第44話 繋がる瞬間
「ココア様。塩が黒字になりました」
「研究費は?」
「まずそこですか」
朝食の席。
セバスが帳簿を開いてから。
まだ十秒も経っていなかった。
「大事だよ?」
「領地の収入でございます」
「私が見つけた」
「領地で採れました」
「精製方法も考えた」
「領民が作りました」
「…………」
ココアは黙った。
強い。
今日の先生は強い。
向かいに座るヒルダが。
静かに紅茶を飲んでいる。
助けてくれる気は。
ないらしい。
「でも。黒字なんだよね?」
「はい」
セバスが。
帳簿をココアの方へ向けた。
三か月前。
畑を駄目にしていた地下水から。
見つかった塩。
あれから。
食用にできるものと。
そうでないものを分けた。
精製方法を決め。
工程を記録し。
同じ品質になるよう。
手順を揃えた。
最初は。
少量。
領内で使う分から始めた。
まだ。
外へ大量に売れるほどではない。
それでも。
これまで外から買っていた塩の一部を。
領内で作れるようになった。
出ていくお金が減った。
そして。
僅かだが。
利益も出た。
「ちゃんと作れてるんだ」
「ご自身で始められたのでしょう」
「今、魔法で忙しいから」
「事業とは。始めた者が別のことに夢中になったからと消えるものではございません」
「夢中にはなってるけど。飽きてないよ」
「では?」
「任せてる」
セバスの手が。
止まった。
ココアは。
帳簿を見る。
「作り方は決めた」
「作る人も覚えた」
「毎回私が見なくても。同じものを作れるようにした」
「…………」
「だったら。私がずっとやるより」
「できる人に任せた方がいいでしょ?」
セバスが。
眼鏡を直した。
「言うようになりましたな」
「六歳だから」
「三か月前も六歳でございましたが」
「成長期だから」
ヒルダが。
紅茶を置いた。
少しだけ。
肩が揺れている。
「ヒルダ」
「はい」
「今、笑った?」
「成長を喜んでおります」
「絶対違う」
セバスが。
帳簿を閉じた。
「なお。利益の一部は研究費として計上しております」
「先生好き」
「現金でございますな」
◇
黒字になった塩を。
その日の午後。
ココアは。
水へ入れた。
「…………」
セバスが。
無言で見ている。
「なに?」
「いえ」
「言って」
「せっかく利益を出した塩を。早速研究で消費されるのだなと」
「ちょっとだけだよ!」
「存じております」
「研究用は別に作ってあるし」
「それも存じております」
「じゃあいいでしょ」
「何も申しておりませんが」
言っている。
顔が。
ココアは。
小さな器を机へ置いた。
昨日。
《繋ぐ》ことはできなかった。
何と何が繋がっているのか。
どこで繋がっているのか。
元素視覚なら。
見える。
結合を《切る》こともできる。
《弾く》ことも。
その方向まで。
選べると分かった。
でも。
繋げられなかった。
だから今日は。
別のことをする。
「先生」
「はい」
「押し付けてみる」
「……何をでございますか?」
「元素」
セバスが。
数秒。
黙った。
「随分と力業になりましたな」
「私もそう思う」
「思っておられましたか」
「でも。やってないから」
昨日。
左右へ《弾く》ことができた。
なら。
片方を右へ。
もう片方を左へ。
互いの方向へ弾けば。
「ぶつかりますな」
「うん」
「それで繋がると?」
「たぶん繋がらない」
「…………」
「先生。その顔やめて」
「結果をご存じなのに。なぜなさるのかと思いまして」
「普通なら、ね」
ココアは。
自分の指を見る。
「でも。《切る》だって普通じゃない」
本来。
結合は。
指を向けて。
切れ。
そう思っただけで。
切れるものではない。
必要な条件がある。
必要なエネルギーがある。
それを。
ココアの力は。
無視しているように見える。
なら。
《弾く》で。
普通ではあり得ない干渉をした時。
何かが起きる可能性はある。
「やって駄目だったのと」
「やらないで駄目だと思ってるのは違う」
「……なるほど」
「だからやる」
「ココア様らしいですな」
「褒めた?」
「半分ほど」
◇
危険な組み合わせは。
使わない。
反応しやすいものも。
避ける。
目的は。
新しい物質を作ることではない。
《弾く》だけで。
何か新しい繋がりが生まれるのか。
それを見る。
「すいへー……りーべー……」
視界が。
切り替わる。
机も。
器も。
水も。
ただの物ではなくなる。
青く浮かぶ元素。
それらの間にある。
白から淡い青の繋がり。
同じように見えても。
