の奥が落ち着かなくなる。


 以前、ヴァルガードでリオンに、「手紙も楽しいけれど、直接話せる方がいい」と言ったことがあった。

 あのときは深く考えたわけでもなく、ただそう思ったから口にしただけだった。


 けれど今なら、その言葉の意味があのときとは少し違って見える。


 私は椅子の背へ身体を預け、そっと目を閉じた。

 すると、ヴァルガードで過ごした時間が次々と浮かんでくる。


 仕事をしているリオン。

 呆れた顔も、笑った顔も、本気で怒った顔も覚えている。

 私が危ないのは嫌だと言った声や、城下町を一緒に歩いた時間。

 そして、すぐ近くまで迫った顔と、触れる直前で止まったあの夜のことまで。


『まだ返事もらってねぇから』


 心臓が大きく鳴った。


 ――返事。


 そうだ。私はずっと、その答えを出せずにいた。


 リオンのことは大切だった。

 一緒にいれば楽しかったし、会えれば嬉しかった。手紙が届くたびに、自然と心が弾んだ。


 それでも、その気持ちが何なのかだけはずっと分からなかった。


 誰かを大切に思うことと、好きになることの違いが分からなかったのだ。


 けれど今、リオンはここにいない。

 遠く離れているはずなのに、朝から夜まで何かあるたびに彼のことを思い出してしまう。


 これを話したい。

 あれを見せたい。

 次は、一緒に行きたい。


 そんな思いばかりが、次々と浮かんでくる。


 ――会いたい。


「……会いたい」


 声に出した瞬間、胸の奥にすとんと何かが落ちた。


 ――ああ。そうか。


 私は、ただ旅をともにした大切な人だから会いたいのではない。

 友人だからでも、手紙を交わす相手だからでもない。


 ――リオンだから、会いたいのだ。


 あの人の隣にいたい。

 次に会える日を待つのではなく、会いたいと思った今、自分から会いに行きたい。


 そう思ったとき、もう迷いはなかった。


◇


 翌朝、荷物をまとめ始めた私を見て、アンナが目を瞬いた。


「お嬢様?」

「ヴァルガードへ行こうと思うの」


 アンナはしばらく黙って私を見つめていたが、やがて何かを堪えるように、そっと口元へ手を当てた。


「急ですね。お仕事ですか?」

「いいえ」


 私は首を振った。


 以前の私なら、ヴァルガードへ行くには何か理由が必要だと思ったかもしれない。

 正式な依頼があるから、調査の必要があるから、誰かに求められたから。


 ――けれど、今回は違う。


「リオンに会いに行くの」


 アンナの目がほんの少し見開かれたかと思うと、すぐにその表情がやわらぎ、とても嬉しそうな笑みが浮かんだ。


「かしこまりました」

「……何も聞かないの?」

「必要でございますか?」

「ないと思うけれど」

「では、参りましょう」


 あまりにもあっさりしているので、私は思わずアンナを見た。


「アンナ……もしかして、分かっていた?」

「何のことでしょう」

「…………」


 またそれだ。


 けれど今日は、それ以上追及する気にはならなかった。

 今はそんなことより、一刻も早くリオンに会いたかった。


◇


 ヴァルガード王城へ着いたのは、それから数日後だった。


 事前に最低限の連絡は入れたものの、目的までは書かなかった。

 伝えたのは、フィオーレのエトワール公爵令嬢が訪問するということだけだ。


 王城の正面で馬車が止まり、扉が開く。

 私はアンナに続いて外へ降りた。


 そのときだった。


「レティ」


 聞き慣れた声に顔を上げると、玄関からリオンがこちらへ歩いてくるところだった。

 どうやら到着を聞いて、わざわざ出てきてくれたらしい。


「本当に来たんだな」

「連絡したでしょう?」

「それは聞いたけど……何で急に?」


 リオンは私の前まで来ると、答えを待つようにこちらを見る。

 その様子がおかしくて、私は思わず笑った。


 以前ここへ来たとき、私も同じようなことを聞いた。

 そのときリオンは、あまりにも当然のように答えた。


