第51話 足りない
「もっと作れないかな」
ノエルにそう聞かれて、すぐには答えられなかった。
「もっとって、どのくらい?」
「分かんない」
「え?」
「だって、今まで余ってたんだもん」
ノエルが空になった籠を持ち上げる。
「採れた分を家で食べて、残ったらマーサさんに持っていったり、まとめて売りに行ったりしてたの。でも今は、持ってきたらなくなる」
なるほど。
足りないのは分かった。でも、どれだけ足りないのかは分からない。
「先生」
「はい」
「どのくらい足りないの?」
「さて」
「先生も分からない?」
「分からないことを分かった顔で答えるほど、わたくしは器用ではございません」
「じゃあ調べよう」
「左様でございますな。ただし――」
先生が眼鏡を押し上げる。
「今回は、ココア様が畑を掘る必要はございませんぞ」
「まだ何も言ってないよ」
「お顔に書いてございました」
◇
調べるのに、それほど時間はかからなかった。
店主は何がどれだけ売れているかを記録していたし、マーサさんも毎日使う食材なら分かる。農家の人たちにも、何をどれだけ持ち込んでいるのか聞いてみた。
その結果、全部が足りないわけではないことが分かった。
「穀物は?」
「当面は問題ございません。もともとの蓄えがありますし、食料商からも入ってまいります。肉も同様ですな」
「じゃあ、足りないのは?」
「野菜と卵です。特に野菜でございますな。遠方から運べないわけではございませんが、傷みやすいものほど近隣で賄える方がよろしいでしょう」
横からノエルが紙を覗き込む。
「じゃあ畑を増やせばいいじゃん」
「うん。それが一番分かりやすいね」
「増えてるよ」
「え?」
「畑」
ノエルが当たり前みたいに言った。
「見に行く?」
◇
「ほんとだ」
村の外れ。
前に来た時には草の生えていた土地が、黒い土に変わっていた。男が二人、鍬を振るい、少し離れた場所では別の家族も土を起こしている。
「いつから?」
「何日か前から」
「誰かに言われたの?」
「なんで?」
「畑を増やしなさいって」
「言われてないよ。売れるから増やしてるんでしょ?」
やっぱり。
店を出した商人と同じだ。売れると分かれば、農家の人たちだって自分で動く。
「お嬢様!」
畑を耕していた男が、こちらに気づいた。
「畑、増やすの?」
「ええ。あの店なら買ってくれるっていうんで」
「大変じゃない?」
「そりゃ大変ですよ。でも作れば売れるなら、やる価値はあるでしょう」
そう言って、男はまた鍬を土へ振り下ろした。
誰かに命令されたからじゃない。自分で考えて、売れるから作る。
ここはもう、少しずつ自分で動き始めている。
「これなら増えるね」
「でも、すぐには増えないよ」
ノエルが言った。
「畑作ったって、明日野菜ができるわけじゃないもん。それに、人もいるし」
その通りだ。畑を広げれば、種も人手も必要になる。そして、収穫までには時間がかかる。
「問題は、間に合わないことか」
「うん?」
「人が増える方が早いんだよ」
「ああ。そういうこと」
新しい畑が必要なのは間違いない。でも、収穫できるのは先になる。
「今ある畑から、もっと採れたら?」
「それができたらいいけど」
ノエルが少し考えてから、歩き出した。
「でも、畑って同じじゃないよ」
「どういうこと?」
「こっち」
連れていかれたのは、村の反対側にある畑だった。
青々と葉が広がっている。
「ここ、よく育つの。同じ野菜でも、あっちはあんまり育たない」
少し離れた畑を見る。
確かに違う。同じくらいの時期に植えたというのに、葉の大きさも茎の太さも違っていた。
「種は?」
「同じところから分けたって」
「水は?」
「雨は同じくらい。でも、あっちは雨のあと水が残りやすいよ」
「他にもある?」
「あるよ」
何か所か見せてもらった。
夏になるとすぐ乾く畑。毎年よく採れる畑。何年か前から少しずつ収穫が落ちてきた畑。
「ノエル、よく知ってるね」
「だって、畑は見てるから」
前にも聞いた言葉だった。
「やっぱりノエルだなって」
「なにそれ」
最後に連れていかれた畑で、畝の端に黒っぽいものが混ざっているのを見つけた。
「これ、なに?」
「ああ、それ? 古くなった藁とか、家畜の糞とか。しばらく置いといたやつ」
「畑に入れるの?」
「入れる人いるよ。お父さんも使う。育ちやすくなるんだって」
「どうして?」
「知らない。でも、なるよ」
即答だった。
土を少し手に取る。
「すいへー……りーべー……」
意識を深く沈めると、元素視覚の中で土に混じったものが色を持ち始めた。
炭素、酸素、水素。それ以外にも、植物が育つために必要だと知っている元素が見える。
ただ、見えることと植物が使えることは同じじゃない。量も、どんな状態で存在しているのかも、これだけでは分からない。
「ココア?」
「ちょっと考えてた」
「これ、何か分かるの?」
「こういうものを畑に使う方法は知ってる。でも、ここのと同じなのかは分からない」
黒くなった藁を指先で崩す。
土の酸性度、水はけ、有機物、植物が必要とする栄養。考えられることはいくつもある。
一般的な仕組みは知っている。でも、この土地の土に何がどれだけ含まれているのか、何が不足しているのかは知らない。
「だから、お父さんたちがどう使ってるのか教えてほしい」
「調べるの?」
「うん。でも、最初から全部やり直す必要はなさそう」
「どういうこと?」
「ここの人たち、もう知ってることがいっぱいあるから」
ノエルが少しだけ得意そうな顔をした。
