22・西播怪談実記草稿十二5-3(天文美作合戦)
「…………」
「対して、貴君は大殿の兄君でありながらこれまでも決して大殿の意向に逆らわず、御嫡男を亡くされた後でも臣下の義理をわきまえて主家に尽くさんと己が身を鞍掛に移された。これは余程の覚悟がなければ出来ぬと同時に、御自身が行かねばどうにもならぬと思われたからこそ、置塩の西に向かわれたのではないですか」
人の心を見抜く才というのか、赤松政秀という男は、そういった点で毛利元就とは通じるものがあったのかも知れない。政元の内心を見透かすように見つめる二つの眼には、自らの推測が外れていれば今この場で斬られてもよいという覚悟があった。
政秀の妻は、赤松総領家赤松晴政の娘。二人は叔父と甥の関係になる。
義理不義理の通じにくい戦国の世、赤松政秀は、己の血族の中から、七条政元という光明を見出していた。
「……勝てるのか」
「勝ちましょう。我らは美作で勝ち、備前で勝ち、この播磨でも勝ってみせましょう」
天文二十三年の夏は西国激動の夏。
安芸周防では毛利と陶が、播備作では赤松、両浦上と尼子が激しく火花を散らす。
戦雲未だ去らず、この年美作から始まった戦は再び美作の地に立ち込め始める。糧道封鎖に始まった元就の策謀は、次の段階に進もうとしていた。