 だから今度は、私が同じように答える。


「会いたかったから」


 その瞬間、リオンの動きがぴたりと止まった。


 目を見開いたまま、しばらく何も言わずに私を見つめている。

 いつもの余裕のある表情はどこにもなく、本当に言葉を失っているようだった。


「……仕事か?」

「違うわ」

「調査?」

「いいえ」

「じゃあ、何か――」

「だから」


 私は一歩、彼との距離を縮めた。

 驚いたままの緑の瞳を、今度は逸らさずにまっすぐ見上げる。


「リオンに会いたかったの」

「…………」


 周囲がふっと静かになったような気がした。

 ダリオも、騎士も、文官も、そこにいるはずなのに、今は誰の存在も意識に入ってこない。


 見えているのは、リオンだけだった。


「少し、話せる?」

「……ああ。もちろん」


 返ってきた声は、いつもより少しだけ掠れていた。


 その響きに、また少しだけ落ち着かなくなった。


 けれど今は、もう目を逸らしたくなかった。


◇


 案内されたのは、以前にも歩いた庭園だった。

 人払いをしてくれたのか、周囲には誰もいない。


 しばらく二人で歩いたものの、私はなかなか口を開けなかった。


 会いたくて来た――それは本当だ。


 でも、いざ目の前にすると、胸の音がうるさくて仕方がない。


「レティ。……大丈夫か?」

「どうして?」

「さっきから全然喋ってねぇだろ」

「…………」

「俺に会いに来たんだよな?」

「ええ」

「なのに黙ってんのか?」

「今、考えているの」

「何を?」

「どう言えばいいのか」


 その言葉を聞いた途端、リオンの足が止まった。つられるように私も立ち止まる。


 わずかな沈黙のあと、リオンが改めてこちらを見た。

 先ほどまでとは違う、少しだけ真剣な眼差しだった。

 何かを期待しながらも、それを表に出すまいとしているように見える。


「……何を?」


 もう一度、今度は静かな声で問われる。

 私はその視線を受け止めるように、リオンを見上げた。


「フィオーレへ戻ってから……何かあるたびに、リオンのことを考えていたの」

「…………」

「仕事をしていても、新しいお店を見つけても、誰かと話していても」


 何から話せばいいのか迷いながらも、フィオーレへ戻ってから自分で気づいたことを、一つずつ拾い上げるように伝えていく。


「これをリオンに話したいとか」

「ああ」

「リオンなら何て言うのかしら、とか」

「……ああ」

「次に会ったら、ここへ連れていきたいとか」


 リオンは何も言わず、じっと私を見つめながら聞いていた。

 何かを期待しているようにも見えたけれど、それを口にすることなく、私が続きを話すのを待っていた。


「手紙を書けばいいと思ったわ」

「…………」

「実際、書いたの。三枚も」

「三枚?」

「まだ増えるところだったわ」

「……お前、手紙長ぇと思ってたけど、そんな書いてたのかよ」

「今そこ?」

「悪い」


 そう言いながらも、リオンの口元は少しだけ緩んでいた。

 どうやら、本気で呆れているわけではないらしい。


 その表情につられて思わず笑うと、張りつめていた緊張もほんの少しだけほどけた。


「でもね……書いてて思ったの」

「何を?」

「手紙じゃ足りないって」


 リオンの目がわずかに見開かれた。

 ほんの一瞬だけ期待のようなものが浮かんだ気がしたけれど、すぐにそれを隠すように表情を整える。


 それでも、私から視線を逸らすことはなかった。


「すぐ話したい。すぐ返事が聞きたい。それに、笑っているところも見たい」


 そこまで言葉にすると、気持ちが少しずつ輪郭を持っていくようだった。

 もう、ここで止めるつもりはなかった。


 最近は、思ったことをきちんと言葉にするようにしている。

 迷っているときに背中を押してくれたのも、一人で抱え込まなくていいと教えてくれたのも、きっとリオンだった。


「――会いたいって思ったの」

