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黒竜の魔女  作者: 千鳥切
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空の夢 02

 乾いた空気が己の頬を撫でるのを感じながら、ワズは顔を上げた。


「——ここは、」


 薄い青空を背景に悠然と佇むのは、ひどく古びた石造りの城だ。所々に巻きついた蔦は、城の寂れた雰囲気とは裏腹に青々とした葉をそよがせている。


「おい、いつまでそこに立ってんだ。邪魔だ」


 湖畔に建つ城を眺める彼の背に、呆れた声がかかった。振り向けば、裂け目から現れた男は目を細めて彼を見遣る。


「そう珍しいモンじゃねぇだろ。ただの城だ」


 軽く手を振って転移門を閉じたヒューロオッドは、青年の横を通り過ぎてそのまま城門へと繋がる跳ね橋へと向かう。続いて歩き出したワズは、空気が切り替わるような違和感に首を傾げた。


「……結界、か?」

「建物の保護結界だ。ここは中央部との境目だから必要だったんだろ」

「中央部?」

「遮るモンがほぼねぇんだよ。ほら」


 指し示された方を見遣り、彼は目を丸くする。

 まばらに生えた木々の向こうに見えるのは、広大な白い大地だった。ひたすらに続く丘陵は、常人よりも遥かによく見えるワズの目でも果てが見えない。


「砂……」


 足元の石畳にもまばらに散るそれの正体を口にした彼に、魔族の男が首肯する。


「中央部の大砂原だ。この大陸じゃ最も空間魔力濃度が高いから、普通の生き物なら中毒を起こして死ぬだろーな。居るのはここに適応しちまった魔物くらいだ」

「危ないってことか?」

「生き物ならな。てめぇ、そのナリで生き物だと名乗るつもりじゃねぇだろ?」


 からかうように返し、男は歩いていく。もう一度砂の海に目をやってから、ワズはその背を追った。




「なんで来ていいって言った?」

「あ?」


 がらんとした広間の最奥、薄汚れていてもなお豪奢な玉座に腰を下ろし、魔族の男は片眉を上げる。その姿が奇妙なまでに様になっている男をじっと見つめて、ワズは首を傾げた。


「ヒューロオッドにはおれが来てもいいことがない。なんで来ていいって言った?」

「てめぇが来るって言い出したんだろーが。俺にも理由がないと納得できねぇってか?」

「……」


 からかうような口ぶりで聞き返され、黙り込む。

 思い返せば、この男がワズに対して敵意を見せたことは一度もない。むしろ友好的なくらいだろう。だが——


「——ほらよ、きちんと受け取れ」

「え、」


 唐突に投げ渡されたものを受け止めて、ワズは目を見開く。

 その手のひらに容易に収まる大きさの球は、何も知らなければ鉱石の一種だと思っていたかもしれない。

 しかし、結晶に閉じ込められる前のそれを彼は確かに以前見たことがある——人間の眼球だ。


「それも目的だろ? 返してやるよ」

「……本物か?」


 顔の近くまで持ち上げ、まじまじと見つめながら思わず問いかければ、ヒューロオッドは呆れたように肩を竦めた。


「本物か偽物かも見分けつかねぇのかてめぇは。無知と馬鹿は違ぇぞ」

「返すと思わなかった、から」

「ああ、あの女から聞いたか? それを使って何ができるかを」

「……」


 困惑と共に再び沈黙したワズの顔を覗き込み、肘掛けに頬杖をついた男は目を細める。


「魔術における暗闇と過去、そして夢がどうして同列に語られる理由を知ってるか?」

「純粋な魔力だから?」

「そうだ。じゃあ『純粋な魔力』って言葉をてめぇはどういう意味で使ってる?」

「どういうことだ?」


 問いかけたワズの前に、光で形作られた輪が現れた。輪は所々から枝分かれし、その先がさらに細く枝分かれをしてはあちこちへと伸びている。

 まじまじと立体的な図を観察していた彼は、それより遥か上に位置している大陸に気づいて目を丸くした。


「この大陸の底に竜脈が流れてんのは知ってるだろ? あれもまた純粋な魔力だが、竜脈の性質は無だ。何も含まないが故の無垢。そしてそれと対になる魔力が、暗闇だ」


 ゆったりと回っていた光輪がふ、と消える。

 否、消えたのではない。濃密な闇が光輪を覆い隠して包み込んでいるのだ。


「ここで言う暗闇は、竜脈の流れる領域を満たしている暗闇のことを指す。その性質は全。この大陸で起きた全てがここに記憶され続ける。空から落ちた雨粒が大地を流れて地中へと染み込んでいくように、全ての記憶は大地へと沈み、暗闇に溶けて一つに混ざり合う」