全部が同じではない。
ココアは。
その中から。
安全に試せるものだけを選んだ。
「右」
パチッ。
一方を弾く。
「左」
パチッ。
もう一方を。
互いの方向へ。
近づく。
さらに。
「もう少し」
互いへ向けて。
弾く。
「…………」
何も。
生まれない。
新しい線は。
現れない。
やがて。
離れた。
「くっつかない」
「押し付けただけでございますからな」
「先生。今それ言う?」
「結果を申し上げただけですが」
「知ってたもん」
「では。なぜなさったので?」
「私の力なら違うかもしれないから!」
「なるほど」
セバスが。
頷いた。
「やはり力業でございましたな」
「…………」
ヒルダが。
顔を背けた。
「ヒルダ」
「はい」
「笑った?」
「いいえ」
「今日は二人とも敵」
「心外でございます」
ココアは。
頬を膨らませながら。
研究帳へ書いた。
『押し付ける――×』
少し考えて。
『距離だけでは繋がらない』
これは。
知っていた。
前世の知識でも。
当然のこと。
けれど。
自分の力を使っても。
同じだった。
それが。
今日。
分かった。
「じゃあ」
ココアは。
顔を上げる。
「どうやったら繋がる?」
「それをお調べになるのでは?」
「うん」
そして。
気づいた。
「あ」
「どうされました?」
「私が繋がなくてもいい」
「はい?」
「繋がるところを見ればいい」
◇
物質は。
今、この瞬間にも。
変化している。
燃える。
錆びる。
固まる。
溶ける。
結晶になる。
結合が切れることもある。
新しくできることもある。
配置が変わることもある。
昨日。
ココアは。
いきなり自分で繋ごうとした。
でも。
その前に。
自然に変化する瞬間を。
きちんと見たことがあるだろうか。
「これ」
ココアが持ち上げたのは。
さっき。
黒字になったと言われたばかりの。
塩。
「また塩でございますか」
「便利なの」
「畑を直し。食卓へ上がり。利益を出し。今度は研究材料ですか」
「優秀でしょ?」
「塩を褒める日が来るとは思いませんでしたな」
ココアは笑いながら。
小さな塩の結晶を見る。
「すいへー……りーべー……」
深く。
見る。
ナトリウム。
塩素。
正確には。
水のように。
一つの分子になっているわけではない。
正と負。
互いに引き合うものが。
規則正しく。
繰り返し。
並んでいる。
人の目には。
ただの白い粒。
でも。
ココアには。
その並びまで。
見えている。
「……きれい」
「塩が、でございますか?」
「うん」
規則正しい。
無数に。
並んでいる。
ココアは。
その塩を。
水へ入れた。
ゆっくりと。
結晶が崩れていく。
「あ」
一つの塊だったものが。
ほどけていく。
ナトリウム。
塩化物。
それぞれが。
水に囲まれていく。
結晶だった時の。
規則正しい並びが。
消えていく。
「……ほどけた」
「溶けましたな」
「先生にはね」
「ココア様にも。溶けているのでは?」
「もっと見えてるの」
「それは失礼いたしました」
ココアは。
研究帳へ記録する。
『結晶』
↓
『水中で分かれる』
ここまでは。
知っている。
見たいのは。
逆。
「これを戻す」
◇
時間をかけ。
安全に。
少しずつ。
水を減らしていく。
すぐには。
起きない。
だから。
ココアは。
別の記録を整理しながら。
待った。
ヒルダがお茶を持ってくる。
セバスも。
仕事を始める。
そして。
「…………!」
変わった。
「ヒルダ」
「はい?」
「先生!」
「今度は何でございますか?」
「来た!」
二人が。
机へ寄る。
もちろん。
二人には。
まだ。
ほとんど何も見えない。
でも。
ココアには。
見えていた。
水の中に散っていたものが。
条件が変わるにつれて。
少しずつ。
規則正しい位置へ集まり始める。
一つ。
また一つ。
そして。
その隣へ。
さらに。
一つ。
「……」
ココアが。
息を止めた。
小さな核。
そこへ。
次々と。
規則正しく加わっていく。
「繋がってる……」
呟いて。
すぐに。
眉を寄せた。
「……違う」
「何がでございますか?」
「昨日のと違う」
「昨日?」
「水」
水を作ろうとした時。
足りなかったもの。
水素と酸素の間に。
必要だった結合。
今。
目の前で。
塩の結晶が育つ時に見えているもの。
似ている。
でも。
同じではない。
「……見え方が違う」
ココアが。
さらに顔を近づける。
「ココア様」
「分かってる」
少しだけ。
離れる。
それでも。
視線は。
結晶から外さない。
「水の中の結合と」