「……レティ」

「それで、やっと分かったわ」


 私は一歩、リオンとの距離を縮めた。


 あの夜とは違い、今度はリオンも下がらない。

 ただ黙って、私が次に何を言うのか待つように、まっすぐこちらを見つめていた。


「私は――リオンが好き」


 リオンが、一瞬だけ息を止めたように見えた。


 ――言えた。


 ずっと分からなかった気持ちに、ようやく名前をつけられた。


「旅をしていた頃から大切だった。手紙が来ると嬉しかったし、会えたら嬉しかった。一緒にいると、楽しいと思っていた」


 そうして思っていたことを言葉にしても、リオンは途中で何も言わなかった。

 ただ、私から目を逸らすことなく、続きを待っている。


「でも、それだけじゃなかった。離れてみて分かったの」


 胸元で、そっと手を握りしめる。

 こんなにも緊張するものなのね、と他人事のように思った。


 言いたいことは、もう決まっている。

 それなのに、いざ言葉にしようとすると落ち着かない。


 それでも、今度はきちんと伝えたかった。

 手紙ではなく、目の前にいるリオンに。


「私は、あなたに会いたい。あなたと話したい。これからも、何度でも次の約束をしたい」


 リオンは何も言わなかった。

 ただ、驚いたように私を見つめている。

 それでも、もう迷わなかった。


「――リオン。私も、あなたが好きよ」


 その瞬間、リオンの目が大きく見開かれた。

 何かを言おうとしたのか、わずかに唇が動く。

 けれど、声は出なかった。


「リオン? ……聞いてる?」

「聞いてる」


 ようやく声が返ってきた。

 けれど、リオンはその場から動かなかった。

 まるで、少しでも動けば何かが壊れてしまうとでもいうように、ただ私を見つめている。


「では、何か――」

「ちょっと待て」

「え?」


 リオンが片手で顔を覆う。

 そのまま深く息を吐いて、何かを堪えるようにしばらく黙り込んだ。


「……今、無理。いろいろ」

「どういうこと?」

「お前、ついこの間まで俺がどれだけ我慢してるか分かってなかっただろ」

「ええ」

「それが急にこれかよ」

「……よく分からないわ」

「だろうな!」


 顔を覆ったまま言われて、私はまた少し笑った。


 しばらくして、リオンは大きく息を吐くとようやく手を下ろした。


 そして私を見つめると、今まで見たことがないくらい嬉しそうに笑った。


「……もう一回、言って。……好きって」

「どうして?」

「頼むから」


 そんな顔を向けられると、今さらになって頬が熱くなる。

 それでも、目を逸らさずにもう一度告げた。


「――好きよ。私もリオンが好き」

「……そっか。……やっとだ」

「……待たせてしまって、ごめんなさい。でも、待っていてくれてありがとう」

「待った。……かなり待った」


 思わず少しだけ眉を下げると、リオンが笑った。


「そんな顔すんな。待った甲斐あったから」


 その言葉に、じんわりと嬉しさが広がった。

 すると、リオンが私を見つめたまま、一歩こちらへ距離を詰めた。


「それで――これ、俺の告白への返事でいいんだよな?」


 念を押すように尋ねられて、私は今度こそ迷わず頷いた。


「ええ」

「友達として好きとかじゃねぇよな?」

「違うわ」

「『いろんな俺の中で、この俺が一番好き』ってだけじゃねぇよな?」

「それも本当だけれど……でも、それだけではないわ」

「俺と同じ意味か?」

「ええ。同じ意味よ」


 その瞬間、リオンの目が変わった。


 嬉しそうだった表情が消えたわけではない。

 けれど、その奥に別の熱が浮かぶ。


「……レティ」


 名前を呼ばれただけなのに、心臓が跳ねた。

 いつも何度も呼ばれているはずなのに、今はひどく近く感じる。


「なに?」


 尋ねると、リオンがさらに一歩近づいた。


「じゃあ……今度は、いいんだよな?」


 何が、とは聞かなかった。

