第53話 売っていい
「それで、昨日の商人は何のお店を出したいの?」
翌朝。
叔父様の屋敷へ来て、最初に聞いた。
第52話で先生から聞いてから、ずっと気になっていた。
「衣類と日用品でございますな」
セバス先生が紙を一枚、机の上へ置く。
「布、糸、靴、手袋、石鹸などを扱いたいとのことでございます。今ある店と重なる品もございますが、衣類はこちらの方が多いようです」
「お店、増えるの?」
「条件が合えばな」
叔父様が答えた。
「昨日のうちに場所も見ていった。人が増えているうちに出したいそうだ」
「売れると思ったから?」
「そういうことだ」
まただ。
人が増えたから店ができた。
店ができたから物が集まり、物が売れると分かったから、次の商人まで来た。
「でも、お店を出せない人は?」
叔父様が私を見る。
「どういう意味だ?」
「ノエル。家で余った野菜ってどうしてる?」
「余ったらマーサさんのところに持っていったり、近所に分けたり。多かったら町まで持っていくこともあるよ」
「少しだけなら?」
「持っていかないかな。遠いし」
「じゃあ、籠とか布とか、家で作ったものは?」
「使うよ?」
「余ったら?」
「売れるほどあったら売るんじゃない?」
「それ」
「どれ?」
ノエルが首を傾げる。
「お店を作るほどじゃない。でも、ちょっとだけ売りたい人」
野菜が籠に少し。
作った縄が二本。
使わなくなった鍋が一つ。
それだけのために遠くの町まで行くのは大変だし、店を建てるなんてもっと無理だ。
「叔父様。この辺に市ってある?」
「町まで行けばあるぞ。決まった日に商人や農家が集まる。この辺ではやってないがな」
「どうして?」
「今までは、やっても人が集まらなかったからだ」
簡単な理由だった。
売る人がいても、買う人がいなければ商売にならない。
でも、今は違う。
「ここでもできない?」
「市をか?」
「うん。商人じゃなくても売っていいの。野菜を少しだけでもいいし、籠一個でもいい。使わなくなったものだって、欲しい人がいるかもしれない」
叔父様が腕を組んだ。
隣では、先生がもう紙を見ている。
「先生」
「はい」
「今、何考えてる?」
「場所でございます」
「やっぱり」
「道を塞がれては困りますからな。荷車をどこへ置くか、出店場所をどう分けるか。火を使う者を認めるのであれば、その扱いも必要になります」
「まだ、やるって決まってないよ?」
「ココア様がおっしゃった後で必要になる仕事を、先に数えているだけでございます」
「それ、やる気あるってことじゃない?」
「まったく違います」
叔父様が笑った。
◇
最初は、小さく試すことになった。
場所は屋敷から少し離れた街道沿いの空き地。道そのものは塞がず、売りたい人は事前に申し出る。場所代は最初の数回は取らず、どれくらい人が集まるかを見てから決める。
今ある店や、定期的に来る商人にも話を通した。
「店の人、怒らない?」
「市の日に人が集まれば、店へ寄る客も増えるかもしれん。それに毎日開くわけじゃない」
「そっか」
叔父様が出店希望者を書いた紙を見る。
「それで、何を売るかは本人に任せる」
「こっちで決めなくていい?」
「ああ。売りたい奴が持ってくる。それで売れなければ、次から持ってこなくなるだけだ」
それがいいと思った。
何が売れるかまで、私たちが決める必要はない。
売りたい人と、欲しい人が出会えばいい。
◇
最初の市が開かれた朝。
「……多くない?」
「多いね」
ノエルも同じ感想だった。
想像していたより、ずっと人がいる。
街道沿いの空き地には簡単な台や布が並び、野菜や卵だけでなく、籠、縄、木の匙、古い鍋、布、靴、干した薬草まで置かれていた。
近くの農家だけではない。荷車で来た商人もいれば、隣の村から来た人もいる。売るものを持たず、買い物だけに来た人たちまで歩いていた。
「お嬢様」
声をかけられた。
小さな台の前に、女の人が立っている。並んでいたのは、布を縫い合わせて作った小さな袋だった。
「これ、作ったの?」
「はい。余った布で作ったもので……」
一つ手に取る。
小さい。
でも、紐もついている。