「はい」
「塩の結晶の繋がり」
「はい」
「同じ線じゃない」
ココアの声が。
少し弾んだ。
前世では。
知識として知っていた。
共有結合。
イオン結合。
金属結合。
分子間の相互作用。
物質を成り立たせる。
さまざまな繋がり。
でも。
今まで。
元素視覚の中で。
その違いを。
意識して見ていなかった。
「……そっか」
「何か分かられたので?」
「うん」
「何でしょう」
「結合って」
ココアは。
結晶を見る。
「一種類じゃない」
「……左様でございますか」
「知ってたよ?」
「では、なぜそのようなお顔を?」
「知ってるのと」
ココアは。
結晶を指す。
「見えるのは違うから」
セバスが。
少し黙った。
「なるほど」
ココアは。
研究帳を開く。
『結合・相互作用には種類がある』
『元素視覚で違いを識別できる』
その下へ。
『なら、魔法の途中に見えるものは?』
ペンが。
止まる。
魔法にも。
あの色がある。
しかも。
水になる直前。
何かが。
変わっていた。
「……」
また。
調べたいものが。
増えた。
◇
「ココア様」
「なに?」
「以前から気になっていたのですが」
セバスが。
器の中を見る。
「その『結合』とは。何なのでございますか?」
「あ」
そうだった。
ココアには。
当たり前すぎて。
きちんと説明していなかった。
「先生」
「はい」
「塩って。何で塩なの?」
「……随分と哲学的な質問でございますな」
「違うよ」
ココアは。
笑った。
「塩には。塩を作ってるものがあるの」
「はい」
「それが。決まった並び方をしてるから。塩になる」
「ふむ」
「水もそう」
ココアは。
器の水を指す。
「水素と酸素が。決まった繋がり方をしてる」
次に。
机。
「机も」
壁。
「壁も」
白い塩。
「塩も」
研究帳。
「これも」
「すべて、でございますか?」
「うん」
ココアは。
指を二本立てる。
「何でできてるか」
指を。
近づける。
「どう繋がってるか」
少し。
形を変える。
「どう並んでるか」
「それによって」
セバスが。
続きを促す。
「別のものになる」
「……なるほど」
「その、小さいもの同士の繋がりを」
ココアは。
少し考える。
「まとめて。結合って呼んでた」
「まとめて?」
「本当は。いろんな種類がある」
「そして」
セバスが。
ココアを見る。
「それが。ココア様には見える?」
「見える」
「切れる?」
「切れる」
「弾ける?」
「弾ける」
「昨日。方向まで指定できるようになられましたな」
「…………」
セバスが。
眼鏡を外した。
布で拭く。
かけ直す。
「先生?」
「いえ」
「なに?」
「改めて聞くと」
一拍。
「とんでもないものが見えておりますな」
「そう?」
「そうでございます」
ココアは。
部屋を見回した。
机。
壁。
水。
塩。
そこにある。
元素。
そして。
無数の繋がり。
「でも。見えるだけ――」
「切っておられますが」
「…………」
「弾いてもおられます」
「…………」
「方向まで」
「もういいよ!」
ヒルダが。
笑った。
今度は。
隠さなかった。
「ヒルダまで!」
「申し訳ございません」
絶対に。
思っていない。
セバスは。
もう一度。
器の中を見る。
「では。ココア様」
「なに?」
「その結合とやらを」
「すべて切れば。どうなるのです?」
ココアは。
少し考えた。
「ものによるけど」
「うん」
「元のものではなくなる」
「…………」
「先生?」
「危険ですな」
「やらないよ?」
「お願いいたします」
「私だって。危ないことは――」
「水素と酸素を用意しようとなさったのは。昨日でございましたな」
「やめたよ!」
「ええ。直前で」
「ちゃんと危ないって分かってたから!」
「ですので」
セバスは。
淡々と言った。
「今後も。何か試される際には」
「わたくしか。ヒルダをお呼びください」
「止めるため?」
「止めるためです」
「手伝うためじゃなくて?」
「必要であれば。手伝います」
「じゃあ。半分手伝うため?」
「九割ほど。止めるためです」
「増えた!」
ヒルダが。
頷いた。
「私も。そのくらいかと」
「二人ともひどい!」
けれど。
ココアは。
少しだけ笑った。
一人でできるから。
一人でやる。
それが。
正しいわけではない。
最近。
少しずつ。
分かってきた。
◇
ココアは。
もう一度。
結晶を見る。
ばらばらだったものが。
条件が変わることで。
規則正しく並んでいく。
昨日。
自分は。
ただ近づけようとした。
押し付けようとした。