 あの夜、触れる直前で止まった距離も、『まだ返事もらってねぇから』と言って離れていったことも、全部覚えている。


 少しだけ息を吸って、私は頷いた。


「……ええ」


 それを聞いたリオンは、もう何も聞かなかった。


 リオンの手が頬に触れ、親指がそっと髪を耳へかける。

 そのまま指先が顎へ滑り、促されるように顔を上げた。


「……嫌なら押せ」


 低い声で、それだけを告げられる。

 私は迷わず首を振った。


「押さないわ」

「……そっか」


 次の瞬間、唇が重なった。


 最初は確かめるように触れた唇が、一度離れて、また重なる。

 今度は、さっきよりも少し長く。


「……んっ」


 思わず漏れた声に、リオンの動きが一瞬止まった。

 そっと目を開けると、すぐ近くで視線が絡む。

 その近さに、また心臓が大きく跳ねた。


「……その声、反則」

「何が?」

「何でもねぇ」


 そう言ったくせに、もう一度、唇が重なる。


 今度は先ほどよりも深く、さっきまでの遠慮が嘘のようだった。

 それでも、不思議と怖くはなかった。


 背中に腕が回り、そのまましっかりと抱き寄せられる。


「……は……」


 ようやく唇が離れたとき、少しだけ息が乱れていた。

 けれど、それは私だけではないらしい。

 すぐ目の前のリオンも、いつもより呼吸が浅かった。


 それに気づいた途端、なぜだか余計に恥ずかしくなった。


「レティ……可愛すぎ」

「は?」

「今の顔」

「……どんな顔?」

「言ってほしいか?」


 そんなことを言われると、余計に恥ずかしくなった。


「……やっぱりいいわ」

「だろ」


 そう言って、リオンは楽しそうに笑った。

 こちらばかり恥ずかしがっているような気がして、なんだか少し悔しくなる。


「……ずるいわ。リオンばかり余裕そうで」

「……余裕?」


 一瞬、リオンが目を丸くしたものの、すぐにその目を細め、喉の奥で楽しそうに笑った。


「あるように見えるか?」

「……少し」

「ねぇよ。全然ねぇ」


 低く落とされた声とともに、腰に回された腕がさらに強く私を引き寄せる。


「あの夜から、ずっと我慢してんだぞ。返事もらう前に勝手なことしたくねぇから、止まった」

「ええ」

「やっと好きだって言われたと思ったら、お前そんな顔するし」

「そんな顔って何?」

「だから聞くな」

「気になるでしょう?」

「知ったらもっと恥ずかしくなるぞ」


 それは困る。


 思わず黙り込むと、そんな私を見て、リオンが小さく笑った。


 その笑みが消えるより早く、再び唇が重なる。

 今度は、完全な不意打ちだった。


「ん……っ」


 反射的に胸元へ上げた手が、そのままリオンの服を掴んだ。


 やがて唇が離れると、リオンの視線がふと私の手元へ落ちる。

 どうやら、掴んだままなのに気づいたらしい。


「……何?」

「いや」

「笑ったでしょう」

「掴んでくるから」

「仕方ないでしょう」

「離してもいいぞ」

「…………」

「レティ?」


 私は一瞬だけ迷った。


 離そうと思えば、いつでも離せる。

 それでも、今はそうしたくなかった。

 だから、掴んだままの指先に、もう少しだけ力を込める。


「……このままでいいわ」

「…………お前さ。今日、俺殺す気か?」

「前にも言っていたわね、それ」

「あのときとは比べもんにならねぇ」


 その声が、妙に低く響いた。


 胸元を掴んだまま顔を上げると、リオンもまっすぐ私を見つめている。

 互いの距離は近く、ほんの少し顔を動かせば、また唇が触れてしまいそうだった。


 あの夜なら、きっとここでリオンは離れていた。


 ――でも、今は違う。


「……リオン。今度は、ちゃんと分かってるわ」

「ん? 何が?」

「あなたが、私をどういう意味で好きなのか。……どうしてあのとき止まったのかも」

「……ああ」

「我慢していたって言った意味も」


 リオンは一度きつく目を閉じ、堪えるようにゆっくりと息を吐いた。


「レティ。それ以上は言うな」

