俺が俺じゃなくなる前に
最初に“ズレ”たのは、歩幅だった。
気づいた時には、もう遅い。
自分の足なのに、半歩だけ早い。ほんの僅かだが、意思と一致していない。
「……は?」
立ち止まる。
だが足は、もう一歩だけ前へ出ようとする。
止める。無理やり。
ふくらはぎが軋む。
「――進め」
頭の奥で、あの声が囁く。
石だ。
ポーチの中で、脈を打つ黒い塊。
「うるせえよ」
低く吐き捨てる。
配信はそのまま続いている。
コメント:
「今の動き何?」
「ちょっとおかしくない?」
「足勝手に動いてね?」
「いや演技だろ」
「怖すぎて草」
俺は笑う。
「演技に見えるなら、才能あるな」
軽口を叩くが、内側は冷えている。
これはまずい。
さっきから、判断の“前”に身体が動く。
つまり――
「……乗っ取られかけてる?」
口に出した瞬間、背筋が凍る。
「――違う。導いているだけだ」
即座に返ってくる声。
俺の声と、重なるように。
気持ちが悪い。
「同じ声で喋んな」
「――お前が近いからだ」
意味がわからない。
だが、嫌な予感だけは正確に当たる。
コメント欄が荒れる。
コメント:
「完全に会話してる」
「これBANされるだろ」
「怖すぎる」
「でも見ちゃう」
「なんでこんな冷静なんだよ」
冷静じゃない。
ただ、“止める理由がない”。
俺は進む。
暗い裏通路。
石の声に従って。
そして、途中で床に手をつく。
「……確認」
【残留思念】発動。
ノイズのような感覚。
だが、いつもより濁っている。
映像が安定しない。
それでも見える。
――複数人の探索者。
この通路に入る。
迷う。
引き返そうとする。
だが一人が言う。
『いや、こっちに何かある』
その直後。
壁が、閉じる。
逃げ場がなくなる。
悲鳴。
そして――
『誰か……助けて……』
声が、薄れていく。
終わり。
俺は息を吐いた。
「……なるほど」
罠だ。
この通路は、閉鎖型。
一度入れば、出口が消える。
コメント欄がざわつく。
コメント:
「今なんか見た?」
「顔やばいぞ」
「やっぱ危険ルートじゃん」
「戻れって!!」
俺は首を鳴らす。
「でも、先に行けば出口がある可能性もある」
嘘じゃない。
ただし、“保証はない”。
「――ある」
石が言う。
断言。
迷いなし。
俺は笑う。
「便利だな、お前」
「――代わりに、少しもらう」
その瞬間。
視界が弾けた。
別の記憶。
別の人生。
知らない名前。
知らない顔。
知らない死。
「……っ!」
膝をつく。
頭が割れそうになる。
コメント欄が爆発。
コメント:
「倒れた!!」
「やばいって!!」
「救急呼べ!!」
「これマジで危険だろ」
俺は歯を食いしばる。
「……これが、代償か」
理解する。
石は、“情報”を渡す代わりに、“記憶”を流し込む。
そしてそれは、蓄積する。
消えない。
混ざる。
「……最悪だな」
だが、口元は笑っている。
止めない。
止まれない。
コメントが流れる。
コメント:
「なんでやめないの?」
「狂ってる」
「でも見たい」
「フォローした」
「こいつ絶対トップ行くわ」
その言葉に、少しだけ胸が熱くなる。
「……そうだな」
俺は立ち上がる。
そして、進む。
通路の奥。
やがて、広い空間に出た。
天井が高い。
中央に、巨大な扉。
古い紋様。
重厚な空気。
「……ボス部屋か?」
コメント欄がざわつく。
コメント:
「早すぎない?」
「そんなルートあるのか?」
「こいつマジでおかしい」
俺は扉に手をかける。
その瞬間。
頭の中で、複数の声が同時に叫んだ。
『開けるな!!』
『罠だ!!』
『死ぬ!!』
残留思念だ。
複数の死者。
ここで死んだ連中の、最後の警告。
だが。
「――開けろ」
石が、囁く。
静かに。
確実に。
俺の思考に染み込むように。
「……どっちが正しい?」
自分でも笑う。
もう分かってる。
正しさなんて関係ない。
「――価値がある方だ」
俺はそう言って、扉を押した。
重い音。
開く。
中は、暗い。
何も見えない。
だが、気配がある。
巨大な何か。
息をしている。
コメント欄が凍る。
コメント:
「……やばい」
「これ本当にボスだろ」
「初見なんだけど」
「震えてきた」
俺は一歩踏み出す。
その瞬間。
背後で、“ガコン”と音がした。
振り返る。
通路が、閉じている。
「……は?」
出口が、消えた。
閉鎖。
完全に。
コメント欄が爆発する。
コメント:
「詰んだ!!」
「戻れない!!」
「終わった!!」
「こいつ死ぬぞ!!」
俺は、ゆっくりと笑った。
「……いいじゃん」
逃げ場なし。
ボス前。
未知の存在。
最高だ。
「――ようこそ」
闇の奥から、声がした。
低く、重い。
そして――
俺と、同じ声だった。




