エピローグ
後日、早渡刑事が報酬を持って寒咲の自宅を訪れた。
「まさかあなたが、あの寒咲家の一人息子だったとは」
豪華な調度品をぐるりと見回し、早渡は感嘆する。
「実業家であり慈善家、小さな駄菓子屋だった実家を引き継ぐや否や、あっという間に世界に名だたる玩具メーカーにまで押し上げた寒咲美優士郎……。その名を日本で知らぬ者はいませんよ」
「といっても、今俺の持つ実権は殆どありませんけどね。一応株は保有してますが」
「でも、大変でしたね。あんな大事故があって……」
巻の言葉に、寒咲は複雑そうな顔をする。気づいた早渡が、軽く巻の頭を掴んで下げさせた。
「すいません。後で改めて注意しておきます」
「いいですよ。自動車事故で俺の両親は死んだ。既に周知されていることです。それよりも、代金を」
「え、ええ」
差し出された封筒の中身をチェックして、「はい、間違いなく」と寒咲は机の中にしまう。それもまた高級そうな家具だったが、当の寒咲はそれらにそぐわない若干気の抜けたワイシャツ姿であった。
……見れば見るほど、冴えない男である。だが早渡の前で披露された優れた謎解きは、間違いなく彼から発されたものだ。人は見かけによらぬということだろう、と早渡は一人自戒した。
「はいはい、帝王院様特製の紅茶が入りましたよー」
そうして早渡らが帰ろうとした所、帝王院がドアを開けて入ってきたのである。意外にも立ち居振る舞いは丁寧でソツが無く、正直早渡は驚いた。
「お疲れ様です。今日も帝王院さんは元気っすね」
「やあマキマキマッキー君!」
「誰すか」
「僕のジリツ神経は、今日も今日とて一人で立ってるとも!」
「自立じゃなくて自律ですよ。律するほうです。っていうか、帝王院さんもいらしてたんですね」
「まあ僕はここに住んでるからね」
「え?」
「……ええと、実は彼、少々事情があってうちに住み込んでるんですよ」
きっと帝王院は自分で説明しないだろうと判断した寒咲が、渋々フォローを入れる。
「部屋は余ってるんで問題無いのですが、ただ住まわせているのもアレなんで色々働いてもらっています」
「執事と言っていただこうか!」
「全般首尾良くやってくれているので重宝していますよ。……その、料理以外は」
「それは食べないお前が悪い!」
「食材を非食材にする君が悪い」
「た、大変ですね……」
思った通りというか、帝王院との共同生活は苦労ありきのものらしい。冷や汗を流す巻の前でもう少し続くと思われた言い合いだったが、すぐに帝王院は気が逸れ早渡に向き直った。
「そういえば、あの少女はどうなりました?」
「え? ……ああ、もしかして磯端夢さんですか」
「そうそう」
「彼女は、お説教ののち遠方の叔母に引き取られましたよ」心なしか柔らかな表情で、早渡が答える。
「元々かなり彼女の境遇を心配してくれており、時々父親の信寿さんに怒鳴り込みに行くような方でした。きっと心配無いでしょう」
「おお、素晴らしい。人によって間違った人は人によって正され、導かれねばならなりませんからね」
「そうですね」
「して、信寿君はちゃんと反省したかい?」
「反省するどころか、翻って罪も認めていませんよ。まあ証拠はじゃんじゃか出ていますし、何より妻である珠美さんが自白してくれているんです。解決するのも時間の問題でしょう」
「それはそれで何より!」
帝王院的に満足のいく結末だったようである。彼は嬉しそうに鼻歌を歌いながら、早渡らに紅茶を勧めた。
当然刑事二人は戸惑った。何せあの破天荒な青年の入れた紅茶である。どんな味がするかわかったものではない。
「そ、そうだ! 結局帝王院さんの言ってたことって、全部当たってましたよね!」
よって巻は必死で話題を逸らした。帝王院も気にしておらず、「ふふん」と胸を張る。
「当然。この僕を誰だと思ってるんだ。帝王院スバルだぞ」
「それ根拠なんですか?」
「メイ!」
「だからいちいち俺を説明係にするのやめてくれないかな……。ええと、こちらの帝王院はですね、違和感に気付くことにかけてはずば抜けているんです」
「違和感、ですか?」
「たとえば、間違い探しの絵を見るでしょう? パッと見比べて『こことここが違う』と気づく。帝王院は、それを人や景色でやらかすんです」
「へえー、素晴らしい才能ですね」
「ところがそうでもないんですよ」
寒咲はなで肩気味の肩を落とした。
「気づくのはあくまで“違和感”まで。具体的にどこが違うのかまではわからない。でもやおら本人に自信があるものだから、好奇心や正義感の赴くままにズバズバと踏み込んでしまう……。説明係を任せられるほうはいい迷惑です」
「ははあ、その説明係が寒咲さんなんですね」
「幸い違和感に関しては百発百中なんで、よくよく観察してみれば分かるんですが。今回みたいに」
「いや、それもすごいですけどね。寒咲さん、探偵の才能あります」
「うう、俺は極力人と話したくないんですけど……」
巻は手放しに褒めたが、寒咲は嫌そうな顔をしていた。どうもこの探偵業にたどり着くまでにも、色々とあったようである。
「それより巻君、いい加減紅茶を飲みたまえよ。冷めてしまっては美味しくないぞ!」
「ぐっ!」
そしていよいよ紅茶から逃げられなくなった。早渡と巻は顔を見合わせ、恐る恐るカップを手に取る。だが、口をつけた瞬間。
「……うっま……!」
「うわびっくりした! 何これ美味しい!」
「ふふん、なんせ厳選に厳選を重ねたこの帝王院オリジナルブレンドだからね。お前達が唸り雄叫び転がり回るのも無理はない!」
「どっちかというと、そうなるのは君の料理食べた時だけどな」
「メイはシャラップ!」
とある邸宅の一室にて、賑やかな会話が繰り広げられる。こうして寒咲“名”探偵による最初の事件は、無事幕を下ろしたのであった。
花見る死体 完
「……ところで、早渡刑事。このお金は自腹切って払ってくれたんですか?」
「ああ、寒咲探偵。そんなわけないでしょう。上司の身銭ですよ」
「え?」
「実は自分、上司からの電話を録音しててですね。磯端家逮捕の折にそれをチラつかせた所、快くお金を出してくださいました」
「……」
「何か?」
「……したたかですね」
「恐れ入ります」