「どうして?」

「理性なくなる」


 低く、冗談の欠片もない声だった。

 私はその響きに少しだけ目を瞬かせながら、ふと以前の言葉を思い出す。


『俺がどれだけ我慢してるか、分かってんのか?』


 あのときは、何も分かっていなかった。

 けれど今なら、あの言葉の意味も分かる。


「……でも」

「ん?」

「もう、我慢しなくてもいいんじゃない?」

「…………」


 その言葉を聞いた瞬間、リオンの動きが完全に止まった。

 しばらく何も言わず、私の真意を探るようにじっと見つめている。

 やがて、噛みしめるように低い声で問いかけた。


「……意味、分かって言ってんのか?」


 これが、二度目の確認だった。


 意味を理解した途端、少しだけ頬が熱くなる。

 それでも目は逸らさず、リオンをまっすぐ見つめたまま頷く。


「――ええ。今度は分かってるわ」


 数秒の沈黙のあと、リオンの口元がゆっくりと持ち上がった。


「……言ったな。じゃあ」


 次の瞬間、腰へ回った腕にぐっと力がこもり、逃がさないように強く引き寄せられた。


「遠慮しねぇ」

「――っ」


 今度の口づけは、最初からそれまでとは違っていた。


 確かめるためではない。

 もう返事も、私の気持ちも、リオンには伝わっている。


 だからなのか、一度離れた唇は、息を継ぐ間も惜しむようにすぐにまた重なった。


「んっ……リ……っ」

「ん?」


 唇が離れたわずかな隙に名前を呼ぼうとしたものの、乱れた息に邪魔されて、うまく声にならない。

 聞こえているくせに、少し笑っている。


「わざと、でしょう」

「何が?」

「……もう、んっ」


 文句を言う暇もないまま、再び唇を塞がれる。


 さっきまで抑えていたリオンとは、まるで違う。それでも、離れてほしいとは思わなかった。


 むしろ、ずっと押し殺していたものをようやく解放しているのだと思うと、どうしようもなく嬉しかった。


 私のために、ずっと止まっていてくれたのだと分かるから。


 ようやく離れたとき、私はリオンの胸元に手を置いたまま何度か息を整えた。


「……はぁ……」

「……大丈夫か?」

「……それ、聞くの?」

「そこは聞くだろ」

「大丈夫よ」

「そっか」


 そう答えた途端、待っていたとでもいうように再び強く抱き寄せられた。


「リオン」

「何」

「今、大丈夫って言ったから?」

「ああ」

「素直すぎない?」

「もう我慢しなくていいって言ったの、お前だろ」

「……そうだけれど」

「責任持て」

「何の責任よ」

「俺の理性なくした責任」

「そんなもの知らないわ」

「ひでぇな」


 そう言いながらも、リオンは明らかに楽しそうだった。

 頬に触れていた指先が、そのままゆっくりと耳の後ろへ滑っていく。

 思わず肩をすくめると、その反応を確かめるようにリオンの目が細められた。


「……そこ、弱い?」

「知らないわよ」

「じゃあ覚えとく」

「覚えなくていいわ」

「嫌だ」

「何でよ」

「好きな女のこと知りてぇの、普通だろ」

「…………」


 あまりにも当然のように、そんなことを真顔で言われてしまう。

 不意打ちのような言葉に、また胸の奥が落ち着かなくなった。


「何?」

「……何でもない」

「顔赤いぞ」

「誰のせい?」

「俺」

「分かってるなら言わないで」

「無理だな」

「どうして?」

「可愛いから」


 そんなことをさらりと言われて、また頬が熱くなる。

 どうしてこういうことだけは、迷いなく言えるのだろう。


「あなた……少し、ずるいわ」

「今さら?」


 笑っていたリオンの表情が、ふと変わった。

 目元に残っていた笑みが消え、代わりに熱を帯びた視線がまっすぐ私へ向けられる。


「レティ……無理だ。ここで止まんの」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 けれど、その意味に気づいた途端、胸が大きく鳴った。


