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魔力0の伯爵令嬢、すいへーりーべーで領地開拓!〜研究費を稼いでいたら領地が発展しました〜  作者: 大福


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第58話 7歳

「待って、ノエル!」


 呼んだ瞬間、ノエルの肩が跳ねた。


 まただ。


 振り返ったノエルは、困ったようにこちらを見る。


「ココア。今日は、その……」


「逃げないで」


「逃げてないよ」


「昨日走って逃げた」


「あれは急いでたの!」


「じゃあ今日は?」


「今日は……用事!」


「またそれ!」


 ヒルダは、私が何かしたわけではないと言ってくれた。それは信じている。


 でも、だったらどうして避けるのかが分からない。


「何かあるなら言って」


「ないって!」


「じゃあ、なんで最近一緒に温床見てくれないの?」


「それは――」


「あ……」


 後ろから来たリリアが、私たちを見て止まった。


「リリア」


「わ、わたくしは急用を思い出しましたので!」


「まだ何も聞いてない!」


 踵を返そうとしたリリアを、ノエルが慌てて捕まえる。


「待って! そっち行ったら駄目!」


「では、どちらへ行けばよろしいのですか!」


「知らないよ!」


「二人とも変だよ!」


 二人が顔を見合わせた。


 やっぱり何か知っている。


「ココア様」


 後ろからヒルダに呼ばれた。


「なに?」


「少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


「今?」


「はい」


 ノエルを見る。


「……あとで話してくれる?」


「う、うん」


「絶対?」


「絶対!」


「リリアも」


「わ、わたくしもでございます」


 ものすごく怪しい。


 でも、ヒルダが待っている。


「分かった」


 二人から離れ、ヒルダと一緒に屋敷へ向かう。


「どこ行くの?」


「すぐでございます」


「温床も見たいんだけど」


「そちらは後ほど」


「昨日より寒いよ?」


「存じております」


「だったら先に――」


「ココア様」


「なに?」


「本日は、わたくしのお願いを聞いてくださいませ」


 珍しい。


 ヒルダがそんな言い方をすることは、あまりない。


「……いいけど」


「ありがとうございます」


 屋敷へ入ると、何人かとすれ違った。


 みんな私を見て、なぜか笑う。


「ヒルダ」


「はい」


「やっぱり何かある?」


「ございます」


「あるんだ!」


「はい」


「何?」


「もう少々お待ちくださいませ」


「みんなそればっかり」


 ヒルダが笑った。


 案内されたのは、大きな食堂だった。


 扉の前でヒルダが止まる。


「どうぞ」


「一人で?」


「はい」


「ヒルダは?」


「すぐ後ろにおります」


 扉を見る。


 何か悪いことではない。


 たぶん。


 ヒルダが笑っているから。


 取っ手に手をかけ、扉を開けた。


「お誕生日、おめでとう!」


 声が重なった。


 動けなかった。


 目の前に、たくさんの人がいる。


 ノエル。リリア。叔父様と先生。マーサ。バルドさん。ガレスさん。グレタさん。ヨハンさんたち農家の人もいる。


 机には料理が並び、壁や窓辺には花や布が飾られていた。


 さっきまで外にいたノエルとリリアまで、いつの間にか混ざっている。


「……誕生日?」


「そうだよ!」


「誰の?」


「ココアの!」


 先生を見る。


「今日なの?」


「左様でございます」


「知らなかった」


「存じております」


「なんで先生が知ってるの?」


「わたくしはココア様の家庭教師でございますので」


「それ関係ある?」


「少なくとも、ご本人よりは関係があったようですな」


「どういう意味!?」


 笑い声が上がった。


 その中で、ノエルを見る。


 笑っている。


 リリアもいる。


 マーサも、ヒルダも。


「……よかった」


 勝手に言葉が出た。


「え?」


