第49話 人が来る
「先生。あの人たち、誰?」
水路の工事が始まってから三週間。
屋敷へ戻る道で、工具を積んだ荷車とすれ違った。
荷台には、見覚えのない男たちが四人。服も靴も泥だらけで、大きな木槌や鑿を抱えている。
「石工でございますな」
「石工?」
「グレタ殿のところへ向かわれるのでしょう」
振り返っているうちに、今度は反対側から木材を積んだ荷車が来た。
その後ろを、荷物を背負った男たちが歩いている。
「……あの人たちも?」
「さて。わたくしが聞いている予定にはございませんでしたが」
セバス先生が眼鏡を押し上げた。
その答えは、工事現場へ着くとすぐに分かった。
「そこに置くな! 石は向こうだ! 木材は印を付けた場所へ運べ!」
遠くからでも、グレタさんの声が聞こえる。
三週間前とは、景色そのものが違っていた。
畑の手前を横切って水路が延びている。
試験区間には石が積まれ、モルタルで固定されていた。その一部では、少量の水を実際に流して様子を見ている。
少し離れた場所では、石灰を焼くために使う窯から煙が上がっていた。
そして何より。
人が多い。
土を掘る人。
石を削る人。
運ぶ人。
高さを測る人。
知らない顔があちこちを行き交い、槌の音と怒鳴り声が絶えない。
「グレタさん!」
「なんだ!」
「忙しい?」
「見りゃ分かるだろ!」
怒られた。
「誰のせいだと思ってんだ!」
「グレタさんが忙しくなるって言った」
「言ったよ! ここまでとは言ってねえ!」
グレタさんの後ろを、さっき見た石工たちが通っていく。
「グレタさん、これどこだ?」
「三番の資材置き場!」
「三番ってどこだ?」
「誰か案内してやれ!」
「俺も昨日来たばっかりだ!」
「じゃあ一昨日来た奴を探せ!」
……おかしい。
「グレタさん」
「今度はなんだ!」
「何人呼んだの?」
「最初に俺が呼んだのは十二人だ」
周りを見回す。
どう数えても、十二人どころじゃない。
「じゃあ、あの人たちは?」
「十二人が連れてきた」
「連れてきた?」
「仕事があるって聞いて、知り合いの石工や大工が来た。そいつらから聞いた奴も来た。今朝だけで五人、雇ってくれって来てる」
「全員雇ったの?」
「使える奴だけな」
「使えなかった人は?」
「他を探してる」
「他?」
グレタさんが周囲を顎で示した。
「石を運ぶ奴がいる。木を運ぶ奴がいる。飯を作る奴がいる。道具を直す奴も要る。俺のところで雇わなくても、仕事なら増えてる」
石を削る音が響く。
その横を、荷車が通っていく。
「仕事のあるところには、人が来る」
「誰かが呼ばなくても?」
「誰かから聞いてな」
「その人が、また誰かに話す?」
「そういうことだ」
なんだか。
ノエルに調査を任せた時と少し似ている。
一人に渡したものが、次の人へ渡っていく。
でも今度は、調査の方法じゃない。
仕事だ。
「で、ぼさっとしてるなら退いてくれ。そこ、石が通るぞ」
「はい」
慌てて道を空けた。
すぐ横を、白い石を積んだ荷車が通っていった。
◇
グレタさんの言ったことは、その日のうちに分かった。
マーサさんの宿へ行くと、入口からもう騒がしい。
食堂は昼前だというのに、ほとんど席が埋まっていた。
見たことのない男たちがパンと煮込みを食べ、壁際には旅荷物が積まれている。
カウンターでは、二人の男がマーサさんと話していた。
「悪いね。今日はもういっぱいだよ」
「明日は?」
「明日もいっぱい」
「明後日は?」
「そこまで泊まるなら、そろそろ家を探した方がいいんじゃないかい?」
二人が顔を見合わせた。
「家なんて借りられるのか?」
「空いてるところは減ってるけどね。昨日も一軒決まったよ」
「参ったな。まだ仕事は二か月あるぞ」
「だったら早く探した方がいいねえ」
マーサさんは笑いながら、厨房から運ばれてきた皿を受け取った。
運んできた女の人にも、見覚えがない。
「マーサさん」
「ん?」
「あの人は?」
「手伝ってもらってるんだよ。私一人じゃ回らなくなっちゃってね」
「いつから?」
「五日前から」
「どうして?」
「どうしてって」
マーサさんが食堂を見回した。
「これだけ来れば、一人じゃ無理だよ」
グレタさんの言った通りだった。
仕事が増えて、人が来た。
人が来たから、マーサさんの仕事まで増えた。
その仕事をするために、また一人増えた。
「先生」
「はい」
「本当に街って、こうやって大きくなるんだね」
「まだ街と呼ぶには、少々気が早いかと」
「じゃあ、いつから街?」
「さて。それを決めるのはココア様ではなく、ここで暮らす方々かもしれませんな」
「そっか」
もう一度、食堂を見る。