「…………」

「……部屋、行くぞ」

「……どこの?」


 思わずそう聞き返すと、リオンは一瞬黙ったあと、心底呆れたように私を見た。


「そこ聞くか?」

「確認よ」

「俺の。……嫌なら言え」


 それでも、最後の逃げ道だけはちゃんと残してくれる。

 私は少しだけ唇を噛んだあと、はっきりと首を振った。


「言わないわ」

「……そっか」


 それだけ言うと、リオンはもう何も聞かなかった。

 ただ私の手を取り、そのまましっかりと握る。


「行くぞ」

「ええ」


 二人で庭園を出て、そのまま並んで歩き始める。

 しばらくは大人しく歩いていたリオンだったけれど、やがて何かを堪えきれなくなったように口を開いた。


「……やっぱ無理」

「……え? きゃっ!」


 次の瞬間、身体がふわりと浮き、気づけばリオンの腕の中に抱き上げられていた。


「リオン!? 歩けるわよ!」

「知ってる」

「なら降ろして!」

「嫌だ」

「どうして?」

「この速さじゃ遅ぇ。俺が限界」

「…………」


 あまりにも堂々と言い切られて、何も返せなかった。


「でも、ここ王城よ?」

「知ってる」

「誰かに見られるでしょう?」

「見られたらダリオに何とかさせる」

「ダリオが可哀想よ!」

「仕事増やして悪ぃとは思ってる」

「思ってないでしょう?」

「今はそれどころじゃねぇ」


 そう言い切ると、リオンは私を抱えたままためらいなく歩き出した。


「リオン!」

「暴れんな。落とすぞ」

「だったら降ろして!」

「それはもっと嫌だ」

「もう……!」


 この姿だけは誰にも見られたくなくて、私は仕方なくリオンの肩へ顔を寄せた。


 すると、すぐ耳元で笑う気配がした。


「……それ、やめた方がいいぞ。俺にくっつくの」

「抱き上げているのはリオンでしょう?」

「そうだけど」

「なら仕方ないじゃない」

「……まあ、いいか。もう部屋行くし」

「…………」


 やっぱり、今日のリオンはいつもよりかなりおかしい。

 けれど、もしかすると、これも今まで私には見せずにいたリオンの一面なのかもしれない。


 そう思うと、不思議と嫌ではなかった。

 むしろ、知らなかった彼をまた一つ知れたような気がして、胸が少しだけ高鳴る。


 そんなことを考えているうちに、リオンが一つの扉の前で足を止めた。


 どうやら、ここがリオンの部屋らしい。

 そう思った途端、胸がまた大きく鳴った。


 リオンは私を抱き上げたまま、ためらうことなく扉へ手をかける。


「……後悔すんなよ」


 問いかけではなく、最後に念を押すような低い声だった。

 その言葉をまっすぐ受け止め、私は迷わず答える。


「しないわ」

「言ったな。じゃあ、もう知らねぇ」

「そんな言い方――」


 最後まで言い切るより先に、扉が開いたかと思うと、再びリオンの唇が重なった。


「んっ……」


 抱き上げられたまま部屋の中へ入ると、背後で静かに扉が閉じた。

 その音が、妙に大きく聞こえた。


「……リオン」

「ん?」


 すぐ近くの緑の瞳を見つめながら、胸に浮かんだ気持ちをそのまま口にした。


「好きよ」


 その瞬間、リオンの目がわずかに見開かれる。

 けれど驚きはすぐにほどけ、やがてひどく嬉しそうな笑みへと変わった。


「……それ、今言うか?」

「今思ったから」

「お前、ほんと容赦ねぇな……まぁいい」


 リオンは額が触れそうなほど顔を寄せると、逃がさないように私を見つめたまま、低く囁いた。


