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魔力0の伯爵令嬢、すいへーりーべーで領地開拓!〜研究費を稼いでいたら領地が発展しました〜  作者: 大福


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前日譚

「……あり得ない」


 静まり返った研究室に、その一言だけが響いた。


 大型モニターに映し出された結晶構造が、ゆっくりと書き換わっている。


 誰も触れていない。温度も圧力も正常。放射線量にも異常はなく、複数の測定装置にも故障を示す数値はない。


 それなのに、原子同士を繋ぐ結合だけが、まるで生き物のように組み替わり続けていた。


「先生……これ、見間違いじゃないですよね?」


「三系統とも同じ結果です。全データを保存してください。映像も、測定値も、全部」


「はい!」


 若い研究員が慌ててキーボードを叩く。


 彼女は画面から目を離せなかった。


 世界は元素でできている。


 誰もがそう教わる。


 けれど、彼女は少し違うと思っていた。


 世界を形作っているのは、元素だけではない。


 元素と元素を繋ぐ、結合だ。


 水素と酸素が結びつけば水になる。同じ炭素でも、結びつき方が違えば黒鉛にもダイヤモンドにもなる。


 子供の頃にその事実を知ってから、ずっと結合に魅せられてきた。


 大学で学び、研究者になり、論文を書いて、それでも足りなかった。


 分かれば分かるほど、分からないことが増えたからだ。


「……先生」


「何ですか?」


「笑ってます」


 言われて初めて気づいた。


 口元が緩んでいる。


「だって、面白くありませんか?」


「怖くないんですか?」


「怖いですよ」


 それでも、画面から目は離さなかった。


「でも、分からないことが目の前にあるんです。知りたくなりませんか?」


「だから先生は『結合女』って呼ばれるんですよ」


「そう呼ばれているんですか?」


「研究室では有名です」


 少し考える。


「正しいなら、構いません」


「やっぱり変です」


 研究員が呆れたように笑った。


 けれど、すぐにその表情が消える。


「先生。これ、本当に何が起きてるんです?」


「分かりません」


「熱でも、圧力でもない。装置の故障でもない。なのに結合だけが変化している」


「はい」


「理由がないってことですか?」


「いいえ」


 そこだけは違う。


「理由がないのではありません。私たちが、まだ理由を知らないだけです」


 そのときだった。


 ピッ――。


 測定装置が短く鳴った。


 二人同時に振り向く。


 透明な容器に収められた小さな結晶が、淡い光を放っていた。


「先生、下がってください」


「触りません」


 そう答えながら、一歩だけ近づく。


 光は徐々に強くなり、モニター上では結合の組み替わる速度が上がっていく。


 切れる。


 別の原子と繋がる。


 また切れ、違う形へ組み直される。


 無秩序には見えなかった。


 何かを探しているような。


 あるいは、何かを作ろうとしているような――。


「……何をしてるの?」


 答えはない。


 代わりに、研究室の照明が一斉に消えた。


「停電!?」


 非常灯が赤く灯り、警報が鳴り始める。


 廊下から慌ただしい足音が聞こえた。窓の外でも、研究棟の明かりが次々と消えていく。


 それでも結晶だけは光っていた。


 そして。


「……え?」


 見えた。


 結晶から伸びる、細い光。


 最初は一本だと思った。


 違う。


 無数にある。


 結晶から容器へ。測定装置へ。床へ、壁へ、空気へ。


 視界に映るあらゆるものが、淡い光によって繋がっている。


「先生?」


「これ……見えませんか?」


「何がです?」


 研究員には見えていない。


 見えているのは、自分だけ。


 息をすることさえ忘れて、その光を追った。


 元素がある。


 そして、その間を繋ぐものがある。


 知っている。


 研究してきた。


 人生のほとんどを費やしてきた。


 なのに、目の前にあるものは、自分が知っている結合とはどこか違っていた。


 知らない。


 分からない。


 だからこそ、胸が高鳴った。


「……きれい」


 思わず言葉が漏れた。


 光の並びが変わっていく。


 ばらばらだったものが、規則を持つように並び始めた。


 その並びに、見覚えがあった。


 ずっと昔から覚えている。


 研究者になるより、もっと前から。


「……すいへーりーべー、ぼくのふね……」


 元素周期表を覚えるため、何度も繰り返した言葉。


 口にした瞬間、光が強くなった。


「先生!」


 研究員の声が遠くなる。


 結晶の光が視界いっぱいに広がっていく。


 危険だ。


 近づくべきではない。


 そんなことは分かっていた。


 それでも、知りたかった。


 これは何なのか。


 なぜ結合が変わるのか。


 なぜ自分にだけ、この光が見えるのか。


 答えが、すぐ目の前にある気がした。


 伸ばした指先が、光に触れた。


 その瞬間、音も光も消えた。


『見つけた。』


 誰の声なのか分からない。


 確かめるより先に、意識が途切れた。


     ◇


 苦しい。


 息ができない。


 身体が重い。


 手足が、思ったように動かない。


 目を開けても、視界はぼやけていた。


「生まれました!」


 知らない声が聞こえた直後、自分の意思とは関係なく口が開く。


「おぎゃあああ!」


 誰?


 そう思って、すぐに気づいた。


 私だ。


 止めようとしても泣き声が止まらない。腕も脚も思うように動かず、視界の端には信じられないほど小さな手が映っている。


 ――赤ん坊?


 柔らかな布に包まれ、誰かに抱き上げられた。


 何が起きたのか分からない。


 研究室は?


 結晶は?


 さっきの声は?


 考えようとしているのに、身体は勝手に泣き続ける。


 そのとき、ぼやけた視界の中に淡い光が浮かんだ。


 空気の中。


 布の中。


 自分を抱いている誰かの腕の中。


 無数の光が、静かに揺れている。


 泣き声が止まった。


 見覚えがある。


 あの研究室で見た光だ。


「まあ……泣きやみました」


 若い女性の声がした。


 銀灰色の髪を後ろで束ねた女性が、こちらを覗き込んでいる。凛とした目をしているのに、向けられる眼差しは不思議なくらい優しかった。


「初めまして、お嬢様。ヒルダと申します」


 言葉の意味は分からない。


 知らない言葉なのに、その声を聞いていると安心した。


「今日から、私がお側におります」


 差し出された指へ、小さな手が伸びる。


 思うように動かない指で、どうにか一本だけ握った。


「まあ。力強いお嬢様ですね」


 温かい。


 その感触と一緒に、記憶が戻ってきた。


 白い研究室。


 未知の結晶。


 世界を埋め尽くした光。


 そして最後に聞こえた声。


『見つけた。』


 ここは、あの研究室ではない。


 自分の身体さえ違う。


 それなのに。


 光は、ここにもある。


 ヒルダと名乗った女性の指を握ったまま、周囲を見た。


 知らない場所。


 知らない人。


 知らない世界。


 何一つ分からない。


 胸が高鳴った。


 この世界にも、自分の知らない法則がある。


 まだ誰も見つけていないものがあるかもしれない。


 転生したらしいという戸惑いより先に、どうしようもなく一つの気持ちが湧き上がった。


 ――早く、研究したい。

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