観測される側
――“観測不能の死”。
それは、これまで見てきたどのログとも違っていた。
色がない。
音もない。
ただ、そこに“空白”として存在している。
「……なんだよ、これ」
俺は思わず呟く。
視界の端に貼り付いたそれは、消えない。
意識を逸らしても、追ってくる。
まるで――
“見られている”証拠みたいに。
◇
ダンジョンは静まり返っていた。
さっきまでの戦闘の余韻が、嘘みたいに消えている。
だが。
空気が違う。
重い。
粘つく。
そして、何より――
“視線”がある。
「……いるな」
俺は低く呟く。
誰もいないはずの通路。
だが、確信がある。
見ている何かが。
コメント欄がざわつく。
『また新キャラ?』
『いやボスじゃね?』
『観測不能って何だよ怖い』
『今までと違う系統だな』
『これガチでヤバいやつだろ』
俺は、ゆっくりと歩き出す。
◇
一歩、踏み出す。
その瞬間。
頭にノイズが走る。
「……っ」
思わず足を止める。
これは。
“残留思念”じゃない。
流れ込んでこない。
むしろ――
遮断されている。
◇
「……使えねえのか」
俺は、舌打ちする。
スキルが。
効いていない。
コメント欄が爆発する。
『は!?』
『初めてじゃね?』
『チート封じきた』
『詰みじゃん』
『どうすんのこれ』
そう。
これは初めてだ。
今まで、どんな相手でも。
死者はいた。
情報はあった。
だが、ここには――
“死がない”。
◇
「……違うな」
俺は、首を振る。
違う。
“死が観測できない”。
それだけだ。
なら。
あるはずだ。
見えていないだけで。
◇
「……試すか」
俺は、小さく呟く。
そして。
足元の壁に、ナイフを突き立てる。
軽く、傷をつける。
石が削れる音。
それだけ。
だが。
次の瞬間。
頭に、微かな“引っかかり”が生まれる。
◇
「……来た」
小さい。
弱い。
だが、確かに。
“残留思念”が、発生した。
コメント欄がざわつく。
『え?』
『今ので?』
『自作ログ?』
そう。
俺は、理解する。
「新しく作ればいい」
過去が見えないなら。
未来が見えないなら。
“今”を刻めばいい。
◇
俺は、壁をさらに削る。
床を叩く。
小さな傷を増やしていく。
そのたびに。
微弱なログが、生まれる。
◇
「……なるほどな」
だんだん見えてくる。
この空間。
“観測を拒否してる”わけじゃない。
“古い観測を消してる”。
だから。
新しいものなら、残る。
◇
「なら――」
俺は、歩き出す。
わざと足音を立てる。
壁に触れる。
空気を切る。
全部、“記録”するように。
◇
その時。
背後で、音がした。
コツ。
コツ。
ゆっくり。
確実に。
振り返る。
誰もいない。
だが。
“来ている”。
◇
俺は、ナイフを構える。
呼吸を整える。
そして。
“今作ったログ”を読む。
◇
「……右から来る」
小さく呟く。
直後。
空気が裂ける。
何かが、通る。
見えない。
だが。
そこに“いた”。
コメント欄が爆発する。
『見えない敵!?』
『ホラーすぎる』
『これ配信映ってんの?』
『いや何も見えない』
『主人公だけ分かってる』
◇
「……そういうことか」
俺は、理解する。
こいつは。
“観測されない存在”。
見えない。
記録されない。
だから。
死も残らない。
◇
だが。
今は違う。
俺が、“記録している”。
この瞬間。
この動き。
全部。
“ログ化”している。
◇
「なら」
俺は、一歩踏み出す。
さっきの位置。
さっきの速度。
全部を再現する。
そして。
“そこ”に、ナイフを振る。
◇
手応え。
確かな、肉の感触。
「っ……!」
見えない何かが、揺れる。
空気が歪む。
コメント欄が爆発する。
『当たった!!』
『やべえええ』
『見えない敵にヒットとかチートすぎ』
◇
だが。
次の瞬間。
頭に、強烈な違和感。
ログが、消える。
今作ったばかりの記録が。
“消される”。
「……っ!」
まずい。
これは。
長期戦は無理だ。
記録が消される前に。
決めるしかない。
◇
「……来いよ」
俺は、挑発する。
ナイフを下げる。
無防備に見せる。
コメント欄が騒ぐ。
『何してんの!?』
『自殺行為』
『でもこれ誘ってる?』
◇
来る。
気配が。
一直線。
速い。
だが。
読める。
さっき刻んだログが、まだ残っている。
その一瞬。
◇
俺は、動く。
ギリギリまで引きつけて。
横にずれる。
そして。
全力で、突き出す。
◇
貫く。
確実に。
中心を。
◇
空気が、裂ける。
見えない何かが。
初めて。
“輪郭”を持つ。
歪んだ影。
人の形に近い。
だが。
顔がない。
目がない。
ただ。
“穴”のような空間が、そこにある。
◇
「……これが」
俺は、息を呑む。
コメント欄が凍る。
『なにあれ』
『バグみたいな存在』
『怖すぎる』
◇
影が、揺れる。
そして。
初めて、“声”がした。
「……観測、確認」
無機質。
感情がない。
「対象、適合」
嫌な予感。
最悪の予感。
◇
「なに言って――」
言い終わる前に。
影が、溶ける。
そして。
俺の中に、流れ込んでくる。
「っ……!?」
頭が割れる。
視界が、白くなる。
◇
コメント欄が絶叫する。
『取り込まれた!?』
『終わり!?』
『これアウトだろ!!』
◇
意識が、沈む。
また。
あの場所に。
だが。
今度は違う。
声がない。
静かすぎる。
そして。
目の前に、表示される。
新しいログ。
それは。
――“観測者の視点”。
◇
そこには。
俺が、映っていた。
戦っている俺。
もがいている俺。
そして。
“選ばれている俺”。
◇
「……は?」
理解が、追いつかない。
だが。
一つだけ、分かる。
俺は。
見ている側じゃない。
◇
――見られている側だ。
◇
その瞬間。
ログが、更新される。
新しい一文が追加される。
――“次の観測対象、確定”。
名前。
そこに。
はっきりと。
“俺の名前”が、書かれていた。




