19・西播怪談実記草稿九1-1(破磐神社と龍野赤松氏)
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天文二十三年三月二十日(1554年4年21日)、昼。
播磨国南西部・太市の宿。
その場所に、毛利の使者の一人が居た。
安芸国を出立した毛利氏の使者は二名。二枚の書状を手に、一人は毛利氏と昵懇の仲である竺雲恵心の居る京を目指し、もう一人は播磨国龍野を目指した。
播磨国へ向かった使者の目的は龍野赤松家の当主・赤松政秀。赤松総領家当主の娘婿である彼に会い、総領家当主・赤松晴政への取次ぎを願い出るつもりだった。
だったのだが、その読みはあえなく外れた。
龍野の城下は人でごった返し、使者が町人にそれとなく理由を尋ねみると、龍野の町では美作国まで進出した尼子軍に備えるために領内各地で動員が始められ、城主赤松政秀も三日前より置塩の赤松総領家の評定に出席するために龍野の地を離れたという回答を得た。
完全に行き違い。急ぎ置塩に発とうとした使者だったが、境界の槻坂を超えたこの太市の関所で赤松兵の一団に呼び止められ、近くの宿場にて政秀の帰還を待つように説き伏せられた。
強引に押し通る事も出来たが、置塩の評定は軍機に関わることなので、評定が開かれている間は、例え総領家に直接出向こうと目通り自体叶うかどうかが分からないと言われれば、使者としては断ることは出来なかった。
この二日間、逗留先での待遇は悪いものではなかったが、結局手持ち無沙汰のまま放置されている。天候は晴れ。薄い筋状の巻雲が淡い光沢をまとって緩やかに流れ、のどかな播磨の春を伝えている。そういえばケキョケキョと鳴く若い鶯の声も聞こえる気がする。
「失礼いたす。毛利殿の使いの方はおられますかな」
使者を呼んだのは、髭に白いものが混じり始めた四十路の男。名を平井祐利、龍野赤松氏当主の実弟にあたる人物。温厚そうな人柄がにじみ出る柔らかな物腰で、毛利の使者に対しても最上位の礼儀をもって遇していた。
「まことに相すいませぬが、私の兄は龍野への帰路の途中に寄らねばならぬ場所があり、使者様の来訪を聞かされた私だけが先にお迎えにあがりました。ご足労頂いてもよろしいですか」
寄らねばならぬ場所はどこか、と使者が問うと、祐利は近くの神社とだけ答えた。
「神事ですか」
「ええ、由緒正しく霊験はあらたか。戦が近いですので貴方も是非」
促されるまま使者が案内されたのは、現在の破磐神社。この時代の破磐神社は現代よりも半里ほど南西に鎮座していた。社殿には三尊の阿弥陀仏を安置され、地元の人間からは三所大権現と呼ばれ親しまれていた。
ちょうど二日前、使者が越えて来た槻坂の麓辺りになる。
坂への登り口、閑寂とした森へと繋がる道の先には苔生した大杉の鳥居と、山中に似つかわしくない程大きな社が見つかった。
「どうぞ。この奥になります」
祐利が先導し、辿り着いたのは巨大な磐座。神社の御神体、二丈(約6m)超の淡く光る白緑色の大岩石を前に、更に二人の男の姿があった。




