第48話 忙しくなるぞ
翌朝、水路予定地へ着くなり、グレタの声が飛んできた。
「遅いぞ、お嬢様!」
グレタの隣には、ブーツを履いたヒルダがいた。
その足元には、昨日までなかった石積みができている。
「……ヒルダ?」
「何も仰らないでくださいませ」
「まだ何も言ってないよ?」
「お顔に出ております」
「石、積んだの?」
「積まされました」
「教えただけだ」
グレタが悪びれもせず言う。
「護衛に石積みを教える必要がどこにあるのでしょうか」
「現場じゃ何があるか分からん」
「それは護衛であるわたくしの台詞です」
やっぱり仲良しだと思う。
言ったら怒られそうなので、抱えていた箱を持ち直した。
「それで?」
グレタの視線が箱へ落ちる。
「昨日言ってたやつは?」
「持ってきた」
箱の中には、配合を変えた試験片。
それと、細かく砕いた焼成粘土が入っている。
昨日、陶器を作っている職人から粘土を分けてもらい、窯で焼いてもらった。
前の世界では、焼いた粘土のような材料を石灰と組み合わせ、水に強いモルタルを作る方法があった。
でも、この土地の粘土でも同じように使えるとは限らない。
粘土の種類。
焼き方。
細かさ。
混ぜる割合。
条件を変えて、石灰と砂だけのものとも比べる。
「これを水に入れるのか?」
「うん。乾かすものと、水に浸けるものと、水を流し続けるものに分ける」
「何日だ?」
「まず何日か。そのあとも試験は続ける」
「面倒だな」
「何年も使う水路にするなら、数日を惜しまない」
「それはそうだ」
グレタがあっさり頷いた。
硬くなっただけでは足りない。
濡れて崩れないか。
石から剥がれないか。
ひびが入らないか。
流れる水で削られないか。
確かめることは、いくらでもある。
試験片を置き終えると、グレタが一枚の紙を差し出した。
「そっちは待つ。こっちは待たんぞ」
「こっち?」
開いた紙には、昨日まで測っていた数字が並んでいた。
土地の高さ。
普段の水量。
雨が多い時の水量。
土の状態。
古い川筋。
そして、水を逃がせそうな場所。
「測り終わったの?」
「だから呼んだ」
地図を広げ、塩の被害が出ている畑と古い川筋、土地の高低を重ねていく。
畑まで来た水を抜くだけでは、同じことを繰り返す。
その前で捕まえる。
「ここ」
畑へ向かう地下水を遮るように線を引く。
「この辺りから水を――」
「真っ直ぐは無理だ」
「え?」
太い指が、途中で線を止めた。
「ここは掘れば崩れる。こっちは雨の時に水が集まる。そんなところへ細い溝を通したら、一回の大雨で終わりだ」
グレタが別の線を引く。
「少し回す」
「長くなるよ?」
「長くても残る方がいい」
出口も変わった。
考えていた場所よりさらに低いところまで水を運び、雨の時にも溢れにくい経路を取る。
「水は消えない。ここから出して、別の畑へ入ったら意味がないからな」
「うん」
線を引き直す。
数字から水の動きを考えることはできる。
でも、どこが崩れやすいのか。
どう掘れば長く使えるのか。
石をどう積めば耐えられるのか。
それは知らない。
知っているのが、グレタだ。
「これなら?」
「現場を見る」
「まだ駄目?」
「紙の上じゃ水は流れん」
厳しい。
でも、その通りだった。
◇
「ここからですか?」
ノエルが地面に打たれた杭を見た。
「ここから」
「向こうまで?」
「向こうまで」
「長っ」
杭と杭の間には縄が張られ、その先にも、そのまた先にも杭が続いている。
畑の手前を横切って伸びる、昨日までは存在しなかった一本の線だ。
「ノエル、土魔法使える?」
「使えるけど」
「全部掘らなくていいからね」
「なんで?」
「そこは俺が決める」
グレタが割って入った。
「嬢ちゃんは、言ったところだけ土を緩めてくれ。崩れやすいところまで勝手に動かすなよ」
「分かった」
ノエルが素直に頷く。
その後ろにはヨハンとバルドさん。
何人もの農家。
叔父様が手配した作業員に、グレタが連れてきた職人までいる。
思っていたより多い。
「じゃあ始めるぞ!」
グレタの声が飛んだ。
ノエルの土魔法で、指定された場所の土が緩む。
そこへ人が入る。
鍬が振り下ろされ、掘り出した土が運ばれる。
その先では高さを測り、杭を直し、別の場所では石が運び込まれていた。
地図の上に引いた一本の線が、少しずつ本物の溝へ変わっていく。
面白い。
数字だったものが、目の前で形になっていく。
「グレタさん、ここの高さ――」
「お嬢様、走らないでくださいませ!」
「でも――」
「転びます!」
「グレタさん!」
「走らせるな!」
「わたくしに仰らないでください!」
「護衛だろ!」
「あなたが走らせているのでしょう!」
あちこちから声が飛ぶ。
忙しい。
でも、楽しかった。
◇
数日後。
最初の試験片を確認した。
乾いた場所に置いたもの。
水に浸けたもの。
少量の水を流し続けたもの。
違いは、もう出ていた。
石灰と砂だけの試験片は、水に晒したものほど表面が弱くなっている。
一方。
焼成粘土を加えた試験片の中には、水に浸けたものも、流し続けたものも形を保っている配合があった。
「こいつか?」
