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ふたりの天下人ー西播怪談実記草稿から紐解く播州戦国史ー  作者: 浅川立樹
第十九章・西播怪談実記草稿十一【天文二十三年四月中旬】
180/278

21・西播怪談実記草稿十一3-1(天文美作合戦)

 

 ―3―



 天文二十三年、四月の終わり。


 鉛色の空の下、新緑芽吹く志引峠の播磨側の谷筋は、どこもかしこも耐え難い牛馬の匂いが充満していた。


 ここ志引峠は、美作国と播磨国の国境。


 北に後山、南に日名倉山を望み、美作側の峠の入り口からは一里の直路で百五十間の高さを登る。美作側からの道は比較的開けた道なのに対して、播磨側へ降りるは急峻な山々に挟まれた「く」の字の曲路の連続。その上、道幅も美作側の半分以下になる難所が複数箇所存在している。


 途中、上り下りでなんとか行き違えるように要所要所で待避所が設けられてはいるが、足場の悪い狭隘な道に変わりはない。


 そんな山道を、牛馬とそれらを引き連れる人間が引っ切り無しに往来していた。


 彼らは皆、美作国で駆り出された農民で、出雲出身の者を目にすることはほとんどない。大人二人が両手を広げれば封鎖できそうな幅の山道を、えっちらおっちら何度も足を止めつつ、荷駄満載の牛や馬を従えて、播州千種は黒土に築かれた千草山の城を目指していた。


 匂いの発生源となっているのは、この尼子の臨時輸送部隊。


 しかし、彼らは望んで尼子軍に志願したわけではない。


 農民とて生業がある。本来であれば、この時期は梅雨前の苗作りや田畑の手入れの非常に気を配る大事な時節。


 水を入れた田んぼに牛や馬を入れ、固まった土を数回に分けて丁寧に砕き、何度か攪拌することで滑らかになった表面の泥を田んぼ全体に均一に敷き直していく。その際、稲の根を深く張らせる為に田を深く掘る必要があり、人力だけでは到底満足に土地をならせない。


 いわいる代掻きの工程。牛や馬の力無しでの田作りには限界がある。


 代掻き後の田を長く放置し過ぎれば土が固まり、かといって、慌てて田を鋤いた直後では、本来の目的である泥層が形成されない。遅くても早くても稲を植える際の弊害になる。故に、今回のように多くの人員が駆り出されれば、地域全体の米の出来に影響が出る。


 一日の遅れが、村全体の大きな負債となる。


 峠を越える人間の怨み節が、怨嗟となって山々に木霊していた。


「それもこれも総て隣国宇野の当主が悪いのだ」

 

 そんな誰かのつぶやきに、誰もがそうだそうだと口を揃えて罵詈雑言を並べ立てる。


 彼らが貴重な農耕馬や農耕牛をあてがってまで隣国へ物資を運ばねばならなくなったのは、全部ではないにしろ半分くらいは宍粟宇野氏側に責任があった。


 現在、播磨千草城は天文十九年よりそれまでの大河原氏に代わって、宍粟宇野氏と繋がりの深い石原四郎兵衛尉が代官となり、宇野氏の資金提供を受けて千草城などの大改修に取り組んでいた。美作と連絡を取るための最重要拠点のひとつと判断されたこの城郭は、正面からの敵襲に備えて堀切や堀底道を増設し、側面の防御面を固めるために虎口を増やすだけでなく、山腹の削平地を整え二つの屋敷を新設することで政治面の拡充も図った。


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