「当たり前でしょ。ずっと畑やってるんだから」
「うん。だから教えてもらう」
前の世界で得た知識。ノエルが知っている、この土地のこと。そして、農家の人たちがずっと積み重ねてきた経験。
どれか一つだけで答えを決める必要はない。比べて、確かめて、足りないところを補えばいい。
「それで、もっと採れる?」
「できるかもしれない」
「じゃあ聞こう!」
「うん」
ノエルが走り出した。
「今から!?」
「お父さーん!」
「待って!」
◇
ノエルを追いかけている途中で、鶏の鳴き声がした。
柵の向こうには、前に通った時より明らかに多くの鶏がいる。その横では男が新しい柵を立てていた。
「鶏、増えた?」
「ああ、お嬢様。卵が売れるんでね。もう少し増やそうかと」
「ここも?」
「ここも?」
「畑も増えてた」
「ああ。みんな考えることは同じですな」
男が笑う。
「でも、そんなにすぐ増やせるの?」
「まさか。雛から育てなきゃならんし、餌だって要りますよ」
「やっぱり、そこだよね」
「そこ?」
「ううん。こっちの話」
分かっていたことではある。鶏を増やせば餌や飼う場所、人手が必要になる。畑を増やせば種も人手も必要で、収穫までには時間がかかる。
知識としてなら当たり前のことだ。でも今は、それが全部、この土地で同時に起き始めている。
「足りないもの、増えてきたね」
「今ごろ気づいたの?」
ノエルが戻ってきた。
「そういう意味じゃないよ」
「鶏に餌がいるのは知ってる?」
「知ってるよ!」
「ほんと?」
「知ってる!」
笑われた。
◇
屋敷へ戻る頃には、日が傾き始めていた。
道の向こうから、大きな袋をいくつも積んだ荷車がやってくる。
「また食べ物?」
御者に聞くと、男は笑った。
「食料商からですよ。店へ運ぶ分です」
外から食べ物が入ってくる。その横では新しい畑が増え、鶏を増やそうとしている家もある。
みんな、足りないから自分で動いている。
「来年は、あれよりいっぱい作れたらいいね」
ノエルが荷車を見ながら言った。
「来年?」
「だって畑も鶏も、すぐには増えないもん」
来年。
その言葉で、少しだけ見え方が変わった。今日足りないものを明日だけでどうにかするんじゃない。次の春、その次の収穫まで考える。
ここで暮らす人がもっと増えても、ちゃんと食べられるようにする。
「まず畑?」
「うん。ノエルたちが知ってることと、知ってる仕組みを比べてみる」
「それでいっぱい採れる?」
「それを確かめる」
ノエルが笑った。
「楽しそう」
「そう?」
「うん」
たぶん、そうなんだと思う。
分からないことがある。でも、分かっていることもある。
なら、調べればいい。
◇
屋敷へ戻ると、そのまま叔父様の部屋へ向かった。
「叔父様」
「今度はなんだ」
「畑のこと調べたい」
「またか」
「またってなに?」
「いや。続けろ」
「去年、畑で何をどのくらい作ったか分かる?」
「大まかになら」
「今年は?」
「収穫が終わっていない」
「途中まででいい」
「何に使う?」
「よく採れる畑と、採れない畑を比べたいの。何を作ったか、どのくらい採れたか、水はけ、土、それから畑に何を入れてるか」
「肥やしか?」
「うん」
「それなら農家に聞いた方が早い」
「聞く。でも、数字も欲しい」
叔父様が少し考え、机の端に積まれた紙へ目を向けた。
「全部は残ってないぞ」
「あるだけでいい」
「セバス」
「承知いたしました。明日から集めましょう」
「うん!」
「ただし、ココア様」
「なに?」
「全部の畑を一人で回るおつもりではございませんな?」
「回らないよ」
先生の眉が上がった。
「……ほう」
「前にやったから。ノエルやバルドさん、それに農家の人たちにも聞いてもらう」
「これはこれは」
「なに?」
「いえ。成長されたものだと思いまして」
「先生、今ちょっと馬鹿にした?」
「まさか」
絶対ちょっと馬鹿にした。
前に百四十七枚の畑を調べた時、全部を自分で見る必要はないと分かった。同じ聞き方で、同じように記録してもらえばいい。集まったものを比べれば、何が違うのか見えてくるかもしれない。
「じゃあ、これで――」
「ココア」
叔父様が呼んだ。
「なに?」
「畑もいいが、その前にこっちも見ろ」
別の紙が差し出された。
名前と人数。その横には、見慣れない印がいくつも並んでいる。
「これ、なに?」
「今いる連中と、これから来る予定の連中だ」
「職人さん?」
「職人だけじゃない。家族を呼ぶ奴もいる。商人もいる。このまま住みたいと言ってる奴まで出てきた」
「増えるの?」
「増える」
それはいいことのはずだ。働く人が増える。買う人も増える。作る人も増える。
でも、叔父様の顔はあまり嬉しそうじゃない。
「何か困ってる?」
「住むところがない」
「え?」
「空いていた家は、ほとんど埋まった。宿もいっぱいだ。間借りしてる奴もいる。このまま増えたら、完全に足りなくなる」
「……家?」
「ああ」
「家も足りないの?」
叔父様が大きく息を吐いた。
「足りん」
先生を見る。
「足りないもの、増えてない?」
「領地が大きくなっている証拠とも申せますな」
「増えたら、もっと足りなくなる?」
「おそらく」
叔父様が椅子の背にもたれた。
「だから今、グレタを呼んでる」
「グレタさん?」
「ああ」
その時、廊下の向こうから聞き覚えのある声が響いた。
「今度は何が足りねえんだ!」
叔父様と先生が同時に扉を見る。
足音が近づいてきた。
「……家」
扉の向こうで、足音が止まった。