 ノエルが首を傾げる。


「なんでもない」


「びっくりした?」


「うん」


「成功!」


 ノエルが嬉しそうに笑う。


 その顔を見たら、全部つながった。


 背中に何かを隠して逃げたこと。


 リリアが目を逸らしたこと。


 マーサが食堂で何かを隠したこと。


 ヒルダが理由を教えてくれなかったこと。


 全部、これだった。


「これ、みんなで?」


「そうだよ。飾るのも手伝ったんだから」


「ノエルは途中で花を落としておりましたけれど」


「言わなくていいでしょ!」


「事実ですわ」


「リリアだって結び方間違えてたじゃん!」


「あれはノエルが――」


 いつもの二人だった。


 昨日までと同じだ。


 それだけで、胸の奥に何日も引っかかっていたものが消えていく。


 改めて食堂を見る。


 料理がある。


 飾りがある。


 たくさんの人がいる。


 私が知らないところで、この人たちは集まっていた。


 私のために相談して、準備して、見つからないように隠していた。


 誰か一人のために、何日も前から準備する。


 その人が喜ぶ顔を考える。


 前の私は、そんなことをしたことがあっただろうか。


 研究なら、何日でも考えられた。


 でも今、目の前にいる人たちは。


 私のために考えてくれた。


「ココア?」


 ノエルが呼んだ。


「……うん」


 返事をしたつもりだった。


 でも、声が変だった。


「あれ?」


 頬が濡れている。


 指で触る。


 涙だった。


 悲しくない。


 むしろ嬉しい。


 拭いた。


 また出た。


「ココア様?」


 リリアまで心配そうにこちらを見る。


「ちが……違うの」


 大丈夫だと言おうとした。


 その瞬間、ノエルが近づいてきた。


「もしかして、嫌だった?」


 違う。


 首を振る。


「うれし……」


 そこまで言ったら、声が詰まった。


「だって……みんな……っ」


 安心した。


 嬉しかった。


 それなのに、涙だけが止まらない。


「ココア様」


 ヒルダの声がした。


 次の瞬間には、その胸に抱きしめられていた。


「ひ、ヒルダ……っ」


「はい」


「わたし……っ」


「はい」


「みんな、逃げるから……っ」


 ノエルが息を呑んだ。


「え?」


「ココア、もしかして……」


「……嫌われたと、思われたのでございます」


 ヒルダが代わりに言った。


 食堂が静かになった。


「ええっ!?」


 ノエルの声が響いた。


「なんで!?」


「だって……っ、逃げた……!」


「だって見つかったらバレるじゃん!」


「目も……逸らした……っ」


「わ、わたくしは秘密を守ろうと……!」


「マーサも……隠した……」


「まあ……」


 マーサが口元を押さえる。


「申し訳ありません、ココア様。そこまでご心配なさっていたとは」


 みんなが慌てている。


 それがおかしくて、笑おうとしたのに、また涙が出た。


「もう……っ、分かんない……」


 ヒルダの服を掴む。


 今日から七歳らしいのに。


 先生も叔父様もいるのに。


 止められなかった。


「……ごめん」


 すぐ近くで、ノエルの声がした。


 顔を上げるより先に、小さな腕が横から回ってくる。


「ごめん、ココア。そんなふうに思ってるなんて知らなかった」


「ノエル……っ」


「嫌いになるわけないじゃん」


 その一言で、また涙が増えた。


「ノエル、それ……っ、今言うの、ずるい……」


「なんで!?」


「もっと出る……っ」


「あ、ご、ごめん!」


「謝ったら……もっと出る……!」


「じゃあどうすればいいの!?」


 泣いているのに、少し笑った。


 反対側から、服をつままれる。


 リリアだった。


 いつものように何か言おうとして、口を開いて、閉じる。


 それから、おそるおそる腕を伸ばした。


「わたくしも……よろしいでしょうか」


「聞かなくていいから!」


「あなたに聞いておりません!」


 いつもの二人だ。


 それが嬉しくて、頷いた。


 リリアの腕が、そっと背中に回る。


「申し訳ございませんでした、ココア様」


