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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十章・西播怪談実記草稿十二【天文二十三年四月廿八日(1554年5月29日)~】
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22・西播怪談実記草稿十二6-1(天文美作合戦)


 ―6―



 天文二十三年六月。美作燃ゆる。



 事の発端が何だったのか、今となってはもう分からない。


 それは尼子晴久ら晴久派による過度な接収が原因だったとも、先行していた尼子国久ら新宮党が美作中央部の集落を襲い、村民らのなけなしの食料を奪い尽くしただけでなく、播磨で逃散した兵員を補充するために無理な徴兵を行ったことが起因だともいう。


 あるいは、両方が引き金になったのかも知れない。


 俗に、土一揆と呼ばれる大きなうねり。


 この夏、美作国全土は反尼子で一色に染まった。


 もともと美作国は東の一部を除いてほとんど親尼子派閥に属していた。しかしながら、前年に引き続き再度大規模な徴発を行った上、今度は備中三村との戦に備えるために三度目の供出せよと迫られたのでは、さすがに死活問題となる。


 特に今回の徴発においては供出の対象に雑穀一切が含まれていた。麦や大豆、粟に稗、蕎麦の種など、民草が夏を超えるための生活の(かて)を奪い尽くした尼子軍は、更に寺社領にも手を伸ばし、一部の尼子兵が神饌田から作物を盗むなどの事件を起こしている。


 こうなると、最早略奪に近い。


 飢えに飢え、進退窮まった美作国はついに蜂起の声を上げた。


 始まりはわずかな一灯。だが、反尼子の動きは野火のように広がり、瞬く間に美作全土の農民達が手に手に武器を持って立ち上がった。


 一度堪忍袋の緒が切れた彼らの耳が、二度と領主の説得の声を届かせることはない。


 再三に渡る一揆方との交渉が決裂すると、美作国人衆の中にも土一揆に同調する者も出始め、戦慣れしていない一揆方の首魁らに取り入ることで共闘体制を築き、尼子家を美作国から追放して旧領主である三浦氏再興を願う勢力とも合流を果たした。


 質では劣るが、数の上では尼子軍の先遣隊と互角以上。


 慌てた尼子方も鎮圧に向けて兵を向かわせたが、初戦は返り討ち。


 勢いに乗った土一揆衆は、そのまま尼子方の集積地に襲撃を加えて物資を奪い返すと、美作中央に位置する中山神社に立て籠もる。


 百十二の摂末社を持ち、巨大な社領を有する中山神社は美作国の一宮(いちのみや)。城を持たない民草にとっては中山神社の存在は精神面だけでなく、当面の食料に困らないという物資面でもうってつけの場所となった。


 こうした土一揆側の動きに対し、美作後藤氏ら含め比較的尼子氏に近かった国人衆らも表立って事を構えることは出来ない。残された選択肢は、門を固く閉ざし、怒り狂う人々の波が通り過ぎるのをただ静観することのみ。土一揆に手を貸さないことで、せめて自分達の立場を示そうとする。


 この大波、逆らえばたちまち命を失う。


 こうした美作国人衆の行動は、後に尼子氏より領内の監督不行き届きとして責任問題へと発展するのだが、この時ばかりは、鬼気迫る民衆を前に例え領主と言えど押し黙るより他に手は無かった。

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