空の夢 05
「姉上、待ってください!」
馬車が止まるなり自分で降りて歩き出した彼女を、少年が追いかける。駆け寄ってきた少年が差し出すそれは、顔を隠すためのヴェールだ。眉間に皺を寄せ、鬱陶しげに手で押し退けた彼女は歩く足を早める。
「要らない」
「駄目ですよ、ここは城の入口なんですから目立ち過ぎます! 大臣から付けるように言われているではありませんか」
進行方向に回り込んだ少年が、声をひそめて何事かを話している侍女たちや、二人をまじまじと見ている衛兵たちに目をやってそう訴える。必死な彼の表情を見上げ、足を止めた少女は目を細めた。
「要らないと言っている。そもそも、何故私が顔を隠さなければならないんだ」
「そ、それは……」
さ、と少年の頬に赤みが差す。おろおろと周囲を見回していた少年は、沈黙と彼女の視線に耐えかねたようにぐっと手を握りしめた。
「姉上の顔立ちが、その……う、美しすぎるからでは……!」
「お前は馬鹿なのか?」
「い、いや! だって本当に、」
必死に弁明しようとする弟を冷めた目で眺め、軽くため息をつく。
「違う」
「え?」
「私は私の顔の影響を正しく評価している。その上でそれしか理由が思い浮かばないお前を蔑んでいる」
「あの……僕も傷つくんですが……」
「そうか。邪魔だ」
「ちょ、姉上!」
隣を抜けて歩いていく姉にそう声をかけ、少年はその背を再び追いかけた。
音を立てて扉を開いた彼女に、室内の視線が集中する。
「お……王女殿下、お戻りになられたのですか。ご無事で何よりで、」
「何の話をしていた?」
「な、何の話と言われましても……」
一番近い所に居たために問われた男はおどおどと部屋の中を見回し、誰も助け舟を出す様子がないことに冷や汗を浮かべる。
「そ、その……王女殿下についての話を」
「私の扱いをどうするか、という話か。何か分かりやすい進展はあったのか? 当事者として、知りたいところだが」
「……」
広い部屋が張り詰めた沈黙に支配される。誰もが追及を避けるように目を泳がせ、音を発しない。青白くなった目の前の男に目を細めた彼女が、さらに言葉を重ねようとしたところで、部屋の最奥で何かが動いた。
「王女殿下。発言を、お許し頂けますでしょうか」
静かに手を挙げたのは、一人の老人だった。
目は落ち窪んでおり、灰色の髭を蓄えていてもその頬が痩けていることが分かる。身に纏っているのが大臣相当の文官服でなければ、入り込んだ浮浪者として叩き出されていたかもしれない。
「……知らない顔だな。お前は?」
「シーギュと申します。今までお目通りの機会が持てず、申し訳ございませんでした」
「いい。言ってみろ」
慇懃に頭を下げる老人に、軽く手を振って話を促す。
「王女殿下にとって、現況はそこまで由々しきものなのでしょうか」
「何が言いたい?」
「己の責務を重荷と感じる王族や貴族は多いものです。しかし、今の殿下にはそれがございません。好きなことをしていられるというのに、何故自ら進んで責務を背負おうと——」
言葉を途切れさせた老人が素早く片手を振るって結界を張るのと同時に、部屋が一瞬にして霜に覆われた。
「——甘んじて飼われることを受け入れろ、と?」
一歩、踏み出した足が絨毯に降りた霜を踏んでさくりと音を立てた。
怯えなのか寒さのためか、声すらなく肩を震わせる重鎮たちを見渡して、少女は低い声で続ける。
「そんな王族に価値などあるものか。進んで責務を背負うことなど当然の行いだ。全うできるだけの能力を身に付けようと努力しない王族は、王族たりえない。存在する価値さえないといっていい。お前が、お前達が、私にそうであれと言っているのであれば、それは私に対する侮辱に他ならない」
腰に帯びた短剣を抜いた少女は、その眼差しと同じほどに鋭い切先を部屋の奥の老人へと向ける。
「発言を取り下げろ。さもなくば、武器を取れ。お前の考えは王族や貴族の堕落を促し、国を腐らせる思想だ。撤回しないのならば、私の手でその命もろとも葬ってやる」
もはや呼吸音さえも聞こえない、真の静寂。
しかしそれでも、たとえ盲目の者であっても心穏やかには居られないであろうほどの緊張。
一瞬のようにも、永劫にも思えるほどの時間が経ち、やがてごくごく小さな嘆息が沈黙を破った。
「あまりにも、浅慮な発言でございました。どうか、この老木の首一つでお収めいただけませんでしょうか」
「……お前の首などあったところで邪魔なだけだ。撤回するというのなら、それで収めてやる」
「殿下の寛大な御心に感謝申し上げます」
深々と頭を下げる老人に、彼女は不愉快さを隠さずに目を細める。そうして短剣を鞘に収めた少女は、もう一度そこに座っている重鎮たちの顔を一瞥してからその場を去った。
足音が遠のき、やがて完全に聞こえなくなったところで、誰からともなく一命を取り留めたことに安堵の息を洩らす。
「……恐ろしい。本当に恐ろしい方だ」
「あれでいてまだ15だと? 信じられん……」
「王族としての教育は受けておらぬのだろう? どこであのような帝王学を身に付けたというのだ?」