「リリアは……悪くない……っ」


「ですが、わたくしも避けてしまいましたので」


「秘密だったんでしょ……?」


「はい」


「じゃあ……いい……」


「ありがとうございます」


 ヒルダの胸に顔を埋めたまま、右からノエルに抱きつかれて、左からリリアに抱きしめられる。


 狭い。


 苦しい。


 でも、離れてほしくなかった。


 前の私なら、三人に抱きしめられたら困っていたと思う。


 今は違う。


 ここにいたかった。


 ヒルダが背中を撫でてくれる。


 ノエルの腕がある。


 リリアの手が、遠慮がちに服を掴んでいる。


 さっきまで失うのが怖かったものが、全部ここにあった。


 もう、涙を止めようとは思わなかった。


     ◇


「……ひどい顔」


「ノエルのせいでもあるよ」


「ごめんってば」


 しばらくして。


 ようやく泣き止んだ私は、ヒルダに濡らした布で顔を拭いてもらっていた。


 ノエルが申し訳なさそうに隣に座っている。


「でも、本当に嫌ってないからね」


「……うん」


「絶対だから」


「分かった」


「明日も温床行くから」


「うん」


「明後日も行く」


「毎日はいいよ」


「なんで!?」


 笑ったら、目の奥が少し痛かった。


「ココア様」


 リリアが前に立った。


 手に、小さな包みを持っている。


「こちらを」


「私に?」


「お誕生日ですので」


 包みを開くと、小さな布袋が入っていた。


 口には紐が通され、細かな刺繍が入っている。


「これ、リリアが?」


「……母に教わりました」


「自分で作ったの?」


「少しだけ手伝っていただきました」


 よく見ると、縫い目が少し揃っていない。


 でも、丁寧だった。


「ありがとう」


「い、いえ」


 リリアが照れたように目を逸らす。


 今度は、それを見ても怖くなかった。


「はい、次は私!」


 ノエルが割り込んできた。


「さっきから持ってたの、それ?」


「そう!」


 渡された包みを開く。


 中には、小さな木箱。


 何種類かの種が分けて入れられていた。


「畑で採れたやつ。バルドさんにも聞いて、ちゃんと分けた」


「これ……」


「来年使えるでしょ?」


 一粒をつまんで見る。


「ノエル、これどの畑?」


「書いてあるよ」


 仕切りには、小さな紙が挟まれていた。


 畑と採れた時期まで書いてある。


「……すごい」


「でしょ?」


「調べたい」


「今!?」


 また笑い声が起きた。


 ガレスさんからは、小さなガラスの器。


 グレタさんからは、外仕事で使える丈夫な手袋。


 マーサからは、今日のために焼いた菓子。


 どれも高価なものではない。


 でも、一つ受け取るたびに分かった。


 私が何をしているのか。


 何を好きなのか。


 何をよく使っているのか。


 みんな、見ていた。


「ココア様には、こちらを」


 最後に先生が差し出したのは、細身のペンだった。


「ペン?」


「はい」


 手に取る。


 今使っているものより少し細く、私の手に収まりがいい。


「研究にも使っていいの?」


「使うためのものでございます」


「じゃあ、いっぱい書けるね」


「……紙を贈らなかっただけ、まだ良かったと思うことにいたします」


「紙も欲しい」


「申し上げなければよかったですな」


 胸元にペンを抱える。


「ありがとう、先生」


「これから先も、書くことは増えるのでございましょう?」


「うん。いっぱい」


「でしたら、大切になさってくださいませ」


「うん」


 すぐに使いたかった。


 でも、今日は我慢する。


 たぶん。


 それから、みんなで料理を食べた。


 叔父様は、今日くらい研究の話をせずに食事をしろと言った。


 無理だった。


 ノエルの種の話をして怒られた。


     ◇


 食事が一段落した頃。


「ココア様」


 ヒルダが呼んだ。


「なに?」


「わたくしからもございます」


「ヒルダも?」


「もちろんでございます」


 ヒルダが持ってきたのは、一つの箱だった。


 新しい箱ではない。