でも。
それだけでは。
何も起きなかった。
今日。
世界は。
条件が整えば。
自分で。
形を作っている。
ココアは。
研究帳へ書いた。
『近づけるだけ――×』
『条件が揃う――変化する』
『自然に構造ができる』
そして。
手が止まる。
「……条件」
昨日。
水魔法を調べた。
ヒルダは。
水を出すために必要な工程を。
一つ一つ考えていなかった。
水を出したい。
ただ。
それだけ。
なのに。
水が現れる。
今日の塩は。
違う。
水を減らす。
濃さが変わる。
状態が変わる。
条件が整う。
その結果。
結晶になる。
「魔法って……」
昨日のページを開く。
『人の意思』
↓
『?』
↓
『現象』
真ん中。
まだ。
何も分からない場所。
その横へ。
ココアは書いた。
『必要な条件を作っている?』
最後に。
疑問符。
答えではない。
証拠もない。
でも。
一つ。
調べることが増えた。
◇
「ココア様」
「なに?」
「そろそろ。お休みになられては?」
「もう一個だけ」
「先ほども。聞いた気がいたします」
「今度は本当に一個」
ココアは。
でき始めた。
小さな結晶を見る。
自分で。
ゼロから新しい結合を作ることは。
できなかった。
押し付けても。
駄目だった。
でも。
今。
目の前では。
自然に。
構造が育っている。
なら。
もう。
できる寸前まで。
条件が整っている場所なら。
ほんの少しだけ。
干渉できないだろうか。
「すいへー……りーべー……」
見る。
位置。
並び。
次に加わろうとしているもの。
全部。
見えている。
「……ここ」
ココアは。
指を伸ばす。
切らない。
弾かない。
ただ。
次に。
そこへ加わるはずのものを見る。
その場所を。
意識する。
「…………」
何も。
起きない。
そして。
少しして。
一本。
新しい繋がりが。
見えた。
「……!」
「ココア様?」
ヒルダが。
覗き込む。
ココアは。
答えない。
今のは。
自分がやった?
それとも。
自然に。
そうなった?
「もう一回」
次。
加わろうとしているところを見る。
指を向ける。
待つ。
やがて。
また。
新しい繋がりが。
現れた。
「……」
でも。
自分がやった証拠は。
ない。
そもそも。
結晶化は。
すでに進んでいる。
何もしなくても。
同じことは。
起きる。
「ココア様?」
「分かんない」
「何がでございますか?」
「私がやったのか」
「うん」
「勝手にそうなったのか」
「では。成功でございますか?」
「まだ言えない」
即答した。
ヒルダが。
少し笑う。
「ココア様らしいお答えでございますね」
「だって。分かんないもん」
できたことにした方が。
嬉しい。
でも。
それでは。
研究じゃない。
ココアは。
研究帳へ書いた。
『繋ぐ――できない』
その下へ。
『繋がる瞬間――見える』
さらに。
『干渉できた?――未確認』
最後に。
『対照実験』
大きく。
丸で囲む。
「次は」
ココアが呟く。
「私が何もしない方と」
「はい」
「やる方を。比べる」
「それで分かるのでございますか?」
「一回じゃ分からない」
「では?」
「何回もやる」
「……左様でございますか」
「同じ条件で」
「はい」
「私が触る方だけ。変わるなら」
ココアの目が。
少し輝く。
「私がやったって言えるかもしれない」
「かもしれない、でございますか」
「うん」
昨日とは。
違う。
できなかった。
それだけではない。
今日は。
世界の中で。
物質が。
新しい形を作る瞬間を見た。
そして。
自分が。
そこへ触れられるかもしれない。
まだ。
証拠はない。
だから。
面白い。
ココアは。
研究帳を閉じかけて。
止まった。
「先生」
「はい」
「明日も予定。空いてる?」
「空いておりません」
「空けて」
「嫌でございます」
「じゃあ今」
「もっと嫌でございます」
「まだ何も言ってないよ」
「お顔を見れば分かります」
「先生」
「駄目です」
「火」
セバスの手が。
止まった。
「…………」
「先生。火属性だよね?」
「左様でございますが」
ココアは。
研究帳を。
開き直した。
水は見た。
土も。
風も。
火も。
共通する。
あの。
まだ名前のない色も。
けれど。
火だけは。
ずっと。
引っかかっている。
三年前。
兄の火球を。
消した。
あの日。
魔力がないはずの自分は。
いったい。
何に。
触れたのか。
ココアは。
ペンを握った。
「先生の火魔法」
にっこり笑う。
「今度は」
「最初から最後まで」
「全部見せて」