知らない人ばかりなのに、不思議と嫌な感じはしなかった。
その時。
外から怒鳴り声が聞こえた。
「だから、そっちが下がれって言ってんだろ!」
「こっちは荷物積んでんだぞ!」
窓から見ると、二台の荷車が狭い道で向かい合っていた。
どちらも譲らない。
その後ろには、別の荷車まで止まり始めている。
ヒルダが小さく息を吐いた。
「少々お待ちください」
外へ出ていく。
「道の中央で何をしているのですか」
「いや、こいつが――」
「荷車を端へ」
「でもよ」
「端へ」
「……はい」
二人とも動いた。
早い。
「先に入った方が荷を下ろしてください。その間に、もう一台を通せば済む話でしょう」
「はい……」
「すみません」
終わった。
戻ってきたヒルダを見上げる。
「何したの?」
「お話をしただけでございます」
「二人とも急に素直になったけど」
「話の分かる方々で助かりました」
たぶん、それだけじゃない。
食事を終えて外へ出ると、グレタさんが向こうから歩いてきた。
「ヒルダ」
「はい?」
「聞いたぞ」
「何をでしょうか」
「荷車」
「……もう伝わったのでございますか?」
「詰まってたのを片づけたんだろ」
「お話をしただけでございます」
「ちょうどいい。明日から朝の荷車も見てくれ」
「なぜですか」
「今日、一発で片づけただろ」
「わたくしは交通整理係ではございません」
「知ってる」
「でしたら――」
「護衛だろ?」
「はい」
「お嬢様が歩く道が荷車で塞がってたら危ないだろ」
「…………」
ヒルダが黙った。
グレタさんが笑う。
「決まりだな」
「決まっておりません」
「明日の朝な」
「グレタさん」
そのまま歩いていってしまった。
ヒルダがこちらを見る。
「ココア様」
「なに?」
「笑っておられますね?」
「笑ってないよ」
「左様でございますか」
笑ってた。
◇
夕方。
叔父様の部屋へ呼ばれた。
机の上には、領地の地図が広げられている。
「ここからここまでは空ける」
叔父様が地図に線を引いた。
「人が増えるのは構わん。だが、好き勝手に家を建てられたら、あとで道も通せなくなる」
「だったら、こっちは使わせろ」
グレタさんが別の場所を指す。
「資材を運ぶ道が要る。ここを家で塞がれたら困る」
「全部は駄目だ。住む場所がなくなる」
「職人が通れなきゃ、その家も建たねえよ」
二人が地図を挟んで言い合っている。
今までなら、水路をどこへ通すか。
石をどこから運ぶか。
そんな話だった。
今日は違う。
人がどこに住むか。
道をどこへ通すか。
これから増える家を、どこに建てるか。
工事の話だったはずなのに。
いつの間にか、人が暮らす場所の話になっている。
「ヒルダ」
「はい」
「今日みたいなの、よくあるの?」
「ここ数日、少々増えております」
「少々?」
「本日は四件ほど」
「四件も?」
「まだ、お話で済んでおります」
「済まなくなることもある?」
「…………」
「ヒルダ?」
「ココア様がお気になさることではございません」
あるらしい。
「だからヒルダを借りたいんだよ」
地図を見たままグレタさんが言った。
「お貸しするものではございません」
「でも使える」
「人を道具のように仰らないでください」
「褒めてんだぞ」
「伝わりません」
「先生」
「はい」
「やっぱり仲良しだと思う」
「わたくしも同意見でございます」
「聞こえております」
ヒルダに怒られた。
「ココア様」
今度はセバス先生が、三枚の紙を机の上へ置いた。
「なに?」
「明日、お時間をいただけますかな」
「いいけど。何するの?」
「こちらの方々とお会いいただきます」
三枚とも知らない名前だった。
「誰?」
「商人でございます」
「商人?」
「ええ。この土地で商売をしたい、と」
グレタさんの言葉を思い出す。
仕事のあるところには、人が来る。
人が来れば、食べる。
泊まる。
暮らす。
必要なものが増える。
「何を売る人?」
「一人は食料品。一人は工具や日用品。そして、もう一人は――」
セバス先生が眼鏡を押し上げた。
「ここに店を構えたいそうでございます」
「店?」
「左様でございます」
窓の外へ目を向ける。
日が落ち始めた村には、以前よりたくさんの灯りがともっていた。
三週間前にはなかった灯り。
その一つ一つに、人がいる。
ここで働いて。
食べて。
眠っている。
そして明日は。
ここで商売をしたい人が来る。
「先生」
「はい」
「グレタさん、本当に忙しくなったね」
「ココア様」
「なに?」
セバス先生が、机の上の三枚をこちらへ押した。
「おそらく、忙しくなるのはグレタ殿だけではございませんぞ」