 丁寧に手入れされているけれど、ところどころに時間を感じる。


 目の前に置かれた。


「開けてもいい?」


「はい」


 蓋を開ける。


「……なに、これ」


 いくつもの小さな物が、一つずつ大切そうに収められていた。


 古いものもある。


 見覚えのあるものもある。


 何に使ったのか思い出せないものまであった。


 一つを手に取る。


「これ……私の?」


「はい」


 別のものを見る。


「これも?」


「はい」


「こっちも?」


「左様でございます」


 ただ昔使ったものを集めただけには見えない。


 何か共通点がある。


「ヒルダ」


「はい」


「これ、どうして取ってたの?」


 ヒルダは箱の中を見た。


「ココア様が、初めてお使いになったものや、初めてご自分から手を伸ばされたものです」


「初めて……」


「はい。残しておけるものだけではございますが」


 もう一度、箱を見る。


 その意味が変わった。


 私が初めて手に取ったもの。


 初めて使ったもの。


 初めて興味を持って、自分から触れたもの。


 その最初が、ここに残されている。


「いつから?」


「ココア様がお生まれになってから、ずっとでございます」


 七年。


 ヒルダは七年間、これを取っておいてくれた。


 私が初めて何かに手を伸ばすたびに、それを覚えていた。


「……なんで?」


 ヒルダが少しだけ笑った。


「捨てられませんでしたので」


 それだけだった。


 でも、その一言で十分だった。


 箱へ手を伸ばしかけて、止まる。


 生まれてから、ずっと。


 だったら。


「ヒルダ」


「はい」


「一番最初は?」


「一番最初、と申しますと?」


「私が、この世界で初めて触ったもの」


 ヒルダが黙った。


「ここにある?」


「いいえ」


「残せなかった?」


「はい」


「何だったの?」


 ヒルダは答えず、右手を差し出した。


「……手?」


「はい」


 その手を見る。


「ココア様がこの世界で初めてお触れになったものは、わたくしの指でございました」


 息が止まった。


「私が?」


「はい」


 ヒルダが自分の人差し指を見る。


「とても小さな手でございました。それでも、なかなか離してくださらなかったのですよ」


 記憶がある。


 ぼんやりしている。


 今みたいに言葉で考えていたわけじゃない。


 何もかもが大きくて、自分の身体は思うように動かなかった。


 近くに何かがあった。


 温かかった。


 握った。


 あれが。


「……ヒルダだったの?」


「はい」


 差し出された指に触れる。


 あのときは、これ一本で手のひらがいっぱいだった。


 今は違う。


 私の手は、七年分大きくなっている。


 そっと握った。


 生まれたときは、何も知らずに握った。


 今は、自分で握った。


 ヒルダの指が少し動いて、今度は向こうから私の手を包んだ。


「大きくなられましたね」


 駄目だった。


 また涙が出た。


 でも、さっきとは違う。


 何が嬉しいのか分かっていた。


 箱を見る。


 七年間の「初めて」が入っている。


 その一番最初だけは、箱の中にはない。


 ずっと私の隣にいた。


「……ヒルダ」


「はい」


「まだ、増える?」


 ヒルダは迷わなかった。


「はい。これからも、たくさん」


 涙が一つ落ちた。


 前の私は、誕生日という日そのものを、それほど大切にしていなかった。


 生まれた日がいつなのかより、そのあと何をしたのかの方が大事だと思っていた。


 ココアになってからも、今日までそれはあまり変わらなかったと思う。


 でも。


 今日だけは。


 私が生まれた日を覚えていてくれる人がいる。


 私が生まれてから何を見て、何に触れて、どう大きくなったのかを覚えていてくれる人がいる。


 それが、こんなに嬉しいなんて知らなかった。


 ヒルダの手を握る。


 生まれてきた日があってよかった。


 そう思った。


 今度は、離さなかった。

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