「今夜、何回でも言わせる」

「…………っ! リオン!」


 その言葉の意味に気づいた瞬間、頬に一気に熱が集まった。


 低い笑い声が耳元で響き、そのまま再び唇を奪われた。

 今度こそ、リオンはもう何も堪えるつもりはないらしかった。


 誰かに決められたからではない。

 役目だからでも、誰かの期待に応えるためでもない。


 この人の隣にいることも、その先にあるものも――すべて、私が自分の意思で選んだ。




【おまけ】

 少し前、殿下がそんなことをぼやいていた日のことを、ダリオは今でも覚えている。


『手紙で女口説くって、どうすりゃいいんだ?』


 それから数か月、殿下は懲りずに手紙を書き続けた。


 そして今日。

 ヴァルガードへやって来たレティシア様は、殿下を前にして、はっきりと言った。


『会いたかったから』


 その場にいた後輩騎士の肩がぴくりと震えたのを、ダリオは見逃さなかった。

 その後、殿下とレティシア様は庭園へ向かい――随分と長いこと戻ってきていない。


「ダリオさん……」

「何だ」

「殿下、まだ戻りませんね」

「そうだな」


 そこへ、文官が顔を出した。


「ダリオ様」

「殿下のこのあとのご予定は?」

「特にございません」

「そうか。なら、急ぎでないものはこちらで預かる」


 ダリオは一度だけ、庭園の方角へ目をやった。


「今は、お邪魔しない方がいいだろう」

「…………っ」


 横を見ると、後輩騎士が目元を押さえていた。


「うっ……よかったですね……殿下……!」

「……まだ何も聞いていないぞ」

「でも、もう絶対そうじゃないですか……!」

「声を落とせ」

「すみません……!」


 どうやら、察する能力は順調に成長しているらしい。

 もっとも、殿下の恋路に関してだけは妙に感情移入が激しいが。


 ダリオは小さく息を吐いた。

 手紙だけで女を口説くのは大変だとぼやいていた殿下。

 どうやら、長かった努力はようやく報われたらしい。





ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!

今回は「もしもレティシアがリオンを選んでいたら」というIFのお話でした。

本編とはまた違う未来ですが、最後まで楽しんでいただけていたら嬉しいです。

外交関係や国をまたいだあれこれなど、細かく考えると「そこどうするの?」という部分もいろいろあるかと思いますが、今回はあくまで“もしもの物語”ということで、どうか少しだけ大目に見ていただければ……!

そしてリオンは、とってもとっても我慢していました。

本当に、かなり我慢していました。笑

最後くらいは許してあげてください。

たくさんの感想や反応も、本当にありがとうございました。

毎回とても嬉しく読ませていただいています。

ただ、作者はかなりの豆腐メンタルですので、もし気になる点などがありましたら、マイナス寄りのご意見はオブラートを三重くらいに包んでいただけると、とても助かります……!笑

本編に続き、こちらのIFまで最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました!


またどこかの物語でお会いできたら嬉しいです。

ちなみに、10月下旬には新作も投稿予定です。

もし見かけましたら、またお付き合いいただけたらと思います!



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