第43話 魔法を再現する
「先生。魔法、作ってみたい」
朝食を終えた直後。
ココアがそう言うと、セバスの手が止まった。
「……魔法を?」
「うん」
「ココア様が?」
「うん」
「魔力は?」
「ない」
「でしょうな」
話が終わった。
「終わってないよ!」
「安心いたしました。始まってもいなかったようですので」
「今から始めるの!」
向かいでは、ヒルダが口元を押さえている。
「ヒルダ、笑った?」
「いいえ」
「笑ったよね?」
「それで、ココア様」
逃げた。
「どのようにして魔法をお作りになるのでございますか?」
「分からない」
「…………」
「だから調べる」
ココアは椅子から降りると、用意していた研究帳を抱えた。
「魔法が使えなくても。魔法と同じことは、できるかもしれないから」
◇
部屋を移り。
研究帳を机へ広げる。
最初のページに、ココアは四つ書いた。
『火』
『水』
『土』
『風』
その下に。
『魔法ではない方法で、同じ現象を起こせるか?』
「これを調べたい」
セバスが眼鏡の位置を直した。
「同じ現象、でございますか」
「うん。火は魔法じゃなくても燃える。水も魔法じゃなくてもある。土もあるし、風も吹く」
「確かに」
「だったら。魔法で起きてることを、一個ずつ分ける」
ココアは四つの文字を指でなぞった。
「同じことを別の方法でできたら。魔法じゃない部分と、魔法にしかない部分を分けられるかもしれない」
昨夜から。
ずっと考えていた。
魔法だから。
その一言で終わらせなければいい。
起きていることを分ける。
観察する。
再現する。
比べる。
違いを探す。
それなら。
研究できる。
「ヒルダ」
「はい」
「水、お願い」
「かしこまりました」
ヒルダが右手を差し出す。
その掌の少し上に。
小さな水球が生まれた。
「すいへー……りーべー……」
ココアの視界が切り替わる。
青く浮かぶ元素。
それらを繋ぐ。
白から淡い青の線。
そして。
昨日から追い始めた。
まだ名前のない色。
ヒルダの内から現れたそれが。
一瞬だけ。
別の状態へ変わる。
その先に。
水。
「そのまま」
「はい」
水球は。
空中に留まっている。
ココアは研究帳に書いた。
『作る』
『浮かせる』
『留める』
「飛ばせる?」
「もちろんでございます」
「ちょっとだけ」
ヒルダが指を動かす。
水球が横へ飛び。
用意した桶へ落ちた。
ぱしゃん。
『放つ』
「四つ」
「四つ?」
「うん」
今までなら。
水魔法。
それだけで済ませていた。
でも。
違う。
「水を作る。浮かせる。そこに留める。飛ばす」
ココアは。
四つの文字を見る。
「一個の魔法で。四つやってる」
ヒルダが自分の掌を見る。
「そう言われますと……」
「まず、一個目」
「水をお作りになるので?」
「作る、は……今日はやらない」
「おや」
セバスが少し意外そうな顔をした。
「珍しいですな」
「何が?」
「思いついたら、すぐお試しになるものかと」
「水素と酸素を用意して、火まで出たら危ないから」
「……」
「先生?」
「安心いたしました」
「何に?」
「危ないという感覚をお持ちで」
「持ってるよ!」
ヒルダが咳払いをした。
笑った。
絶対に。
ココアは研究帳へ目を戻す。
水は、水素と酸素でできている。
それは知っている。
でも。
水素と酸素がそこにあるだけで。
勝手に水になるわけではない。
反応には条件がある。
状態も。
エネルギーも。
越えなければならないものもある。
そして。
一度反応が始まれば。
扱いを間違えれば危険になる。
「だから」
ココアは書いた。
『水を作る』
↓
『材料だけでは足りない』
↓
『反応条件が必要』
「魔法だと?」
セバスが聞く。
「それが見えない」
「見えない?」
「ヒルダは、水を出したいって思うだけでしょ?」
「はい」
「水素を集めて。酸素を集めて。温度を調整して。反応させて。結合を作って……なんて考えてない」
「まったく」
「でも水が出る」
「はい」
「なら」
ココアは、水球があった場所を見る。
「魔法は。私たちが考えてない何かまで、勝手にやってるのかもしれない」
研究帳へ。
『魔法は、途中の工程を省いている?』
『それとも、別の方法?』
「……分からない」
「楽しそうですな」
「うん」
分からない。
だから。
次へ進める。
◇
「次」
「まだ始まったばかりでございますな」
「そうだよ」
セバスが諦めたように眼鏡を押し上げる。
「風」
ココアは研究帳へ書く。
『風=空気が動く』
「今日は。こっちは私の力を使わない」
「ほう」
「魔法も使わない」
「では。どうなさるので?」
「普通に風を作る」
ココアが用意したのは。
