第69話 差し入れ
翌日も、壁の試験は朝から続いていた。
最初に作ったものより大きな木枠が組まれ、その周りを何人もの職人が行き来している。砂や石を運ぶ人、水を運ぶ人、材料を混ぜる人。昨日までは見なかった顔も混じっていた。
「一度に入れすぎんな。そこ、先に詰めろ」
グレタさんの声で、職人が手を止める。棒を差し込み、何度か突いて材料を落ち着かせた。
「……すいへーりーべー」
《エレメントサイト》で木枠の中を見る。
さっきまであった大きな隙間が減っている。石の偏りも昨日より少ない。
「グレタさん」
「なんだ?」
「今の、私が言う前に直したよね」
「そりゃ昨日もやったからな。同じところで失敗してたら、俺らがいる意味ねえだろ」
そう言って、もう次の職人へ指示を飛ばしている。
昨日までなら、気になるところを見つけるたびに声を出していた。
どこに隙間があるか。
どこに石が寄っているか。
そのたびに《エレメントサイト》で確かめて、グレタさんたちに伝えていた。
でも、ずっとそれでは町を囲う壁なんて造れない。
もう一度、木枠を見る。
今度は能力を使わなかった。
「……うん」
これでいい。
私が見なくても、昨日より良くなっている。
昨日やったことをグレタさんが覚えて、職人さんたちへ伝えて、その人たちも覚えていく。
一人しかできなかったことが、二人になって、三人になっていく。
その方が、ずっとたくさん作れる。
なんだか嬉しかった。
昼が近づいても、作業は止まらなかった。
額の汗を拭ってすぐ石を運び始める人がいる。朝から何度も水桶を往復している人もいた。
賃金が出ている仕事だということは分かっている。
それでも、町を守るものを作るために、こうしてたくさんの人が働いてくれている。
「ヒルダ」
「はい」
「何か出したい」
「何か、と申しますと?」
「食べるもの。お昼とは別に、休憩のときにつまめるようなもの」
少し離れたところで帳簿を確認していた先生が顔を上げた。
「皆には賃金が支払われておりますぞ」
「それは分かってるよ。そうじゃなくて、ありがとうってしたいの」
先生は何も言わず、眼鏡を押し上げた。
「何か?」
「いいえ」
「今、何か言いたそうだった」
「気のせいでございましょう」
「……まあいいや。マーサさんのところに行ってくる」
「壁の試験中であることはお忘れなく」
「すぐ戻るよ」
何を出そう。
大勢で食べられて、仕事の途中でも手でつまめるものがいい。できれば、この町にあるもので簡単に作れるもの。
考えながら歩いている途中で、荷車に積まれた芋が目に入った。
足が止まった。
前の世界で、何度も食べたものが頭に浮かぶ。
「……これだ」
◇
芋を一つ持ってマーサさんの店へ入ると、昼の仕込みをしていたマーサさんがこちらを見た。
「あら、ココア様。今日はどうしたの?」
「マーサさん、お願いがあるの」
持ってきた芋を差し出す。
「これで、おやつを作ってほしいの。壁を造ってくれてる人たちに配りたい」
「この芋で?」
「うん。できるだけ薄く切って、水にさらしてから、しっかり水気を取って油で揚げるの。最後に塩を少し」
マーサさんが芋を眺めた。
「ずいぶん簡単ね」
「簡単だからいいの。たくさん作りたいから」
「なるほどねえ」
外で働いている人数を伝えると、マーサさんはすぐに厨房の人を呼び、必要な芋や油の量を相談し始めた。
そこから先は任せることにした。
大勢の料理を毎日作っているマーサさんの方が、何をどれだけ用意すればいいか分かっている。
最初の一回だけ、切る厚さと揚げ具合を一緒に確認した。
油から上げた薄い芋に、この土地で作っている塩を振る。まだ熱い一枚を少し冷ましてから、端をかじった。
パリッ、と小気味いい音がした。
「……うん」
思っていた味だ。
芋と油と塩。
それだけなのに、もう一枚食べたくなる。
前の世界で食べていたものとまったく同じではない。芋も油も違う。
でも、これはこれでおいしい。
「これでお願い」
「分かったわ。休憩までには持っていけるようにするわね」
「ありがとう、マーサさん」
店を出ようとして、振り返った。
「マーサさんの分も残してね」
「あら、いいの?」
「作ってくれる人の分がなかったら変でしょ?」
マーサさんが笑った。
「じゃあ、楽しみにしてるわ」
◇
昼の休憩に合わせて、大きな籠がいくつも運ばれてきた。
最初は「芋?」と不思議そうな顔をされたけれど、説明はそれだけで済んだ。
グレタさんが一枚つまむ。
パリッ。
もう一枚つまむ。
「グレタさん」
「なんだ?」
「今、二枚目だよね」
「だから?」
「まだみんな食べてないよ」
「いっぱいあるんだろ?」
「あるけど!」
それを見ていた職人たちが笑い、次々に籠へ手を伸ばした。
「お嬢、これもう一枚もらっていいか?」
「どうぞ。いっぱい作ってもらったから」
「こっちにも回してくれ」
「塩がいいな、これ」
「仕事の途中でも食いやすいぞ」
「これ、酒にも合いそうだな」
その一言で何人かが頷いた。
そこは前の世界と同じらしい。
ノエルとリリアまで、いつの間にか混ざっていた。
「これ、芋なの?」
ノエルが日に透かすように一枚持ち上げる。
「芋だよ」
「こんな薄くする意味ある?」
「食べてから言って」
ノエルが口に入れる。
パリッ。
もう一枚取った。
「意味あった?」
「……まあまあ」
「今、二枚目取ったよね?」
「一枚じゃ分かんないから」
「グレタさんと同じことしてる!」