「何入れるの?」
「小銭や針なんかを入れようかと。ただ――」
女の人が周りの店を見る。
「こんなものでも、売っていいんでしょうか?」
「どうして?」
「商人でもありませんし、売り物として作ったわけでもないので」
袋を見る。
私は欲しい。
「いくら?」
「え?」
「私、これ欲しいよ」
「でも――」
「欲しい人がいるなら、売っていいんじゃない?」
女の人が目を丸くした。
それから、少しだけ笑った。
「……ありがとうございます」
「だから、いくら?」
値段を聞いて、お金を払う。
「ココア様」
ヒルダが隣から呼んだ。
「なに?」
「本日、すでに二つ目でございます」
「これは必要なものだよ」
「先ほどの木の匙も同じことをおっしゃいました」
「形が違ったから」
「匙でございます」
「違うよ」
買った袋を大事に持つ。
これには何を入れよう。
「ココア、こっち!」
ノエルに呼ばれ、今度は別の台へ向かった。
籠いっぱいの赤い実。
見たことのない形の焼き物。
古い農具。
家で作った縄。
歩くたびに、知らないものが出てくる。
食べ物を集めたかっただけなのに、食べ物ではないものまで集まり、それを目当てに人まで来ていた。
「先生」
「はい」
「お店のお客さん、減ってないね」
常設店にも人が出入りしている。
「むしろ増えているようでございますな。市を目的に来た者が、そのまま店にも寄っております」
「じゃあ、お店も市も売れる?」
「少なくとも本日は、そのようでございます」
思わず笑った。
一つ増えたら、もう一つが減るとは限らない。
人が集まったことで、両方が動いている。
「ココア様」
「なに?」
「少々、こちらへ」
ヒルダに肩を引かれた。
すぐ横を、大きな荷物を担いだ男が通り過ぎる。
「あ、ごめんなさい」
「いえ」
ヒルダは男の背中を見た。
そのまま、街道へ視線を移す。
荷車が入ってくる。その横には見たことのない男が二人。反対側からは子供を連れた家族が歩いてきて、その後ろにも大きな袋を背負った人がいる。
「ヒルダ?」
「はい」
「どうしたの?」
「何でもございません」
いつもの顔だった。
でも、そのあともヒルダは何度も街道を見ていた。
◇
市が終わったのは、日が傾き始めてからだった。
売り切れた台を片づける人もいれば、残った商品を荷車へ戻す人もいる。来たときより荷物を減らした荷車が、次々と領地の外へ向かっていった。
「いっぱい来たね」
「はい」
「次も来てくれるかな」
「来られる方もいらっしゃるでしょう」
少し返事が硬い。
「ヒルダ?」
「ココア様。叔父上様のところへ参りましょう」
「何かあった?」
「いいえ」
ヒルダは、帰っていく人たちを見た。
「何もなかったからこそ、今のうちに決めておくべきことがございます」
◇
「本日の市に、領外から何名入ったか把握しておりますか」
屋敷へ戻るなり、ヒルダが叔父様に尋ねた。
「何名?」
「はい」
叔父様がセバス先生を見る。
「出店者であれば記録がございます。事前に申し出た者は把握しております」
「では、買い物だけに来た者は?」
先生が黙った。
「本日、わたくしはココア様の周囲にいた者のうち、領民なのか、領外から来た者なのか判断できない方を何人も見ました」
叔父様の顔から、笑みが消える。
「人を入れるな、と言いたいのか?」
「いいえ」
ヒルダは即答した。
「人が増えることに反対しているのではございません。誰がいるのか分からないことに反対しております」
今日、ヒルダがずっと街道を見ていた理由が分かった。
以前なら、知らない人が一人来ただけでも分かった。
今日は違った。
知らない人がいることを、誰も気にしなくなっていた。
「今後も商人、職人、仕事を求める者、その家族が増えるでしょう。他領との取引が増えれば、使者や役人が訪れることもあるかと存じます」
「それで?」
「人の出入りが多い主要な道だけでも、詰所を置くべきかと。人を締め出すためではございません。何か起きた際に、誰が出入りしていたのか確認できる程度の記録は必要です」
「全員を毎回止めるのか?」
「それでは商人の邪魔になります」
ヒルダはセバス先生を見る。