厨房でもらった。
温かい湯。
その上に。
軽い紙片を。
糸で吊るす。
「これだけでございますか?」
「うん」
「風が?」
「すごく小さいと思う」
温められた空気は。
上へ動く。
その周囲から。
別の空気が入ってくる。
派手な風ではない。
リリアの魔法のように。
狙った場所だけを掃除することもできない。
それでも。
空気は。
条件が変われば動く。
三人で。
紙を見る。
「……」
動かない。
「……」
まだ。
動かない。
「ココア様」
「待って」
「先ほどから」
「まだ先ほどじゃない」
ココアが紙へ顔を近づける。
後ろから。
襟を掴まれた。
「うぐ」
「ココア様。近すぎます」
「見えない」
「見えておりますでしょう」
「もっと近くで」
「息で動きます」
「……あ」
ココアが一歩下がる。
危なかった。
自分で風を起こすところだった。
もう一度。
待つ。
やがて。
薄い紙が。
ほんの少し。
揺れた。
「……」
三人とも。
黙って見る。
もう一度。
ふわ。
「動いた!」
ココアが立ち上がった。
「ヒルダ! 見た!?」
「はい」
「先生!」
「拝見しておりました」
「風!」
「空気の流れでございますな」
「魔法じゃない!」
「それで喜ぶ方を。初めて見ました」
小さい。
本当に。
僅かな空気の動き。
リリアの風魔法とは。
比べものにならない。
それでも。
魔力は。
一切使っていない。
ココア自身の力も。
使っていない。
ただ。
この世界にもともとある。
熱と。
空気の動きだけ。
ココアは研究帳へ書く。
『風――一部再現』
『魔力不要』
『温める→空気が動く』
そして。
二重丸。
「つまり」
ココアが言う。
「風そのものは。魔法じゃない」
「当然と申せば。当然でございますな」
「でも大事」
ココアは。
リリアの風魔法を思い出す。
「魔法にしかできないのは。風を起こすことじゃない」
「では?」
「欲しい時に」
「はい」
「欲しい場所へ」
「はい」
「欲しい強さで」
「……なるほど」
ココアのペンが走る。
『魔法と自然現象の違い』
『いつ?』
『どこ?』
『どれくらい?』
そして。
『人の意思』
「……これ」
ココアの手が止まった。
「大事かも」
◇
次は。
水。
作ることは。
今日はしない。
なら。
すでにある水を使えばいい。
ココアは桶から。
ほんの一滴だけ。
皿へ落とした。
「今度は何をなさるので?」
「浮かせる」
ヒルダが首を傾げる。
「できますの?」
「分かんない」
だから。
試す。
ココアは水滴を見る。
以前。
《弾く》は。
混ざっているものを離すために使っていた。
でも。
考えてみれば。
弾く先を。
いつも無意識に選んでいた。
「右」
パチッ。
水滴が。
右へ跳ねた。
「……」
「左」
パチッ。
今度は。
左。
ココアの目が。
少しずつ大きくなる。
「上」
パチッ。
水滴が。
数センチ。
確かに。
上へ行った。
そして。
ぽたっ。
落ちる。
「…………」
ココアが。
水滴を見る。
「浮いた」
「飛びましたな」
「浮いた」
「落ちましたが」
「一回、上に行った」
「それを飛んだと申します」
「……もう一回」
パチッ。
水滴が跳ねる。
ぽたっ。
「浮いた」
「飛びました」
「先生」
「はい」
「細かい」
「研究とは。その細かい違いを調べるものでは?」
「…………」
反論できない。
ヒルダが。
顔を背けた。
「また笑った」
「いいえ」
それでも。
成果は。
成果だった。
「右」
跳ねる。
「左」
跳ねる。
「前」
跳ねる。
「……できる」
「以前とは違うのでございますか?」
「うん。今までは。混ざってるものを離すことしか考えてなかった」
右。
左。
上。
前。
方向を。
選べる。
「……使える」
セバスが眉を上げる。
「何にでございますか?」
「まだ分からない」
「左様でございますか」
「でも。できることは増えた」
それで十分だった。
ただし。
瞬間だけ。
方向を決めて。
飛ばす。
それしかできない。
空中に。
留めることはできない。
ヒルダは。
それを。
当たり前のようにやっている。
ココアは研究帳へ書く。
『作る――未検証』
『動かす――△』
『留める――×』
『放つ――○』
その横に。
『ヒルダの水魔法』
『作る――○』
『動かす――○』
『留める――○』
『放つ――○』
「……すごい」
ココアが呟く。
「何がでございますか?」
「魔法」
ただ。
水を出しているだけじゃない。
作る。
動かす。
留める。
放つ。
違う現象を。
一つの魔法で。
やっている。
「ヒルダ。これ。全部考えてる?」
「いいえ。水を出そうと思えば、出ます」
「動かそうと思ったら?」
「動きます」
