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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第二十章・西播怪談実記草稿十二【天文二十三年四月廿八日(1554年5月29日)~】
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22・西播怪談実記草稿十二2-2(天文美作合戦)

 食うためには荒らさねばならず、荒らせば後藤氏の離反を招いて退路が無くなる。


 御着城攻略から十日の後には、大軍に見合わぬ細い糧道しか確保できなかった責任に対して、晴久派、新宮党派の間でなすりつけ合いが行われ、尼子家当主と新宮党首の対立が再燃してしまった。


 これが尼子の致命打となる。


 二派の対立は各派閥に所属する将だけでなく、配下の足軽達も敏感に感じ取ったらしく、御着攻略に懸ける熱意にも派閥間に明確な差が生じた。具体的には、晴久派が尼子の名誉を懸けて播磨攻略の継続のために猛攻を加える一方で、新宮党員らはおざなりな攻城戦に終始することで、当主主導の遠征失敗と美作撤退を暗に態度で示した。


 それぞれ異なる主張を行い、尼子軍全体の足並みが乱れた遠因として、尼子の陣中で毛利の軍勢が美作国を狙って侵入したという噂や、備前西部の松田氏が尼子を裏切りによって備前全域が同盟側の手に墜ちたという真偽不明の話が飛び交っていた事も原因のひとつに数えられるかも知れない。


 いずれにせよ、限られた時間はどの勢力にとっても等しい。


 (いたずら)に日数を消耗するにも、雨が上がり渡河が可能となれば、新たに西の赤松軍主力が攻勢をかけてくる危険性と隣り合わせになる。


 同盟側による、戦の決定権は尼子家当主にあっても尼子軍主力となる新宮党の主導権自体が当主尼子晴久の手には無いという尼子家内部の権力の二重構造を突いた見事な策。


 軍の指揮権が統一されていない弊害は、以前より晴久自身も危惧し、何度も改善を試みていたがどれも不首尾に終わっていた。この部分の尼子軍の脆さは、これまでもこれからも晴久の足を(すく)い続ける。


 晴久の盤上は、詰みの段階を迎えつつあった。


 それでも尚、室津浦上氏との合流を諦められない晴久派は、五月十七日前後に新たに豆崎に陽動をかけ、続いて阿弥陀宿の別所本陣に急襲を仕掛けることで現状を打破し、加古川河口より海路で室津勢と繋がる方針に一縷の望みを賭ける。


 投了の道を選ばず、意地で通した一手。


 勿論、そんな急場しのぎの戦略を通すほど、三木別所の猛者は甘くはなかった。


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