「先生のお知恵をお借りしたく存じます」
「わたくしでございますか」
「記録や制度は、わたくしよりお詳しいでしょう?」
先生が眼鏡を押し上げる。
「ココア様に似てこられましたな」
「どこがですか」
「自分より詳しい者へ仕事を渡すところでございます」
「必要な役割をお願いしているだけです」
叔父様が笑った。
私も笑いそうになった。
同じことを、この前グレタさんに言われたばかりだ。
「定期的に来る商人や、すでに身元の分かっている者まで毎回同じ手続きにする必要はございませんな」
先生が続ける。
「初めて来る者を中心に、名、出身、目的、滞在先など最低限の記録を取る程度から始めてはいかがでしょう。人と物の流れを知る資料にもなります」
「それなら商人の邪魔にもなりにくいか」
叔父様が地図を広げた。
「火事や事故、行方不明者が出た時にも使えるな。何か起きてから慌てるよりはいい」
「はい」
ヒルダが頷いた。
私は、その横顔を見た。
ヒルダは私を守る人だ。
剣を持って隣に立ち、危ないものが来たら守ってくれる。ずっと、そう思っていた。
でも今は、自分のすぐ隣だけを見ているわけじゃない。
人がどこから来るのか。どこを通るのか。何か起きる前に、どうすれば危険を減らせるのか。
グレタさんと工事現場を回るようになってから、ヒルダが見る範囲は少しずつ広くなっていた。
「詰所を置くなら、どこがいい?」
聞くと、ヒルダが地図を見る。
「主要街道の入口付近がよろしいかと。ただし、荷車を止めても通行を妨げない広さが必要です」
「それなら――」
叔父様が顔を上げたところで、扉が開いた。
「呼んだか?」
入ってきたグレタさんが、机の地図を見る。
それから叔父様、セバス先生、ヒルダの順に見た。
「……今度は何だ」
「詰所を造りたい」
叔父様が言った。
「俺を見るな」
どこかで聞いた台詞だった。
笑いそうになったけれど、ヒルダは真面目な顔のまま地図を指す。
「グレタ。相談がございます」
「お前まで仕事を持ってくるようになったのかよ!」
「必要ですので」
「誰に似たんだ!」
なぜか全員がこちらを見た。
「なんで私を見るの?」
「自覚がございませんか」
先生だけが真顔だった。
グレタさんはぶつぶつ言いながらも、地図の前へ来る。
「で、どこに置きたい」
「こちらです」
「駄目だ。もう少し手前だな。ここなら道幅が狭くなる前に荷車を脇へ寄せられる」
「ですが、こちらから入られた場合は?」
「そっちにも道があるのか。なら二つ――いや、最初から二つ造るほど人はいねえか」
「まず人の流れを確認いたします」
「それがいい。多い方からだな」
「明日、確認してまいります」
「朝から行くぞ」
「承知しました」
二人だけで話が進んでいく。
いつもなら、地図の真ん中にいるのは私だった。
どこを調べるか。何を試すか。誰に聞くか。
でも今日は違う。
ヒルダが問題を見つけ、叔父様が必要性を判断した。先生が仕組みを考えて、グレタさんが造る場所を考えている。
私が口を挟まなくても、話が進んでいた。
「ココア様」
地図を見たまま、ヒルダが言った。
「なに?」
「明日はグレタと街道を確認してまいります」
「私も行く?」
「いいえ」
即答だった。
「……なんで?」
そこでようやく、ヒルダがこちらを見る。
「ココア様をお連れしても安全かどうかを確認するために参るのでございます」
「私の護衛なのに?」
「だからでございます」
グレタさんが吹き出した。
納得できない。
でも、少しだけ嬉しかった。
領地へ来たばかりの頃、ヒルダはいつも私の隣にいた。
今も、それは変わらない。
ただ、守ろうとしている範囲が広くなった。
今日、市に集まったたくさんの人を思い出す。
売る人、買う人、働く人。ここで暮らそうとしている人。
人が増えれば、できることも増える。
きっと、危ないことも増える。
だからヒルダは、剣を抜く前にできることを考え始めた。
地図の上で、ヒルダとグレタさんの指が街道を辿っている。
私は二人の邪魔をしないように、少しだけ後ろへ下がった。
今日は、私が真ん中にいなくても大丈夫だった。




