19・西播怪談実記草稿九2-2(第二次高田合戦)
神林寺の協力を得られたことが独立派にとって何よりの助けとなっている。
「兄上、北周りの心配はいかがですか」
年少の政直にとっては初めての土地。知らぬ土地は土地勘のない者にとって容赦がない。
「安心しろ。間道は無くはないが、大軍を移動させられる規模の迂回路はない。それに、後藤殿から北の大寺畑城の牧殿が協力して下さっているとも聞いている」
勝山の北は大平峠を抜けるルートと足尾神社の裏手を通るルートの二つの山道が存在している。が、どちらも地元の猟師も利用するかしないかくらいの岨道。とてもではないが別働隊を送り込めるような道ではない。
それに、山中の秘道を抜けたところで、久世の背後に出るには牧尚春が治める大寺畑城前を通る必要がある。
この大寺畑城主の牧兵庫助尚春は非常に信頼できる人物と聞いている。
天文十六年、当時美作三浦氏重臣だった尚春は、備中国における尼子軍との戦で嫡男を亡くしていた。息子を失いながらも尼子の猛威を知った彼は、いち早くその身を敵方に投じることで尼子側の覚えを良くさせ、懐に潜り込んだ。
そして、尚春は大河内氏の養子となっていた実弟・大河内貞尚と新宮党党首・尼子国久の娘を縁組させるように働きかけ、この縁組によって、後に尼子に降った主家筋の存続と旧領安堵を尼子新宮党に頼み込む縁に繋げていった。
今は亡き主のため、恥を忍んで尼子の傘下に入り主君たる三浦の血脈を生き長らえさせた功臣だった。
「……牧殿もまた、獅子身中の虫となって美作国を尼子の手から解き放つべく動いておられる。我らには見かけ以上の味方がいる。武者震いばかりでは挙がられる手柄も挙げられなくなるぞ」
人間、緊張していると普段よりも口数が多くなる。緊張や動揺を相手に悟られると思わぬところで足を掬われるから用心せよと、落ち着かない様子の政直を政範が諭した。
「まあ自分も初陣の際には、父上に同じことを言われたのだがな」
政範と政直は兄弟見合わせて笑い合った。
この日の夕方よりしばらくの間、高田一帯は春のしとしと雨に見舞われ、濡れる事を嫌った両軍は近くに屋根のある集落まで陣を引き下げた。時折、川北の出雲街道でのみ、障壁を突破しようとする尼子軍と突破を阻止しようとする浦上勢の間で足軽達による小競り合いが繰り返されたがそれも直ぐに止んだ。
夜になるとたちまち気温は下がり、飯山城まで陣を下げた政範らは、尼子軍の夜間の渡河に備えて川上に斥候を数名ばかり放つと、残りの者には指揮の下がらぬように火を大きく焚いて暖を取っておくよう指示を飛ばす。
増水し、ほのかに茶色く泥を含んだ水をたたえて旭川は流れ行く。
決戦の時は、刻一刻と迫っていた。