「あの方が手に入れる情報など、蔵書の他にないだろう」
「だが転移魔術を使うなど……あれは魔術大国でも幾重にも亘る事故と犠牲の上に編み出されたものだろう」
「ただの娘と比較するのは不敬に当たるのではないか。何せ……」
「ああ……こと魔術に関して、あの方の才を疑う余地はない」
口々に近くにいる者たちと言葉を交わす重鎮たちの声は、防音をきかせた部屋の中でも潜められている。それを聞き流しながらシーギュが軽く指先を鳴らせば、温かい風が冷えきった室内に満ちた。
「卿」
彼の隣に座っていた大臣が声をかけてくる。
「あの様子では、この城に留まることを良しとはされぬだろう。どうする?」
「……どうにかなるものでもなかろう。この国には、我々にはあの方の存在が必要なのだ。決して、もう二度と失われてはならん。何があろうとも、方針を変えるわけにはいかぬ」
「だが、あの様子では大人しく城に籠って下さるとも思えん。理由もなくあの方が考えを変えることもあるまい。このままでは、城に留め置かれることを煩わしがって自身の廃嫡まで言い出しかねん」
「考えるしかあるまい。——あの方を欺き続けることでしか、我々の安寧はないのだから」
大臣は禿げ上がった頭に手を当てて、重々しく溜息をつく。自分を納得させるように数回頷いて、男はぱんぱんと手を鳴らして注目を集めた。
「今日のところはここまでとする。また近いうちに、改めて招集することとなるだろう。解散だ」
ざわざわと、言葉を交わしながら重鎮たちは部屋を後にする。
やがて一人残ったシーギュは、祈りを捧ぐように静かに目を閉じた。
「……魔女様」
ぽつりと零れ落ちたその言葉は、部屋の片隅の闇に消えていった。
***
「ユーア」
声をかければ、寝台に横たわる少女はゆっくりと目蓋を開いた。
「……部屋で待っていろと言っただろう」
「ユーア、どうした?」
「少し疲れただけだ。城の外に出て戻ってきたときには、よくこうなる」
「……」
「お前が責任を感じることではない。転移を教えたのはお前だが、実際に外に出ることを決めたのは私自身だ」
寝台から身を起こし、少女は緩慢な仕草で伸びをする。一つ欠伸をした彼女をしばらく眺めていたワズは、ややあって問いかけた。
「ユーア、魔女と呼ばれたことはあるか?」
「……それは罵りの類か?」
「ののしり?」
「悪口か、と聞いている」
「? 違うぞ。どうしてそう思った?」
きょとんと首を傾げれば、少し考え込んだ少女は首を振った。
「言葉の雰囲気がそういったものに思えたが、私の勘違いならそれでいい。……魔女、か。聞いたこともないな」
「そうか……」
「その言葉がどうかしたか?」
「歴史上で魔女が現れたのはあと50年は後のはずだ。今の時代にこの言葉があるのはおかしい。でもさっき、シーギュが確かに呟いていた」
その老人の名に、にわかに少女の雰囲気が鋭くなった。口元に手を当てた彼女の白銀の瞳が、開け放たれたままの窓から差し込む月明かりを映してわずかに光っている。
「最奥の席は、作法としては最も位の高い者が座る場所だ。王のために形式上空けているのかと思っていたが、違うらしいな。何度かああいった場に乗り込んだことはあるが、あの老人は初めて見た。重鎮の中の重鎮ということなら、私が見たことすらないのはおかしい」
寝台から降りた彼女は、裸足のまま露台へと足を踏み出した。欄干に片肘をついたその視線の先にあるのは、青白い砂の海とその向こうの黒々とした森だ。
追いかけてきたワズにちらりと目をやって、少女が口を開く。
「この国は、フェーデルシアが滅んだ後に興った魔術士たちの隠れ里だ。だが、歴史を学んだお前なら知っているはずだ。あの森林の向こうでは、魔術という力を巡った戦争が今も続いている。この国は中央部にある上に認識阻害の結界に守られていて、その戦乱に巻き込まれる可能性は低い。だが、いつまでも無関係を装ってはいられないだろう」
「どういう意味だ?」
「フェーデルシアは魔術の管理者であり、大陸の調停者だった。魔術を主軸とするのなら、その利益だけを吸うだけではなく、かの国のように付随する責務を果たさなければならない」
そこで、不意に小さく嗤った彼女は目を伏せて首を振る。
「王族としての責務もろくに果たせていない今の私が言っても、ただの絵空事でしかないというのにな」
「……」
「今日は疲れた。私はもう寝る。お前も好きにしろ」
肩を竦めた少女は、踵を返して部屋へと戻っていく。「ユーア」とその背を呼び止め、振り返った少女にワズはゆっくりと口を開いた。
「おれは……おれは、難しいことは分からない。でも、ユーアならなんでも出来ると思う」
部屋の暗がりでも薄らと光る白銀の瞳が、眉を下げたままの彼を静かに見つめる。
遠くの森の木々を揺らし、砂の海を渡ってきた風が、離れの部屋へと吹き込んで二人の黒髪を揺らした。
ややあって、少女はふ、と顔を綻ばせる。
「そうだな。私も、そうであればいいと思っている」
そう返し、今度こそ少女は背を向けた。