「留めようと思ったら?」
「留まります」
「飛ばそうと思ったら?」
「飛びます」
「…………」
ココアは。
頬を膨らませた。
「ずるい」
「魔法にそのようなことを申されましても」
でも。
大事な答えだった。
ヒルダは。
一つ一つの工程を。
考えていない。
ただ。
そうしたいと思う。
すると。
結果が起きる。
水が生まれる。
動く。
留まる。
飛ぶ。
その全部を。
人間の。
「こうしたい」から。
現象へ。
変えている。
「……命令?」
「はい?」
「なんでもない」
まだ。
早い。
ココアは。
新しいページを開いた。
『魔力とは?』
その下。
『何かに仕事をさせる力?』
さらに。
『人の意思を現象に変える?』
最後に。
大きな疑問符。
仮説。
今は。
それでいい。
◇
「もう一つだけ」
「まだございますか」
「私の方」
ココアは。
机に置かれた。
小さな材料を見る。
水を作るためではない。
危険な反応を起こすためでもない。
ただ。
結合そのものを見るため。
「すいへー……りーべー……」
世界が。
ほどけていく。
器も。
机も。
床も。
窓も。
空気も。
そこにある元素と。
結びつきが見える。
前世では。
構造式を書き。
測定し。
結果から。
そこにある結びつきを推測した。
今は。
見える。
三歳の時。
初めて。
葉の結合を切った。
あの頃は。
触れただけだった。
それから。
何度も試した。
今は。
狙った場所を。
切れる。
必要なものと。
不要なものを選び。
《弾く》こともできる。
今日。
その方向まで。
選べると分かった。
でも。
ずっと。
できないことがある。
ココアは。
一本の結合を。
見つめる。
何と。
何が。
繋がっているのか。
どこで。
繋がっているのか。
見えている。
なら。
切るのとは。
逆。
繋ぐ。
それは。
できるのか。
ココアは。
反応しやすいものを作ろうとはしなかった。
危険な組み合わせも。
使わない。
ただ。
近くにあるものへ。
新しい結合を。
作ろうとする。
「……」
指を伸ばす。
近づける。
場所を。
合わせる。
切る時とは。
逆を。
想像する。
結ぶ。
繋ぐ。
「……っ」
何も。
起きない。
もう一度。
「すいへー……りーべー……」
集中する。
元素を。
近づける。
どこへ繋がればいいのかも。
見えている。
でも。
白い線は。
生まれない。
「ココア様」
ヒルダの声。
「……うん」
ココアは。
手を下ろした。
「できない」
「残念でございますか?」
「少し」
「少しでございますか」
「うん」
悔しい。
でも。
それより。
面白い。
「切るのと」
「はい」
「繋ぐの」
「はい」
「同じじゃない」
研究帳へ。
一文字ずつ。
書く。
『切る――できる』
『弾く――できる』
『方向指定――できる』
『繋ぐ――できない』
その下へ。
『なぜ?』
大きく。
丸で囲んだ。
セバスが横から見る。
「魔法の研究をしていたはずが。ご自身のお力の研究にもなっておりますな」
「両方」
「欲張りでございますな」
「研究だから」
「便利な言葉でございますな」
ココアは。
今日の記録を。
最初から見直した。
魔法じゃなくても。
同じ結果へ。
近づけるものがあった。
風は。
魔力がなくても起きる。
水も。
魔力がなくても存在する。
自分の力を使えば。
水を。
瞬間的に動かすことまではできた。
でも。
留められない。
水を作るには。
材料だけでは足りない。
反応の条件が必要になる。
それなのに。
ヒルダは。
水を作ろうと思うだけで。
水を作る。
動かそうと思えば。
動かす。
留めようと思えば。
留める。
飛ばそうと思えば。
飛ばす。
途中を。
意識していない。
なのに。
結果だけが現れる。
ココアの視線が。
昨日書いたページへ移る。
『共通する色』
↓
『?』
↓
『水』
そして。
今日。
『人の意思』
↓
『?』
↓
『現象』
「……」
似ている。
まだ。
繋げるには早い。
でも。
何かが。
そこにある。
「先生」
「はい」
「明日も予定、空いてる?」
「空いておりません」
「空けて」
「嫌でございます」
「ヒルダ」
「わたくしからもお願いいたします」
「ヒルダまで……」
ココアは。
研究帳を抱えた。
視界には。
まだ。
世界を埋める元素と。
それを繋ぐ。
無数の線が見えている。
見える。
切れる。
選べる。
弾ける。
方向も。
決められる。
でも。
繋げられない。
ココアは。
『なぜ?』
その文字を。
指でなぞった。
壊すことと。
結ぶことは。
同じではない。
「結合って」
ココアは。
少しだけ笑った。
「切るより」
「繋ぐ方が」
「難しいんだ」