「うん」
グレタが爪で削る。
次に、道具の先で叩く。
接着させた二つの石を持ち上げ、捻った。
「剥がれんな」
「うん」
「じゃあ、使えるのか?」
試験片を見る。
数日だけで、何年先まで大丈夫だとは言えない。
水量が変われば。
冬になれば。
凍れば。
長い間、流れ続ければ。
まだ分からないことはいくらでもある。
でも。
今決めたいのは、永久に壊れないかじゃない。
次の試験へ進めるかどうかだ。
「これで、実際の水路を少し造ってみる」
「よし」
「短いところだけだよ?」
「分かってる」
「長い試験も続けるよ?」
「それも分かってる」
「壊れたら直すよ?」
「お嬢様」
「なに?」
「使って壊れたら、直すのが俺の仕事だ」
言葉が止まった。
グレタが試験片を地面へ戻す。
「使えるようにするのがお嬢様。使うのが俺だ」
「……うん」
研究帳を開いた。
『焼成粘土+石灰』
その下に。
『水路――実地試験へ』
丸で囲んだ。
◇
「ココア様」
「なに?」
それまで黙って試験片を見ていたヒルダが口を開いた。
「これは、水路にしか使えないのでしょうか」
「え?」
「石と石を固定するものなのでしょう?」
「うん」
「でしたら、井戸にも使えるのではございませんか?」
「井戸?」
「石組みの井戸です。古くなれば、石がずれることがございます」
グレタがヒルダを見る。
「あるな」
「それから、橋も」
「橋?」
「石を使っているところがございます。壁や石垣にも」
グレタの眉が上がった。
「……ヒルダ」
「はい?」
「お前、現場向きだな」
「わたくしは護衛です」
「それは知ってる」
「でしたら――」
「北の井戸」
グレタが遮った。
「石組みがずれてる」
「補修できるかもしれない」
「ここの橋脚も古い」
「石の状態を見てみたい」
「西の石垣は、雨が降るたび一部が崩れる」
「そこも」
ヒルダが何とも言えない顔で、こちらを見る。
「ココア様」
「なに?」
「なぜ、わたくしまでこちら側になっているのでしょうか」
「向いてるんだって」
「護衛に、でございます」
「護衛にも」
「にも?」
グレタが笑った。
「諦めろ、ヒルダ」
「なぜグレタさんが決めるのでしょうか」
でも。
ヒルダが気づいた可能性を、グレタはもう現場の仕事へ変え始めている。
「それだけじゃない」
グレタの指が地図の上を動いた。
「ここ。雨が降るたび道の脇が削られる」
「道?」
「ああ。水を逃がす溝を石で造れるなら、毎回土を盛り直さなくて済むかもしれん」
「……使える」
「だろ?」
水路を造るために調べ始めた白い石。
焼いて。
水を加えて。
砂と混ぜて。
さらに、焼いた粘土を加えた。
まだ何にでも使えるわけじゃない。
長く使えば、別の問題も出てくるかもしれない。
それでも。
一つの材料が、今まで別々だった問題を繋ぎ始めている。
「お嬢様」
「なに?」
「これ、本当に使えるようになるんだな?」
「うん。でも、場所によって配合は変えるかもしれない」
「分かった」
「水に触れるところと、触れないところでも違うよ」
「それも分かった」
「何にでも使えるわけじゃないよ?」
「だから」
グレタが笑った。
「使えるところで使うんだろ?」
一瞬、言葉が止まった。
「……うん」
全部を自分で決める必要なんてない。
材料の性質を調べる。
使える条件を確かめる。
そこから先は、その場所を知っている人が考えればいい。
「方法は見えてきた」
「そうか」
グレタの口元が上がった。
「じゃあ、忙しくなるぞ!」
「え?」
「石を掘って、運んで、焼く。モルタルを作って、水路を造る」
「うん!」
「井戸も見る。橋も直す。石垣もある」
「うん!」
「塩を作る量も増えた。保管場所も足りなくなるって話だ」
「……倉庫?」
「そういうことだ」
「うん!」
「そうなりゃ窯も足りなくなる。職人も足りん。人夫も要るぞ」
「呼ぶ!」
「雇う!」
「うん!」
「金もかかる!」
「…………」
叔父様を見る。
「俺を見るな」
セバス先生が眼鏡を押し上げた。
「石を焼くにも、窯を増やすにも、人を雇うにも金が必要でございます。それに、人を呼べば食事も寝床も必要になりますぞ」
「……うん」
「材料を運ぶ荷車も増えましょうな。荷車が増えれば――」
「道?」
「左様でございます」
水路を一本造ろうとしていただけなのに。
水路を造るには、石がいる。
石を使うには、窯がいる。
窯を増やせば、人がいる。
人が増えれば、寝る場所も食べるものもいる。
石を運ぶ。
石灰を運ぶ。
木を運ぶ。
食べ物を運ぶ。
そのためには、道がいる。
一つ作ろうとすると、その隣に必要なものが現れる。
それが、また次へ繋がっていく。
「まず水路だ!」
グレタが地図を叩いた。
「うん!」
工事中の溝は、まだ途中だった。
水も流れていない。
新しい窯も、倉庫もない。
道だって、雨が降れば荷車の車輪が沈むところがある。
まだ、何もできていない。
それなのに。
その先を、早く見たくなった。
「グレタさん」
「なんだ?」
「本当に忙しくなる?」
グレタは工事中の水路を見渡して笑った。
「こんなもんじゃ済まんぞ、お嬢様」




