19・西播怪談実記草稿九4-1(第二次高田合戦)
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天文二十三年三月晦日、午後。
旭川渡河中、播磨佐用則答の隊。
突如、右手の方角から轟音が響いたかと思うと、周囲の雑兵十人余りがもんどりを打ってバタバタと倒れるのを七条政直は見た。狼狽する自分が一体全体何を叫んだか記憶がない。気が付けば首元を掴んだ兄の手によって、水面すれすれまで自分の顔面を押し付けられていた。
「…………ッ」
「限界まで身を低くしろッ」
兄の口が何かを喋っている。が、政直の脳は兄が何を口走っているのか理解できない。反応のない政直を見て、政範が引きずるようにして弟を対岸へ移動させた。
渡河中の隊には、身を隠す手立てが何もない。
轟、と更に山手から尼子軍の斉射が続き、今度は橋を渡ろうとしていた中年の武将が川の中へと転がり落ちるのを政直は横目に見た。確かあれは船引某という将だったのではないだろうか。
新兵器の手火矢(鉄砲)の知識は事前に伝達されていた。しかし、百聞は一見に如かず。聞くと見るでは天と地ほども違う。
「生きているか。怪我はないか」
ぴしゃりと兄に頬をはつかれて、政直の世界は音を取り戻す。
ここは対岸。いつの間にか、自分が川岸に設置された冬場に猟師が使用していたのだろう仮小屋の陰に運び込まれている。全身はずぶ濡れだが、目立った傷や痛みはない。自分の無事を伝えるために震えながらも首を左右に振ると、兄はふっと微笑んだ。
「……良い。無理に話そうとするな。大きく息を吸って、細く長く息を吐け。今は息を整えることだけに専念しろ」
深呼吸を何度か繰り返し、やっと政直の脳は動き始める。
直後、装填を終えた尼子軍の三度目の撃ち下ろしが始まる。ドッ、と山手から黒い発砲
煙が立ち上り、腰を抜かした足軽達の中には身を伏せてながら念仏を唱える者も出た。火薬に慣れていない彼らは、恐らく播磨出身の者ではない。
「いいか。尼子の手火矢は実数が少ない。虚仮脅しに過ぎん」
周囲をよく見渡すと、なるほど、倒れている者はいるが銃撃を受けて命を落とした者はそれほど多くはない。致命の傷を負った者のほとんどは、射撃と射撃の間隙に射られた矢によるものに見える。
「命中精度も低い。こちらの気勢を削ぎにきただけだ」
政範の読みは正鵠的を射ていた。
この時期の日本は鉄砲を利用する戦術は研究途上。この日の尼子の鉄砲隊は虎の子の高価な火薬を使って三度の斉射を行った後には隊を引き上げさせ、代わりに槍隊が政範ら第二陣へと突っ込んできた。
「……やられた。手火矢というのは少数でも厄介だな」
余談だが、前年天文二十二年の四月、尾張国の織田信長という得体の知れない男が、美濃の雄・斎藤道三と尾張国中島郡冨田村の七宝山正徳寺にて会見を行った際には、槍隊五百とともに弓と鉄砲合わせて五百の兵士を揃えたという話がある。
一般的に知られる鉄砲伝来から十年余り。日本全国かなり普及は進んでいたらしい。
この日投入された鉄砲隊の詳細は不明。だが、独立派第二陣の出鼻を挫くには充分な数が揃えられ、足場の悪い川岸を舞台に両軍は激しく入り乱れた。