 ぱちん、と弾けるような音と共に暗闇が消えた。

 指先で幻影を消したヒューロオッドは、話を呑み込みきれずに深く考え込んでいる青年を眺めて鼻を鳴らす。


「どうせあの女はここまで詳しい説明はしなかっただろ? 分かるぜ、あいつはそういう奴だ」

「……どうして、おれに教えてくれる?」

「ただの気まぐれだ。あの女が教えなかったってことは、てめぇがこれを知ることがあの女の意に反した結果をもたらすのかもしれねぇしな」

「おれはユーアを邪魔する気はない」

「あの女の目的が何なのかも知らねぇのにか?」


 思わず言い返したワズが目を伏せて黙り込めば、魔族の男は金と青の瞳を愉快そうに細めて笑った。


「哀れだな。何も知らねぇままで居られりゃ幸せだったかもしれねぇっつぅのによ。……ああそうだ。俺には遠見なんざ要らねぇが、てめぇにとってはどうだ?」

「……!」

「知りたいんだろ? あの女のことを」


 囁くような声が精神を冒していると錯覚する。

 誘われるように己の手の中に視線を落とせば、そこにある眼球と目が合う。

 人ならざる彼の漆黒の瞳が揺らぎ、閉じられ——



「——おれは、お前と同じことはしない」



 再び瞼を上げたワズは、魔族の男を睨んでそう告げた。

 提案を拒否されても敵意を向けられても、男は驚くどころか苛立つ素振りさえ見せない。


「そうか。ま、好きにすりゃいい」


 ただ薄い笑みを浮かべたまま、片目を閉じてひらひらと手を振った。



 ***



 夜闇に沈んだ砂の海が、月光を受けて銀色に輝いている。

 城の露台から茫洋とした景色を眺めていたワズは、浮かない表情のまま俯く。


 ——離れてからずっと、ユーアの魔力を感じ取ることができない。


 今まで感じ取れていたものが感じ取れない。それはすなわち、ワズに居場所を知られないようあの少女が何かしらの対策を講じているということだ。

 それでも、もしもどこに居るのかが分かれば——例え拒絶されると分かっていても、彼は間違いなくあの少女の許へと向かっただろう。


 彼女が何のために自身を犠牲にし続けているのか、彼は知らない。別れたあの日、彼女はワズがそれを問う前に消えてしまった。そしてワズは、今まで彼女の旅の目的を問うたことはなかった。ただ、あの少女と共に居られればそれでよかったのだ。


 手首につけた腕輪へと視線を落とす。金属で継がれた革の腕輪には、簡単には壊れないよう防護の魔術がかけられている。激しい戦闘には耐えられない程度のものだが、それでもワズは嬉しかった。二人の繋がりを、彼女が大事にしようとしてくれたように感じたから。


 旅の中で、多くの人々と関わってきた。それでも、彼女と同等かそれ以上に大切に思う存在はいない。離れたときとて、あの少女を片時も忘れたことはなかった。ましてや、今はあの時とは違う。きっと、今ワズが諦めれば二度と会うことはできなくなるだろう。


 ——ユーアは今、何処で何をしているのだろうか。


 答えは彼女しか知らない。だから、考えることに意味はない。それでも、ワズは考えることを止められない。

 欄干に身を預けながら、彼の思考はとめどなく続く。そうして、夜はただ静かに更けていった。



 ***



「——おい、」


 下ろしていた瞼を上げたヒューロオッドは、己の前に立つ者に目を向ける。


「客なんざ招いた覚えはねぇぞ」

「私とあなたの間柄ですのよ」


 それは一人の女だ。装飾のないドレスの長い裾は円形に地面へと広がっているが、女に気にする様子はない。肩口で緩く波打つ髪を揺らした彼女は、ヒューロオッドの視線を受けてその顔を蕩けさせる。熱の篭った視線を向けられた男は、面倒そうにため息をついて明後日の方向を向いた。


「奇妙なものを招き入れてらっしゃるのね。あんなものでなくとも、私なら何でもして差し上げますのに」


 傍らへと寄ってきた女は、玉座に座る彼の腕にしなだれかかった。それでも反応らしい反応のないヒューロオッドに焦れたのか、張り出た胸を押し付けるようにした女はその耳元で囁く。