「俺はそんなこと言ってねえぞ」
「やってることは同じだよ!」
横ではリリアが指先についた塩を見ていた。
「手が汚れますわ」
「じゃあ食べない?」
「食べないとは言っておりません」
そう言って三枚目を取る。
「リリアも結構食べてるよね?」
「試しておりますの」
「何を!?」
「味を」
「一枚で分かるでしょ!」
また笑い声が上がった。
喜んでもらえた。
それだけで、マーサさんに頼んでよかったと思った。
自分の分を一枚取ろうとして、手を止める。
籠の底が見えていた。
「……いっぱい作ってもらったのに」
「足りなかったようですな」
先生が横から覗き込む。
「先生、食べた?」
「一枚だけ」
「ほんとに?」
「なぜ疑うのです」
「だって減るの早いんだもん」
「わたくし一人でこの量を食べられるとお思いですか」
「先生なら、最初に人数を数えて一人何枚までか決めそう」
「それならば、わたくしが大量に食べた疑いはますます薄くなると思いますが」
「……ほんとだ」
「今お気づきになりましたか」
笑っていると、後ろから声がした。
「何を騒いでいる」
振り返ると、お父様と叔父様が歩いてきた。
「お父様。ちょうどよかった」
残っていた一枚を取って差し出す。
「食べてみて」
「これは?」
「芋を薄く切って揚げたの。今日手伝ってくれてる人たちへの差し入れ」
お父様は受け取って口へ運んだ。
パリッ。
「どう?」
「悪くない」
いつもの答えだった。
「……それだけ?」
「他に何がある」
「別に」
そう言っておきながら、少しだけ不満だった。
でも、しばらくして見ると、お父様は別の籠のそばにいた。
目が合う。
「……お父様」
「なんだ」
「今、二枚目取ろうとした?」
「何の話だ」
「見たよ」
「見間違いだ」
「まだ取ってない?」
「取っていない」
「じゃあ、取ろうとはしたんだ」
お父様が黙った。
叔父様が横を向いた。
肩が揺れている。
「叔父様、笑ってる?」
「いや」
「笑ってるよね?」
「兄上。残念だったな」
「何がだ」
「別に」
今度は私が言った。
お父様がこちらを見る。
ちょっとだけ笑った。
気に入ったらしい。
◇
数日後。
お父様が領都へ戻る朝、屋敷の前には馬車が用意されていた。
壁のことも、町のことも、これから相談しなければならないことはたくさんある。
試験結果が出れば報告する。
契約書も作る。
壁をどこから造るのかも決めなければならない。
それでも、ひとまず今回はここで帰るらしい。
「お父様」
馬車へ乗る前に呼び止め、小さく折った紙を渡した。
「なんだ?」
「この前の、芋のおやつの作り方」
お父様が紙を開く。
難しいことは書いていない。
芋を薄く切ること。
水にさらすこと。
水気をよく取ること。
油で揚げること。
最後に塩を振ること。
「これを私に?」
「うん。気に入ってたから」
「悪くはなかった」
「二枚目取ろうとしてたのに?」
「取っていない」
「取ろうとはしたでしょ?」
「証拠は?」
「見たもん」
「証拠にならんな」
「ずるい!」
お父様は何事もなかったように紙へ目を戻した。
「いくらだ」
「え?」
「これを渡すのだろう。いくら欲しい」
一瞬だけ、昨日の灰色の試験体が頭に浮かんだ。
壁に使う技術には価値がある。
使える範囲を決める。
誰に教えていいのかを決める。
対価も決める。
それは必要なことだと思う。
でも、この紙は違う。
「いらないよ」
お父様が顔を上げた。
「なぜだ?」
「お父様にあげるんだから」
「研究費は欲しいのではなかったか」
「欲しいよ」
そこは迷わない。
研究したいことはいくらでもある。
欲しい器具も、試したい材料も、まだまだある。
でも、だからといって、知っていること全部に値段をつけたいわけじゃない。
「これは、お金いらない」
「なぜだ」
「だって、お父様が好きだったから」
それだけだった。
お父様はしばらく黙って紙を見ていた。
「他の者に教えても構わないのか?」
「いいよ。作りたい人がいたら教えてあげて」
「売っても?」
「うん」
「領外でもか?」
「いいよ?」
今度はこっちが不思議になった。
「芋を薄く切って揚げるだけだよ?」
「お前の『だけ』は、あまり信用できん」
「なんで!?」
叔父様が吹き出し、先生まで口元を押さえている。
お父様は紙を丁寧に折り直すと、懐へしまった。
「では、もらっておこう」
「うん」
「次に来る頃には、こちらの料理人の方がうまく作れるようになっているかもしれんな」
「えっ」
「作り方はもらった」
「そうだけど……それは困る」
「なぜだ?」
「私が教えたのに!」
「無料で渡したのはお前だろう」
「それとこれとは別!」
お父様が馬車へ乗り込む。
「待って。今度来るとき持ってきて!」
「何をだ」
「お父様のところで作ったやつ。食べ比べるから」
「勝手にしろ」
「絶対だよ!」
馬車がゆっくり動き出す。
窓から見えるお父様に手を振ると、ほんの少しだけ手が上がった。
それだけで嬉しくなって、見えなくなるまで手を振った。
「次は負けないからね!」
「ココア様」
隣に立つヒルダが笑っている。
「まだ負けておりませんよ」
「……そうだった」
そもそも、勝負ですらなかった。
でも次にお父様が来たとき、同じものを一緒に食べられる。
今度はどっちがおいしいか比べられる。
そう考えると、お父様が帰ってしまった寂しさが、ほんの少しだけ小さくなった。
次に会う楽しみが、一つできたから。




