19・西播怪談実記草稿九1-3
「質問とは」
「至極単純な事。どなたですか、その親書を記されたのは」
使者の持つ親書は切紙に折封。封紙に送り主の名は書かれておらず、表面からでは誰からの手紙かが分からない。
「我が主が……」
「それはどなたか。右馬頭様か備中守様か」
右馬頭ならば前当主。備中守ならば現当主。政秀はそう聞いている。
「……現当主、備中守様がお書き上げになられました。可能な限り早急にこの書状を赤松の当主様の元に届けて頂けるよう、貴方にお頼みするよう命じられております」
使者の言葉に満足し、政秀は使者からの書状を微笑とともに受け取る。
「お役目ご苦労。確かに書状は受け取らせていただく」
「何卒宜しくお願い致します。では、私はこれにて」
立ち去る使者の姿が林の中に消えるのを待ってから、龍野赤松氏の兄弟達は目配せをして互いに顔を見交わす。
「……その手紙をどうされますか」
「決まっている」
政秀は、磐座近くに点された炎の前に立ち、書状を開封して一読した後、躊躇いなく炎の中に書状を投げ入れた。毛利隆元直筆の書状は忽ち燃え上がり、中の文章が政秀以外の目に触れられることなく、あっという間に焼け落ちて灰となった。
「宜しかったので」
「ああ、これも右馬頭様のご要望通り。問題ない」
前当主・毛利元就。三月二十日の時点で、播磨国龍野城主の赤松政秀には先手を取って元就の方からも根回しが行われていた。毛利隆元からの書状の内容については、政秀の手で焼かれたために確認の仕様がないのだが、凡その見当は付く。
―――父に内密で、播磨国内の陶を討て。
毛利の現当主が、陶への恭順を頑として譲らない前当主の意思を捻じ曲げるため、自家の退路を断つ謀。人の良さだけが取り柄の男が、懊悩の末に辿り着いた覚悟の一策。
当然、天才の父には凡人の息子が苦慮して練り上げた策などとうの昔に見切られていた。
だが、同時に嬉しく思ったに違いない。
この物語を編纂した春名忠成は、次のように書き残す。
『……たとえ稚拙といえど、自分を乗り越えようとする子の成長を喜ばぬ親がいるだろうか。まして父の意思に従うことばかりを是としていた息子が独り立ちしようとするのであれば猶更の事。実際には父の元就の方こそ、子の開花を待ち望んでいたのではあるまいか』
現在物語を書いている筆者もそう思う。
「毛利の当主は御覚悟を決められた。思ったより時間がかかったかも知れんが、まあ遅いということもあるまい」
政秀と元就。両者の共通点には、二人とも搦め手を好む傾向が挙げられる。領国内の問題が片付いた暁には、元就の方から合図を送り、政秀も問題なければ相応の品をもって返答とする。逆もまた然り。傍目からは両者に密約があるようには思わせず、万が一疑われたところで証拠を残すようなヘマはしない。
後世、龍野赤松氏の研究が遅々として進まない所以のひとつに、政秀本人のこうした慎重さによるものも多分にあるのだろう。
「頼村。すまんが右馬頭様への使いを頼まれてくれ。今回は、そうだな、戦勝祈願に播磨産の刀が必要かなどという名目はどうだ」
真実を知る者は少ないに限る。赤松政秀とはそういう人物だった。
「……御意。兄上も御武運を」
「ああ、期待しておけ。此度の戦、皆を上手く踊らせねば事は成らぬ」
独生独死、独去独来。
人は皆、生ある限り常に孤独の中にある。この世界に完全に分かり合える人間は存在しないと釈尊は説く。ならば、戦国の世はさながら無明の闇の中。戦乱が終わるのであれば、自分も寄進のひとつでもしてみようか。
「どうかされましたか」
磐座を前にぼうっと思索に耽った政秀を、現世の祐利の声が呼び止めた。
「……否、なんでもない」
人は死ぬ。それも無意味に死んでいく。
だが、この世に生を受けた以上、生きるも死ぬも必ず理由があり、何かしらの役目があるのだと願う心もまた人間。これから先、自分が握りつぶすことで開かれた道は多数の人間が命を落とす道。
「願わくば、我が赤松の行く末に幸あらんことを」
これより戦地へ向かおうとする政秀の言葉には、確かな熱がこもっていた。