「それとも——身の程知らずにもあなたを縛っていた羽虫が忘れられませんの?」



 ぴくり、と男の眉が動く。


「レグラディア」


 己の名を呼ばれて破顔した女は、少し遅れてそれが間違いだと気づいた。



「——てめぇ、さっきから誰と話してるつもりだ?」



 向けられた視線にあるのは、出来の悪い子供に向けるような眼差しだ。


「俺を御したいならもっと上手く立ち回れ。いつまでもしたり顔で的はずれなことを抜かしてんじゃねぇよ。くだらなすぎて笑えもしねぇ」


 この大陸において指折りの力を持つ魔族は、状況が掴みきれていない女を見て馬鹿にするように目を細めた。


「頭のいい振りも悪い振りもできねぇなら消えちまえ、塵芥が」




 大穴の空いた天井から、パラパラと破片が落ちてくる。


「……ま、これすら逃げられねぇなら生かしとく価値すらねぇしな」


 魔力の残滓を払った手で肘掛けを掴み、ヒューロオッドは黙り込んだ。暫しの沈黙ののち、玉座から立ち上がった彼は口を開く。


「おい」

「——どうなさいましたか」

「直しとけ。俺は少し出る」

「随意に」


 頭を下げる従者に軽く手を上げて応え、魔族の男はその場から姿を消した。



 ***



 一言で表現するのなら、頭の狂った女だった。


 魔族である彼でさえ正気を疑うようなことばかりを、あの女は平気でしでかす。人間の輪の中で爪弾きにされているのも順当である。

 排斥されても仕方がないような人格をしているにも関わらず、その才ばかりは誰にも否定できない。彼の長い生の中でも並び立つ者は見い出せないほど、あれは紛れもない天才だった。


『ね、ヒューちゃん』


 数度訂正しても直らなかった時点で、呼び名の訂正は諦めた。どうせ、ふざけた呼び名を使う女は一人ではない。それで話が進まないのなら譲歩する程度には、彼は寛大な魔族だった。


『ヒューちゃんは、あの子が欲しいのかしら、ね?』


 そのふざけた問いかけを、彼は鼻で笑って——そしてはっきりと、否定した。

 手にしたいと思ったことは一度もない。何より、()()は彼のことを酷く嫌っているのだから。


『それはあなたの理由じゃないわ』


 その言葉は聞かなかったことにして、彼は背を向けた。

 何ということもない、ただの記憶だ。



 ***



 地平線の向こうから差し込む陽射しが、青い丘陵を白に染めていく。

 露台で一睡もせずに(もっとも元来彼に睡眠は必要ないが)夜を明かした青年の顔には、珍しく疲労が刻まれている。


 一晩考え込んでも、彼の思考はほとんど先に進んでいない。彼女に聞きたいことばかりが増えていき、そのたびに落ち込む。結局のところ、何をどう考えてもあの少女が傍にいない事実は変わらないのだ。


「ユーア……」


 応える声がないと知りつつも、何度目かも分からないその名前を呟き——



「っ、」



 ——まるで応えるように、小さく息を呑む音が後ろから聞こえた。


 この城にいるのはヒューロオッドとその従者だけだ。部屋の中に居るのがどちらだとしても、こんな反応はしないだろう。

 ならば。

 確信は何もない。だというのに何か、恐ろしく激しい何かが身の内で暴れている。温度を感じないはずの身体の奥で燃えている。


 ゆっくりと、振り返る。



 開け放たれた窓の内側に立っていたのは、一人の少女だった。



 濡れたような黒髪は下ろされており、腰につくほどに長い。長い睫毛に縁取られた白銀の瞳を怪訝そうに細め、じっと彼を見つめる。

 その出で立ちを、彼が見間違えることはない。


「……ユーア」


 零れ落ちた名前に、少女の表情が強ばった。



 ***



「止まれ」


 部屋の中へと踏み込もうとしたワズを、鋭い声が制止した。腰から抜いた短剣を彼へと向け、少女は警戒の眼差しで彼を睨んでいる。


「それ以上許可なく近寄れば敵とみなす」

「ユ、」

「口を開くな。質問は私がする」


 素直に青年が黙り込めば、部屋には張り詰めた沈黙が満ちる。上から下まで彼を注意深く観察した少女は、眉をひそめた。


「お前は何者だ」

「……ユーア、おれを忘れたのか?」

「お前など知らない。質問に答えろ」


 忘れたふりをするほどに怒っているのだろうか。きっぱりと断言され、ワズはしょんぼりと肩を落とす。


「おれはワズだ」

「何を目的にこの城に侵入した」

「侵入? ヒューロオッドに連れてこられただけだぞ」

「……」


 あの魔族の名前を聞けば思い切り顔を顰めるはずの少女は、何も言わずに沈黙しただけだった。今までと全く違う反応にワズは首を傾げる。何かがおかしい。


「ユーアはどうしてここにいる?」


 彼がそう問いかければ、少女が呆れたような表情を浮かべた。


「……何故私は、私の城にいることに理由を求められなければならない」

「ユーアの城?」

「正確に言えば私個人の城ではないが」

「???」


 話が理解出来ないワズはさらに大きく首を傾げる。彼の反応に、少女は敵意を少し収めて困惑混じりに眉根を寄せた。


「お前、まさか私が王族であることも知らないのか?」

「おうぞく……王族?」

「それすら知らずに、どうしてこんな場所に入ってくることが出来る……」


 短剣を下ろした彼女は、額に手を当てて息を吐く。


「ユーア?」

「……違う」


 彼の呼び掛けを否定して顔を上げた少女は、目を丸くしている青年を見上げる。

 未だ眉間に皺を寄せたまま、しかし迷いなくその口が開かれた。



「ユーヴァノーア。それが私の名だ」



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